〈第29話〉断罪イベント当日ー物的証拠ー
ミカは私の前に出て、庇うようにデービットとの間に入る。隣を通り過ぎた瞬間に見えた瞳は怒りに燃えていた。
ラファエルはそれを見ると、すっと後ろに下がる。ミカを見守るその瞳は、どことなく優しい。
ミカにしてはよく耐えている方だと思う。好き放題言われるたびに、後方から溢れんばかりの殺気を放っていて、気が気じゃなかった。
背中しか向けていないのにわかるって何。私は某殺し屋じゃないんだけど。
デービットはその姿を見て忌々しげに唇を噛み、ミカに刃のような鋭い視線をなげる。ミカは正面から受け、より研がれた殺意まじりのそれを投げ返した。
「殿下が強かだというリリアの尻尾を掴み噂を流したのは一体誰だったのか。調査の結果、ある1人の人物に辿り着きました」
普段よりも遥かに低いドスが効いた声と視線。それを受けたデービットは僅かに後ずさる。
まるでチワワがドーベルマンと吠えあった結果、負けたのを見た気分になった。懸命に睨み続けるその姿に憐れみすら感じる。
「そ、そもそも噂の元なんて辿ることはできないだろう。どうせ碌な話も聞けなかったんじゃないか?」
若干声を震わせながら、それでも吠えるデービット。
精神的にも状況的にも追い詰められているはずなのに想像以上に粘る。
ミカは激情を抑えるように息をついてから、無表情で話し続ける。
「ええ。その人物から直接話を聞くことはできませんでした」
その言葉に、デービットはわずかに唇の端を吊り上げた。
あまりにもわかりやすくて逆に可愛く思えてきた。
……これで終わりなわけないのにね。
ミカが懐から取り出したひと束の書類によって、デービットの笑みは予想通り砕かれた。まるで見せつけるように掲げられたそれに、視線が集まる。
「何故なら、彼は現在拘留されているからです。その人物の名前はーーールーバン・ロビンソン。これは被疑者が先日とある街で窃盗犯として取り調べされた時の調書です」
その名前を聞いた瞬間、部屋中がざわつき始める。無理もない。彼は宗教省の職員で、しかも最近昇格したばかり。察しがいい職員ならば、これが何を意味するかわかることだろう。
デービットの顔から血の気が引くのがわかった。見開かれた瞳、わなわなと震える口元。
先ほどまでは反射でキャンキャン吠えていたのに、それすらできなくなるほど衝撃的だったらしい。
その反応がこの証拠がどれほどデービットにとって都合が悪いのかということを、如実に表していた。
ミカはデービットからの反論がないことを確認すると、そのまま語り続ける。
「彼が盗んだのはメアリー嬢の祖母にあたるホワイト夫人の鞄です。中に入っている手紙をもってくるように殿下から命令された、と」
「そんな嘘、いくらでもつける! でまかせに決まってる!」
かすれるほど張り上げられた声が反響して耳をつんざいた。青かった顔を耳まで赤く染めあげて、ミカを睨みつける。
冷静なミカに証拠を突きつけるミカと、叫ぶことしかできないデービット。この時点ですでに勝敗は決しているというのに。
「聞き込みの結果、被疑者が殿下と懇意にしていたという目撃証言が多数報告されました」
「しょ、証拠は!! 証拠はないだろ!!」
さっきまで『火のないところに煙りは立たない』と言っていたくせに無茶苦茶である。
肩で息をするデービットを尻目に、ミカはため息をついて乱暴に書類をめくる。くしゃりと音をたてて紙が歪んだ。
「証拠としてーーー殿下からルーバンの口座への送金履歴があります。個人的な資産のようですが……随分と、仲がよろしかったんですね」
嘲るような笑みがその顔に浮かぶ。
……こんな言い方をするミカ、初めて見た。聞いたことがないくらいに冷たい声に、背筋にぞくりと何かが走る。
私にそんな趣味はないし、今はそんな場合じゃない。それなのに、口元が緩むのを抑えきれない。
「何笑ってるんだ、リリア!!!!」
デービットの悲痛な声が私目掛けて投げられる。
「すみません、つい」
あわてて手を当て、弧を描いた口元を隠す。
「リリアちゃん、容赦ないね……」
ラファエルは小声でそういうと、静かに肩を揺らした。
……あぁ、なるほど。デービットを嘲笑っているように見えたのか、今の私の表情は。
しかしあえて訂正はしなかった。デービットに反省してもらうには、勘違いしてもらった方が都合がいい。
「殿下がどう返すのか、気になりまして」
観客の注目がデービットへ集まる。その視線は次の言葉を急かすようだった。
怯えた顔で周囲を見渡すデービット。その額には冷や汗が滲み、指先が微かに震えていた。
デービットは言い返す言葉を探すように視線を揺らす。
「そっ……それはっ……!」
威厳も確信も消えたその声が、力なく揺れた。
……そろそろ、諦める頃合いだろうか。
一歩、前に踏み出す。
「ーーー違う! 僕はあくまで彼の理想に感銘を受けて、それを応援するために個人的に援助したまでだ!」
苦し紛れの叫びは、まだ続く。往生際の悪さだけならば一級品だ。
いい加減自分の負けを認めればいいのに。足掻けば足掻くほど自分の首が絞まることがわからないんだろうか?
