サフィーロの想い
サフィーロはアリアを見ながら考えていた。
毎日、部屋の前で自分のことを待ち、まじないをかけ一言二言会話して帰っていく。最初はまじないなどはったりで、自分に復讐しようと様子を伺っているのではないかと警戒していた。だが、まじないでよく眠れるようになった。あの何気ない会話には意味などあるのかと思っていたが、聞かなければ落ち着かないと思うようになった。
そして、スカラシュタインを良くするために協力すると言う。アートボーデンの王女からすれば敵ではないのか。何を考えているのだ。なぜそこまでするのだろう。
この世に自分の損得を考えず行動する人間などいない。国王や兄はもちろん、今まで自分に関わってきた人間はみんなそうだった。権力に媚びを売る名家の者、財力欲しさに自分の機嫌を取ってくる者、自分を踏み台にして国王と近づこうとする者もいた。だが、それは世の常だ。そういう人達を利用することも国王は長けている。利用して、使い捨て、思い通りに事を動かすことができるのだ。そうでなければ、ここ数年の我が国の発展はなかったと言える。
自分もその駒の一部だと気づいたのは、いつだっただろうか。幼い頃は、国王や何でも卒なくこなす兄に認められようと必死だった。学問、武術、軍事に関すること、どれもひたすらに学び実践してきた。ただ、兄には及ばなかった。年齢を言い訳にした所で誰も聞いてはくれない。どうすれば使い捨てられず、国王の信頼を得られるかを考える日々だった。
そんな時、自分にもチャンスが巡ってきた。フォレスタンドとアートボーデンの攻略だ。自分に任せると言われ、策を巡らせてほとんどが上手くいった。アートボーデン王を取り逃した以外は――事実上、二カ国はもう支配下に入っている。アートボーデン王も大きな傷を負っているはずだ。あともう一歩のところまできているのだ。なんとしても王を捕え、統一を果たしてみせる。そう思っていた。
彼女を迎えたのが間違いだったのだろうか。人質にすれば、何かとスムーズにいくかと思い、保険のために連れてきたようなものだった。だが、彼女といると自分のやってきたことを否定されたような気持ちになる。それなのに、自分の存在を肯定してくるのだ。自分の中の何かが崩れ、今やっていることの意味を見失ってしまった。自分のためではなく、国のために動くということを嫌でも考えさせられた。国王や兄のしていることは、スカラシュタインのためなのだろうか? 一度持ってしまった疑念は消えない。今まで自分が、王家がしてきたことは国民のためになっているのだろうか。
自分のやらなければならないことが見えた気がした。彼女と一緒ならできるかもしれないとも思えた。そこに、たとえどんな真意があっても、信用しても良いのではないかと思ったのだ。初めて自分の意志で動き出すことができる気がする。
彼女はあの日から、すでに数回、街へおりて人々と交流しているようだ。自分も行くべきなのだろうが、仕事に追われ任せきりだ。
「今日も街へ行ったのか」
「はい、今日は隣の街まで。あまり城下の街と変わりません。皆、寒さと貧困に苦しんでいます。あとは若い者がいないと嘆いておりました。兵士にとられてしまうと」
「そうか……我が国は兵役があるからな」
「働き手がとられてしまうので、高齢になった者たちにも労働の負担がかかっているようですね」
「兵役の見直しをできないか、提言してみることにする」
彼女は少し申し訳なさそうに尋ねてきた。
「あの……アートボーデンやフォレスタンドの様子はその後どうですか」
「だいぶ復興して、元の産業ができそうだと聞いている」
「それはよかった……冬は農業も林業も元々滞りがちなのです。ですが、冬の間の準備が来年に影響しますから」
笑顔の中に、寂しさが入り混じっていた。
「……帰りたいか」
「えっ?」
「アートボーデンへ」
