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月下の庭  作者: 行見 八雲
二組目:主と騎士
13/21

はの1――公女エリーエンヌ視点



 私には同母の兄が一人と、母が異なる兄が二人弟が一人いる。


 父である大公が後継者を指名しないまま身罷られ、兄弟達の間で大公位を争っての内紛が起きた。しかし、私は公女で大公位継承権もなく、また他国へ嫁ぐことも決まっており、誰が大公になるかについて発言すらも許されないため、内紛に加わることはないだろうと、宮殿の端の部屋で大人しく過ごしていた。



 しかし激しい雨が朝から続いていた日の夜、突然部屋に押し入ってきた賊に刃物を向けられ、私はこれが誰の差し金かすぐに理解できた。


 私を、内紛のどさくさに紛れて殺そうとしているのは、同じ正妃の母から生まれた二つ上の兄だろう。何故なら、兄は私を恨んでいるから。自分で言うのもなんだが、私は昔から何でもできた。勉強を教わればすぐに理解できたし、護身にと習った剣術も馬術もすぐに人並み以上に上達した。そんな私は周りの大人に褒めそやされ、父である大公も非常に私を可愛がってくれていた。

 そして、そんな私と常に比較され、陰口を叩かれていたのが、兄だった。「妹姫はあれほどおできになられるのに、どうして兄君は……」「いっそ性別が逆だった方が、この国も安泰でしたでしょうに……」と聞こえよがしなひそひそ話が兄に向けられているのを、私も聞いたことがあった。やがて私と兄の差を、兄を叱るときに母までもが口にするようになると、兄と私の距離は埋めようのないほどに開いた。そのうち私を見る兄の瞳に、煮えたぎるような憎しみが宿るようになっていたのも気づいていた。

 だから私は剣術や馬術を止め、部屋で大人しく本を読んだり庭いじりをして過ごすようになった。これ以上私と兄が比べられないようにという、精いっぱいの配慮のつもりでいたのだが、そのことが余計に兄のプライドに傷をつけていたのだろう。父や母の手前、直接何か行動に出ることはなかったが、たまに会った時の兄の顔は、常に底知れぬ憎悪を内包していた。


 一方で、私は他の側室の兄・弟とは年に二・三度顔を合わせるくらいで、ほとんど関わりはないし、私を殺しても彼らに何のメリットもないだろう。


 そして、大公位に最も近い一番上の兄シージスとも、まだ何かと制約が少なかった幼い頃に比べ、今は会う機会はほとんど無かった。せいぜい父の誕生パーティーや国の重要な式典で遠くから見るくらいだ。それは母が寵妃の子に、私達自分の子らが会うのを嫌がったというのもあるし、父が寵妃が亡くなられて後、あまりシージス兄上を傍に寄せなかったという理由もあった。

 一見すると、父はシージス兄上に関心を失い、蔑ろにしているようにも見えただろう。現にそれを理由にシージス兄上を見下す者達も多くいたし、父の他の妃やその子達も兄上を嘲笑っていた。

 だがシージス兄上は常に真っ直ぐに背筋を伸ばし、何を言われようとも堂々と歩いていた。状況に合わせて自分の出来ることを確実に行い、母親の身分など感じさせない気品のある人だった。むしろ、ただ身分を笠に着て自分の悪口しか言えないような奴らを、見下しているような感じですらあった。

 そんなシージス兄上が、私怨でわざわざ私を殺させようとするなんて考えられない。


 だからこそ、この賊達は兄によるものだろう。いつもならば視界に入る範囲には護衛の騎士がいるはずなのに、今日はどこにも見当たらない。常に私の傍にいて支えてくれる、カラウすらも。



 手元に剣もないため反撃することもできない。じわじわと賊に追い詰められ、窓際の方へと後ずさっていた、その時。


「エリーエンヌ様!!」


 バンッという激しい音と共に扉が押し開けられ、カラウが息を切らしながら駆け込んできた。そして、賊に気付いた途端、腰の剣を抜き、相手を呑むような気迫で一人ずつ確実に仕留めていく。六人ほどいた賊はあっという間にカラウに倒され、その勇ましい姿に状況を忘れて見惚れた。


 カラウに連れられるまま部屋を出、馬小屋の傍の物置小屋で変装のためにと渡された騎士服に袖を通し、髪を後頭部で纏めた。その後、カラウが連れてきた大きな馬に乗せられていると、「いたぞ!」という声と共に新たな賊が駆けてくる。私の後ろにカラウが飛び乗ったとき、何かを切る音とカラウの呻き声が聞こえたが、振り返る暇もなく馬は走り出した。


 合羽を打つ雨音と自分の心臓の音がやけに耳について五月蠅かった。その中に混じって徐々に大きくなる追手の怒号と蹄の音。と、急に背中に重みがかかったかと思うと、私の肩口に目を閉じたカラウの顔が見えた。その顔は暗闇の中でも色が悪く、くっ付いて初めてわかる血の匂いに心臓が凍りついた気がした。ただカラウの微かな呼吸は聞こえていたから、それに励まされるように手綱を握り締めた。


 木が複雑に立ち並ぶ森の中で、木々の向こうに賊の姿がちらちらと見えるようになり、言い知れぬ恐怖と背中の温もりに泣きそうになりながら、必死に睨みつけるように前だけを見ていた。


 そして、気が付けば辺り一面真っ白だった。濃い霧の中に突っ込んでしまったのだと気づくのに僅かに時間を要した。馬の鼻先の向こうすらも見えない濃白の世界で、ただ馬だけは先が見えているかのように速度を落とさないで駆ける。 

 いつの間にか追手の蹄の音も、雨音すらも聞こえなくなっており、音の無い世界はひどく不思議な感じがした。



 やがて霧を抜け、いくらかの木が伸びる林を抜けると、湿った緑の匂いが鼻を打った。開けた世界には大小様々な球星が輝く夜空と、明かりのついた一軒の家に向かう道、鈴のような涼やかな音色が響いていた。不思議と胸がざわざわとするような、偉大なものを前にしたときの畏れのようなものを感じる。それと同時に包み込まれるような安堵感も。


 まさかここは……?


 しばらく呆けてしまったものの、背後のカラウの僅かな呻き声に我に返り、急いで不思議な造りの一件の家へと向かった。もし私の考えが間違いでなければ、ここにおられるのは“かの方”だろう。このような夜分に何の前触れもなくお住まいを訪ねれば、ご気分を害してしまわれるかもしれない。そして、何らかの罰が与えられる可能性もある。

 だが、馬を下りたときに確認したカラウの背は、雨具までもが血で色が変わっており、一刻の猶予もない状態であることが知れた。カラウが死んでしまう……! そのことが、我が魂を地獄に落とされるよりも恐かった。

 もし罰が課せられるのならば、私が甘んじてこの身に受けよう。だからどうかカラウを助けてほしいと、女神様の慈悲にお縋りするためにその家の扉を叩いた。


 結果、女神様は温かく受け入れて下さった。それどころか、手ずからカラウを運ぶのを手伝って下さり、手当もして下さった。ただ、刃物で裂かれたカラウの服を脱がせたとき、出血に対して傷がかなり浅いのに気が付いた。というよりも、すでにほとんど治りかけているような……。

 女神様に目を移せば、当然のように簡単な治療だけを行っている。そうか、これも女神様のお力なのだろう。あれほど深い傷を触れずに治されるなど、最高位の魔術師であってもそうそう出来ることではない。

 やはりこの方が女神様なのだと確信する。神でありながら人に対しても穏やかに丁寧に接するその姿勢に、私ごときでは計り知れない御心の広さを感じながら。



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