いの1――主人公視点
ダンダンと玄関戸が叩かれる音がして、恐る恐る、木の格子に磨りガラスの張られた古めかしい引き戸を開けると。
「申し訳ないが、道に迷ってしまったようだ、少し休ませてもらえないだろうか。」
シンプルな造りだが、明らかに上質の鎧を身に纏い、腰に剣を下げた、白金の髪に水色の瞳の美青年が、言葉の割には特に困った様子の感じられない無表情で、じっとこちらを見下ろしていた。
初めまして、私の名前は、月岡 凪と言います。
この世に生を受けてかれこれ、二十五年ほどになります。そして、同じ趣味の友人を除く、周りの人達には秘密なのですが、私はいわゆる腐女子というやつで、男性同士の恋愛を見たり妄想したりするのが好きだったりします。
あ、この先そういった私の妄想が大量に入ってくると思いますので、苦手な方はここで逃げて下さいね。
と言っても、別にボーイズラブオンリーというわけではなく、男女の恋愛も好きですよ。ほのぼのカップルを目の当たりにしたりすると、こっちまでほわ~んとした気持ちになったりしますよね。
さて、そんな私ですが、今ちょっと困ったことになってます。
実は先月祖母が亡くなりまして。でも、祖母は、亡くなる直前まで山間にある自分の家で、身の回りのことはすべて自分でやり、毎日欠かさず畑仕事に精を出すという、それはパワフルな人でした。自分も歳をとるならあんなふうになりたいなぁと思わせるような、心身ともにしっかりしたおばあちゃんでした。
それで、普段から仕事で海外を飛び回っており、祖母のお葬式など一通りのことを済ませた後、また海外に行ってしまった両親と兄の代わりに、私が祖母の遺品などを片付けようと、祖母の家にやって来たわけなのです。
しかし、昼頃に来て、少し掃除をし、ちょっと疲れたので横になってしばらく休んでいたのですが、何やら外の様子がおかしいのです。
さっきまで、まだ日は高く明るかったのに、いつの間にか辺りは真っ暗で、あれ? 寝過ぎた? と慌てて、網戸のまま開けっ放しだった居間の窓を閉めに行ったのですが、辺りは暗いのに月明かり以上の妙な空の明るさに、首を傾げながら空を見上げると、あらま、びっくりです。何と、お空に月がたくさん。というか、昇ったばかりの月と同じようにオレンジ色に輝く大きな星が一つ。黄色い月と同じような小さい星が二つ。そして、土星のように輪っかが付いた星や、うっすらと見える水色の星が一つずつと、何やら惑星の展示場のような夜空が広がっていました。
明らかに、地球じゃないですよね。まるで、SF映画のような景色です。というか、この場合各星との重力関係はどうなっているんでしょう。…………夢ですね、これは。
そう結論付けて、窓とカーテンを閉め、二階にある自分専用の客間に向かい、ちゃんとお布団に入って寝ました。
そして翌朝。普段より少し遅い時間に起きて、洗面所で顔を洗い、買ってきておいたパンを焼いて、ジャムや蜂蜜を塗って食べました。その後、服――祖母の家にいるときは、畑に行くとき以外は着物を着ています――を着替えて、居間のカーテンを開けに行ったのですが、窓を開けてみて、やっぱりびっくりです。太陽はいつもと同じサイズのものが一つなのですが、他にも薄らと白い月が二つと、小さな緑色の星と輪っかの付いた小さい星が、青い空にぼんやりと浮かんで見えるのです。
あれは夢ではなかったのでしょうか。と、定番ではありますが、頬を抓ってみましたが……痛い。
祖母の家は、後ろを山に囲まれ、家の前も、車が入れるくらいの細い道と、その向こうには広大な畑や田んぼが広がり、さらに向こうには小川が流れ、そしてまた山があって、と、まあ山の中にポツンとある一軒家なのです。隣家までも随分と離れてますしね。
なので、この家から見える範囲では、空以外に特に変わったところは見られません。道を歩いて、林の中を越えて行かなければ、外がどうなっているのかも分からないのです。
そんなわけで、家で祖母が飼っていた、番犬の柴犬、オヤブンさんと一緒に、隣家や外の様子を見に行ってみようと思います。ちなみに、オヤブンさんは非常に賢く落ち着いた性格なので、我が家では常に放し飼いです。オヤブンさんの気の向くままに、家の中にいたり、庭にいたりします。