少し間を置いて、彼女が言う。
「いいえ。しっかりお別れをしてきましたから。今はこの国ために出来ることをしたいと思っています。民たちの声を聞けばなおさらです」
「そうか」
自分は聞いてどうするつもりだったのだろう。「帰りたい」と言われたら帰すつもりだったのだろうか。今は彼女の力が必要なのに。
「また、街の様子を聞かせてくれ」
「はい」
そう言うと部屋へ帰っていく。もう少し、話がしたい。だが何を言えばいいかわからなかった。
「サフィーロ様」
部屋を出る前にこちらを振り返って言う。
「今日は一段と寒いので、お風邪を引かれませんように」
「ああ」
「おやすみなさい」
「待て」
「はい、どうされました?」
「……いや、暖かくしろ」
「ありがとうございます」
では、と部屋を出て行った。いつも彼女が去った後に襲う、この言い表せない気持ちは何なのだろう。それがよく分からず眠りにつくまでが日課になっていた。
国王と兄の今回の遠征は、数ヶ月の予定だ。その間にまずスカラシュタインの改善案をまとめたい。税や兵役の軽減は急務だ。貧困の是正には時間がかかる。すぐに行えることから手をつけなければ。書類仕事に没頭していると、執務室に慌ただしく兵士が入ってきた。
「サフィーロ様! アリア様が街で男に襲われ怪我をされました」
「なんだと? 彼女はどこにいる?」
頭が真っ白になり、部屋から出ようと立ち上がる。
「そんなに急いで報告しなくても、良いと言ったではないですか」
左腕に包帯を巻いた彼女が、部屋へ入ってくる。
「申し訳ありません、お忙しいのに。様子を見て私が報告しようと――」
言葉の途中で強く彼女を抱きしめた。
「サフィーロ様……?」
すぐに体を離し、何事もなかったように言う。
「その……怪我は大丈夫なのか」
彼女は驚いた様子のまま答える。
「大丈夫です」
「怪我をさせた者はどこにいる?」
「そのことなのですが、罰さないで欲しいのです」
「それはできない。王家が軽んじられる」
何より、彼女を傷つけたことが許せない。頭に血が上る。
「お願いです。私の怪我も大したことありません。それに、権力で抑えつけている国を変えるのでしょう?」
彼女が懇願する目で自分を見る。
「本当にいいのか」
「はい。話を聞くと貧困で苦しみ、自暴自棄になったようでした。後悔もしていましたし、繰り返すことはないと思います」
彼女の包帯には血が滲んでいる。それを見ると許し難かったが、彼女の言う通りだ。今回は咎めないことにした。
彼女の強さに驚いた。それと同時に自分が冷静でいられなくなったことにも動揺した。
その後も彼女は街へ行くことをやめなかった。兵士を数名付けるよう言ったが、彼女は嫌な顔をし一人で行くと聞かなかった。結局、街の入口まで付いて行き、兵士はそこで待つという方法が取られている。それではあまり意味がないと思うのだが。
国王と兄が遠征から戻ってくる知らせが来たのは、それからさらに一ヶ月ほど経った頃だった。国王に自分の意見を提案するのは初めてではないが、今までは国王がやろうとしたことに対して自分の案を述べてきた。今回は違う。自分がやろうとしていることを、提案するのだ。いつもと違う緊張感があった。
「これで、民たちの生活が少しは楽になってくれると良いですね」
改善案に目を通した彼女が言う。
「国王が承知するかどうかだが」
「まずは話を聞いてもらいましょう」
「そうだな……」
少し緊張しながら頷くと、彼女が言う。
「緊張を解くおまじないをしましょうか?」
「いや、国を左右することだ。少しくらい緊張しなければ」
「それもそうですね」
ふふっ、と穏やかな笑顔でまた書類に目を通す。それだけで心強く感じた。
国王達が帰ってきた。今回の遠征は、抵抗する勢力に阻まれあまり上手くいかなかったようだ。
「国王陛下。後ほど、申し上げたいことがあります。お時間をいただけますか」
