違和感と新たな気持ち
「はぁ〜……やらかしたぁ」
どこまでも暗く冷たい廊下。窓から入る月明かりがぼんやりと足元を照らしている。
まさか職場に読みかけの本を忘れるとは。我ながらドジだよねぇ。……結局、続きが気になって取りに来ちゃったわけだけど。
私は軽くため息をはいて、突き当たりにある扉を開けた。
「ん……?」
足を踏み入れた部屋の奥。ラファエルの執務室から漏れた微かな光に、私は目を細めた。
とっくに就業時間過ぎてるのに、こんな時間まで何してるんだろう……?
ふらふらと光に導かれ、扉の前で足を止める。
ノックをしようと手を上げたその瞬間――扉が、動いた。
「え……?」
わずかに開いた扉から覗いたのは、ラファエルの強張った表情だった。
「……誰かと思ったら、リリアちゃんか」
その目が一瞬見開かれてから、ふわりとゆるむ。
「すみません、うるさかったですか……?」
そこまで大きな足音は立ててないと思ったけど、もしかして邪魔しちゃったかな?
「いや、なんとなく人の気配がしたからさ。こんな時間にどうしたの?」
「忘れ物をとりに来たんです。まだ仕事が残ってるんですか?」
「あぁ。……例の女神像の件、中々解決しなくてね」
宗教省の仕事に復帰した2週間前。戻ったばかりの私の耳に飛び込んできたのは、『突然王宮にある大聖堂の女神像が光った』という信じがたい内容だった。
女神像が光るなんてオカルトみたいだよなぁ。しかも光ったのはリリアが飛び降りた日の夜。
もしかして、私がここに来たのと関係あるのかな?
……いや、流石に考えすぎか。
「女神像が光ったという記録自体はあるんだ。その際に問題が起こったという記録はないけどね」
困ったように肩をひそめるラファエル。それなら問題なさそうだけど、偉い人が心配してるからやらざるを得ないんだろうなぁ。
「大変ですね……。私も手伝えればいいんですけど」
「まあ、どうしても俺がやらないといけない部分が多いからね。その気持ちだけで嬉しいよ、ありがとう」
ラファエルの声はどこまでも優しい。それがより一層、申し訳なさを加速させる。……何か、力になれればいいんだけど。
「……あ、そうだ」
ふと思い立ち自分の机へ向かう。引き出しの手前に入った封のされた小さな箱。私はそれを取り出すと、小走りでラファエルの元へ戻った。
「疲れてる時は甘いものですよね。ちょうどおやつ用のクッキー買い足したところでして。お口に合うかはわかりませんが、よければどうぞ」
ラファエルはきょとんとした様子で差し出された箱をみた。そして、ゆっくりと手を伸ばす。
「ありがとう。こうやってリリアちゃんから気遣ってもらえるなら、遅くまで残業するのも悪くない。……二年前にも、同じようなことがあったよね」
二年前……そういえば、リリアが残業してたラファエルに紅茶を淹れたことがあったっけ。
「あの時のラファエル様凄い疲れた様子だったので、思わず……」
「そっか。……リリアちゃん随分変わったよね。前はお茶だけ置いてすぐいなくなっちゃったけど、今はこうやってゆっくり話してくれるし」
「まあ、いろいろありましたから?」
リリア時代の記憶は取り戻した。それに人格も一部統合された……気がする。けどやっぱりルカとしての私がメインだから、元通りとはいかないよね。
ラファエルは私の言葉を聞いてから、すっと目を細めた。
「色々、ね」
探るようなその視線に私はびくりと肩を振るわせる。
別に知られて困ることじゃないけど、なんか嫌な予感がした。
「えっと、あまり遅くなるとよくないので私そろそろ帰りますね! ラファエル様もご無理なさらず!」
私はそれだけ言い残し、そそくさとその場を後にする。背中に感じる突き刺さるような視線と、『またね』という小さな声。
この時の私は気がついていなかったんだ。自身の重大な過ちに。
――本を回収し忘れているということに気がついたのは、家についてしばらくしてからだった。