靴を履いて、オヤブンさんに声をかければ、オヤブンさんは分かったとばかりに軽く伸びをして、私の横に並びました。
そのまま、舗装のされていない道を歩いて、林を抜け、拓けたところまで出た辺りで、私は足を止めました。そして、そんな私に合わせて、オヤブンさんも立ち止まります。
目の前に広がった光景に、私は言葉を無くして呆然と立ち尽くすしかありませんでした。
いつもなら、ここからは隣家の家屋と、隣人が所有する青々とした田畑が広がっているのです。しかし、今見えるのは、まばらに作物の植えられた茶色の畑と、煉瓦のような石造りの建物がぽつぽつと点在する、まるで中世辺りの農村のような景色でした。私は行ったことはありませんが、ヨーロッパの昔ながらの田園風景を残した観光地のような感じです。
そして、その建物の近くに立つ、村人らしき人を見たのですが、明らかに服装が違います。
ひょっとして、タイムスリップでもしてしまったのでしょうか。もしくは、この辺り一帯が、中世ヨーロッパをコンセプトにしたテーマパークになってしまったのかもしれません。それならそれで、事前に教えておいてほしかったです。
とりあえず、村人の方へ声をかける勇気もなく、今日のところはとぼとぼとオヤブンさんと一緒に、家へと戻ることにしました。
もと来た林を抜け、見えてきた祖母の家一帯は、いつもとまったく変わりないように見えます。
はて、そういえば、さっき朝の支度をしたとき、電化製品や水道などは普通に使えましたよね。
首を傾げながら、もう一度家の中へと戻り、冷蔵庫やお風呂の様子なども点検してみますが、普段通り使えるようです。やはりこれは、お話によくあるような異世界トリップやタイムスリップとは違うのでしょうか。
う~んとしきりに頭を悩ませつつ、この辺一帯について何かわかるかもしれないと思い、パソコンを立ち上げインターネットに接続してみました。
しかし、ここでこれまたびっくりです。パソコンは普通に起動しました。でも、設定してあったトップページが、微妙におかしいのです。例えば、今日のニュース一覧のところは、“スローレイ国とリッツ国、戦況膠着状態!”となっていたり、“ジストゲナージ公国で内乱か!?”や“ロニクス国王女ご婚約!”みたいな記事が上がっています。
あれ? これってどこの国でしょうか? 確かに世界は広いですからね、私が名も知らない国はいくつもあるでしょうと、記事をクリックして、関連項目から世界地図を開いてみたのですが……ん? 世界地図ってこんな感じでしたかね。
大陸の形とか、島とか、見知ったものが全くないのですが。日本、日本はどこですか?
もしかして、私はゲームか何かの、架空の地図を開いてしまったのかもしれません。あ、スローレイ国とリッツ国ってこれですね。ちなみに、現在位置の表示まであります。やっぱり、日本ではないのですが。
困りました。パソコンが、ウイルスか何かにやられてしまったようです。パソコンの扱いにあまり慣れていないので、自分ではどうすることもできず、修理の問い合わせをしようとしたのですが、何故か電話は通じませんでした。携帯は山の中なので、圏外になってますし。
何でしょう、この途方に暮れた感じは。まるで、探偵漫画で、犯人に逃げられないように、陸の孤島に閉じ込められてしまったかのようです。そして、ここから一人ずつ犯人の手にかかっていくわけですね。でも、この家には私とオヤブンさんしかいませんし、やはり真っ先に殺られるのは私なのでしょうか。犯人を追いつめる探偵は、オヤブンさんですか。頼りにしてます。
と、一通り考えてみましたが、特に出来ることもなさそうだったので、私は普段通り過ごすことにしました。
とりあえず、ここに来た目的は、祖母の家の片づけでしたので、その作業を続けようと思います。それから、お昼ご飯を食べて、畑の様子を見に行って、食べ頃のものを収穫して、お夕飯ですね。
よしっ、そうと決まれば行動開始です!
そうして、一日を終え、夕暮れの深まってきた頃にやって来たのが、冒頭のお方でした。