「まずはロバインを通せ」
それだけ言うと去っていった。直接話したかったが、仕方ない。
兄上と執務室で向き合う。
「……これを実行したいと言うことか?」
書類に目を通した兄が言う。
「はい。このまま国内の状況を改善しなければ、国民の気持ちは離れ、国力も兵力も下がってしまうと思うのです」
「私はそうは思わない。今までそうしてきたのだ。国民の気持ち? 馬鹿馬鹿しい。そんなものは力でなんとでもなるだろう。父上もそう言うと思うが。こんなことをするために、国を任せたのではないだろう」
「ですが!」
「この話はこれで終わりだ。サフィーロ、権力を使い国家を強く保つことを考えろ。だから、いつまで経っても父上に信用されないのだ」
「兄上は、この国が今のままでたいとお考えですか」
「いや。スカラシュタイン家がさらに力を広げるべきと思っている」
「そのためには国内の民をまず……」
「必要ない。お前はやれと言われていることをやればいいのだ」
そう言い残して兄は部屋から出て行った。
「そうですか……ロバイン様も国王陛下と同じ考えなのですね」
話を聞いて、残念そうに彼女が言った。
「そう簡単にいかないのはわかっている」
「私も出来ることを頑張ります」
彼女は国民と関わり寄り添うことで、支えてくれている。それを無駄にしたくないと思った。
その後も毎日のように国王に話を聞いてもらおうと会いに行くが、取り合ってもらえない。だが、国王に話をつけて行動に移せるよう準備をすすめていた。まずは納税の大幅な軽減と、徴兵されている若者の退役の繰り上げだ。国内は実質、スカラシュタインが支配しているため兵士も漸減しても良いだろう。
様々なことを考えていると、いつの間にか夜が更けていた。時計を見るともう日付が変わっている。
……おかしい。今日は彼女が来ていない。これだけ遅くなる日は、彼女が休む前に執務室にも顔を出してくれる。何かあったのだろうか。胸騒ぎがした。
誰かがドアをノックしている。サフィーロ様が早くお仕事を終えたのだろうか。
「はい、どうぞ」
ドアを開けると兵士が立っていた。見かけない顔だ。他の兵士より屈強そうで少し怖さを感じた。
「国王陛下がお呼びです」
「私を?」
「はい」
サフィーロ様も会えていないと聞いた。私に何の用だろう。兵士に続いて国王の部屋に入る。
「失礼いたします」
部屋の国王陛下は机に目を落としたまま、話す。
「サフィーロに余計な入れ知恵をしているのは、お前か?」
国王陛下の声は、とても威圧的だった。答えたいけれど、声が出せない。私はなんとか言葉を紡ぐ。
「そんな……私はただ街の様子をお伝えしているだけです」
「それが余計なのだ」
そう言って私の方を鋭い眼差しで見た。私は石になるような思いだったが、意を決して少し早口で言った。
「サフィーロ様はこの国をより良くしようと努力されております。お話だけでも聞いていただけませんか。苦しんでいる国民を助けようとしているだけなのです」
国王がこちらをじっと見ている。
「こんなのに絆されるとはな。あの出来損ないが」
「そんなこと……!」
「連れて行け。考えが変わるまで、だ」
「何を……」
「出来損ないにもそれなりに動いてもらわねば困るのだ。外の国の平定に忙しいのでな。アートボーデンの国王を誘き出すのにも使えるかもしれんし、命まではとらんつもりだが、わかってはもらわないとな」
そばにいた兵士に腕を掴まれ、手首を縛られる。
「やめて!」
私は国王を睨む。
「あとはサフィーロをどうするかだな……」
部屋を出る間際、そう国王が呟いているのが聞こえた。
私はそのまま地下牢へ連れて行かれた。最初に来た時の部屋よりさらに地下にあり、暗く、寒く、ジメジメとした空気に恐怖が募る。そして寒さも一段と感じた。最奥の部屋まで進むとそこには大きな水瓶が置いてあり、体格のいい兵士が2人いた。
