〈第24話〉断罪イベント1日前ー移り行く気持ちー
『名前は、ルカ』
気がつけば、そんな言葉が口をついていた。
ミカは私を信じてくれた。協力して助けてくれた。それなのにここで話さないのはあまりに不誠実に感じられて。
目を細めて、しかし確かにミカの方を見つめ返す。その眼差しには、しっかりとした覚悟が宿っている。
打ち明けるのは、怖い。けど……ここで話さなければきっと後悔する。
「ルカ……?」
困惑に揺れるミカの声に、胸の奥がずきりと痛んだ。
それでも、私は止まらない。いや、止まれない。抱えていた秘密が、誰にも話せなかった言葉が、堰を切ったように溢れ出す。
「そう。この世界の理について知っている、外の世界の人間なんだ」
息をのみ、絶句するミカ。
当然だ。言葉を選んではいるが、信じられない話であることに変わりはない。
「色々と、違和感は感じてたでしょ?」
「それは……そうだが……」
ミカの目がふっと逸らされる。
それと同時に、ミカの気持ちも私から逸れてしまったような気がして。
息苦しくて、たまらなかった。
それを押さえつけて、可能な限り淡々と話す。
「あの妃たちには王と結婚する『もしもの世界』が用意されてた。だからそれに一時的に従うけど、結局正しい歴史が優先されたんだと思う。あくまで、私の考えにすぎないけど」
これは、あくまで仮説だ。矯正力がどこまで働くのかなんてわからないし、そもそもifの話がどこまで影響してくるのかも不明だから。
ミカは眉間を押さえて息をつく。その表情は、ひどく険しい。
「じゃあ……他に助かるような『もしも』はねぇのか?」
「あるには……ある」
けれど……それを言ったら、ミカを縛ってしまうのではないか。そんな懸念が、胸を締め付けた。
奥歯を噛み締め、俯きかけた首筋に再び力を入れる。
それでも、話さなければいけない。ミカを信頼して話すと決めたんだ。私には全てを語る義務がある。
「最初は王子の婚約者だった令嬢が"もしも"の世界で別の男性と結婚したらーーーそれが正しい歴史に変わった。そういうパターンもある」
ifルートで悪役令嬢と婚約者以外のカップリングが人気になり、それが後のアニメ化時に正式ルートだとされたことがある。
このディスチェ7の世界はアニメ化されてないし、ファンブックは来月発売だ。不確定要素が大きい。
「この世界で開示されていない部分が改変可能かもしれないならーーーそこに、かけるしかないと思ってる」
力強く答える私の声。それを聞いたミカの瞳が、ゆっくりとこちらへ向けられる。
「じゃあ……もし俺がお前と結婚すれば、未来は変わるのか?」
困惑で揺れるその瞳に宿る確かな情念が、私の胸を締め付けた。
「……わからない。可能性は、0じゃないよ。でも……ミカが好きなのは、リリアでしょう? 私はリリアじゃなくて、ルカだよ」
喉がしまって、声が出てこない。精一杯出した言葉すらも、消え入りそうなほどだった。
ミカはそっと、私に手を伸ばす。温かな温もりが、強張った頬を溶かしていく。
「リリアのことも、確かに好きだった。でも……俺が見てるのは今のお前だ」
「ミカ……」
「お前が前のリリアと違うことぐらいとっくに知ってたよ。……そもそも記憶がないって言い出した時点でほぼ別人だろ」
想定外の答えに思わず顔を上げる。ミカは厳しい表情をしているが、その瞳は確かに私だけを見つめていて。
「じゃあ、なんで……」
こぼれ落ちた声は、自分でも聞いたことがないほどか細いものだった。
ミカは指でそっと私の目元を拭った。自嘲気味に歪んだ唇が、ゆっくりと震える。
「俺はずっと過去のリリアに縋り付いてた。そういう意味では今のデービットと大差ねぇよ」
デービットの事を、あんなに毛嫌いしているのに。……そこまで思い詰めていたんだ。
「最初は、ただやり直したかった。リリアを今なら助けられる。記憶のないリリアなら、デービットじゃなく俺だけを見てくれる、そう思った。我ながら最低だろ。ルカが俺の元にこなかったら、俺はリリアに会いにすらいけてねぇ。1人で妄想してるだけの腰抜けだった」
ミカの瞳が、愁を帯びてほそめられた。
初めて見るミカの弱気な一面。そこから、目が離せなくて。
「俺を変えたのはルカだ。お前は俺を頼って焚き付けた。リリアとは違う、誰かのために勇敢に動くお前の姿が眩しかった。教会でもし俺と婚約していたらって話をした時……俺は、他でもないお前と人生を歩みたいと思った」
「私と……?」
ミカの言葉が、何度も頭の中でこだました。
本当に、ルカじゃなくて私を選んでくれるの……?
「なんでだろうな。あんなにリリアのことばっか考えてたのに……今はお前の事以外考えられねぇ。いや、考えたくねぇんだよーーールカ」
頬を染めるミカ。そこには、先ほどまでの自嘲的な笑みの代わりに、全てを包み込むような、優しい微笑みが浮かんでいた。
その笑みが私の葛藤も、懸念も全て飲み込んでく。
ミカが私のことを見てくれてる。それが、何よりも嬉しくて。
「本当に、本当に、私で良いの? ルカのままでもーーーミカのこと、好きになったままでいいの?」
ミカは大きく目を見開き、頬を赤く染める。
「っ……! 当たり前だろ……!」
「ミカ……!」
私は思わずぎゅっとミカを抱きしめる。腕の中にある逞しい体が、ぴくりと跳ねた。
「ル、ルカ……! お前っ……!」
嬉しくて、嬉しくてたまらない。その手をとって良いのだと、ミカを諦めなくて良いのだと。そう思っただけで、いてもたってもいられなくて。
視界の端にしばらくミカの手がふわふわとチラついてから、そっと、その手が背中に回される。
不器用なその手は、とても温かかった。
「どんな未来が待っていようと守ってみせる。過去も未来もひっくるめて、お前の全てを愛してる」
どこまでも甘い言葉が、私の理性と思考を溶かしていく。愛が囁かれるたびに、陳腐な理論や理屈なんて、どうでもいいような気がするほどに。
ミカは喉を鳴らしてから、背中に回した手にぐっと力をこめる。
力強い腕が、私の体を、心を締め付ける。
「俺と結婚してくれーーールカ」
ミカの体温が、全身を通して伝わってくる。早鐘を打つ鼓動は、もはやどちらのものなのかもわからない。
「私も……私も、ミカを愛してる。どんな困難も、ミカと一緒に超えていきたい。私と一緒に、生きて欲しい……!」
理性も躊躇いも、全てが熱に溶かされて。その後に残ったのは、ミカを求める言葉だけだった。
「……当たり前だろ。俺は2度と、お前を離さない。何があってもだ」
優しさの中に潜む、重い重いミカの執着。それが垣間見えた瞬間、脊髄まで砂糖水につけられたような甘美な感覚と、全てを肯定された時のような安堵が心を支配した。
わずかに、ミカの腕が緩められる
「ミカ……?」
不安気に声が揺れた直後、ミカの瞳が、すぐ目の前に現れた。吐息がかかり、まつ毛が触れる。耳まで赤く熱を持ち、眉を顰めたその顔から、目が離せない。
「悪い……やっぱり今回は、我慢できねぇ」
その声に、答える時間は与えられなかった。ただ目を伏せて、与えられた感覚に身を任せる。
……未来がどうなるかは、わからない。でも今この時だけは、私の世界は言葉にできない幸せで満ちていた。
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