「思想に感銘を受けた? ちょうど送金時期は、噂が広まり始めた頃ですが……まさか、そのことではありませんよね?」
ミカの瞳が冷たく光る。どこまでも淡々とした声が、デービットの精神をじわじわと追い詰めていく。
「っ……! 違う! 僕は、僕は悪くない!!」
少しずつ後ずさるデービット。まるで怒られた子供のような、自己弁護にすらならない言葉だけが部屋に響き渡る。
「いい加減、自分が何をしたのか認めたらどうですか? ……みっともねぇな」
ぼそりと静かに付け足された一言に、ミカの気持ちがすべて凝縮されている気がした。
デービットは一瞬絶句した後、耳まで赤く染めながらこれでもかとミカを睨みつける。
「うるさい! うるさいうるさいうるさい!! 僕は、僕は第二王子なんだぞ! 不敬だ!」
感高い叫び声はまるで駄々をこねる子供のようで。そこにはもう理性のかけらもありはしなかった。
ここまで追い詰められてるのにそこまでして自身の罪を認めたくないんだろうか。……いや、素直に認めたらデービットのちっぽけな自尊心は、きっと壊れてしまうのだろう。本来ならリリアに愛されて育つはずだった、自尊心が。
そう考えると、彼の姿が段々哀れに思えてくる。まるで誰にも縋ることができない、孤独な迷子のようで。
デービットは一歩、また一歩と後ずさりーーー背後にいるメアリーちゃんに、ぶつかった。
ハッとしたデービットは、くるりと後ろを振り向く。
その顔は親を見つけた子供のようだった。そこにあるのは、不安な自分の気持ちだけ。
その証拠に、わずかによろめいたメアリーちゃんを心配する様子すら見受けられない。
メアリーちゃんは悲しそうに瞳を揺らし、デービットを見つめる。
「メアリー! 言ってやってくれ、いじめは事実だったと! 僕が正しいんだと!!!」
何かに取り憑かれたようにメアリーちゃんに縋るデービット。その姿は、ひどく小さく見えた。
「デービット様……本当にここまでして、リリア様を断罪する必要があるのでしょうか?」
私たちとデービットにしか聞こえないほどの小さな声。それは、微かに震えていた。
私はその一言で理解した。これはきっと、メアリーちゃんの最後の慈悲なんだと。
「当たり前だろう! あの裏切り者に自分が何をしたのか理解させてやるんだ!!」
しかしデービットはそんな優しさを叩き壊すかのように、メアリーちゃんの両肩を掴んで怒鳴り散らした。
ここまでしても……デービットには、何も見えていないんだな。
メアリーちゃんの悲痛な表情も、声から滲み出る迷いも慈しみも、何もかも。
「……それならば、私がするべきことは一つです」
メアリーちゃんの声は、もう震えていなかった。そこにあるのは、聖女としての確固たる信念のみ。
「繰り返し申し上げている通り、私はリリア様からのいじめなど受けておりません」
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