「さて、何から始めましょうか」
そう兵士の1人が言った途端、頭を掴まれ水瓶の中に顔を沈められた。
「……っ、はあ、はあ」
苦しい。水がとてつもなく冷たい。肌が痛い。息をつく暇はほとんど与えられず、何度も何度も冷たい水の中に沈む。
「ごほっ、ごほっ。もうやめて……」
「それはあなた次第ですね。国王様の邪魔になることをしないと肝に銘じてもらわなければなりませんので」
「……サフィーロ様は、間違って、いないと、思っています」
「これではダメなようですね」
そう言うと、鞭を手に持ちこちらに近づく。
「傷になりますので、あまり使いたくはなかったのですが」
そう言いながら、不敵な笑みを浮かべ思いきり体を打つ。
「きゃっ……」
背中を打たれた衝撃と痛みで声が出ない。打たれたところから体がちぎれたように痛い。
「どうですか、考えは変わりましたか」
痛みで声を出せずにいると、もう一度打たれる。息ができない。痛みで気を失いそうだった。失えたらどんなに良かっただろう。何度も打たれて、意識は朦朧としてくるのに、痛みで気を失えなかった。
「そろそろやめておかないと、死ぬんじゃないか?」
「それは困るな。この辺にしておくか」
そんな声が聞こえて、私は意識を失った。
寒い。寒さで意識は戻ったが、起き上がる力はない。床の冷たさが体の芯まで伝わってくる。濡れた体の体温を、床ぎさらに奪っていく。背中の痛みで、息がうまくできない。
帰りたい……アートボーデンに。
「ウィン……怖い……助けて」
また意識が遠のいていく。また目が覚めるだろうか。もしかしたらこのまま……そう思っても抗うことができなかった。
誰かに抱えられられている。次に目が覚めた時にそう思った。傷の痛みと寒さで頭がぼんやりしている。抱えられた手から温かさが伝わってきた。暗くて誰かはよく見えなかった。そんなはずないけれど、ウィンだったらいいのにと思った。
「ありがとう」
そうその人に伝えた。今度はとても安心したのもあって、私の意識は再び遠のいた。
サフィーロはアリアのことを探していた。自分の部屋にも、彼女の部屋にも見当たらない。こんな遅くにどこかに行っているわけもない。まさか国王に何かされたのでは……と言う考えにたどり着く。怒りに震えながら、国王の部屋のドアをノックもなく開け放った。
「彼女はどこだ」
「何のことだ」
「とぼけるな!」
「それが私に対する態度か? ロバインから聞いたぞ。しょうもない策を練っていたと。それはその彼女の影響なのではないのか」
「彼女は関係ない!」
「そうは思えんがな。サフィーロ、お前にこの国を任せてこそ、外の国ことに集中できるのだ。余計なことをせず、ただ言われたことをすればいい」
サフィーロは国王の胸ぐらにつかみかかろうとしたところを、兵士に取り抑えられる。
「そんなことではこの国は衰退する」
「ほう、お前もない頭で色々と考えるようになったか。だが、考えが足りんな。それでは国を治められない」
「まあ、彼女に変な考えを刷り込まれないよう気をつけるのだな。彼女にも余計なことをしないよう言っておいた。そんなにあの女に入れ込んでいるのか? あれの利用価値があれとすれば、子どもだな。子を作れ。子どもが男だったら、強力な魔法が使えるかもしれん」
サフィーロは兵士に抑えられながら、国王を睨みつけた。
「明日からまた国を離れる。留守を任せる。二度と国民のためなどと言うな。この出来損ないが」
兵士に部屋の外に放り出され、扉が閉まる。国王への怒りと憎しみが募った。
彼女はどこだ。早く見つけなければ。様々な悪い想像が頭を駆け巡り、焦りを感じた。兵士達にも命じ探すが見つからない。地下で倒れているのを見つけたのは、辺りが明るくなってきてからだった。
「アリア!」
青白い顔で寒さに震えている彼女がいた。背中には多くの傷。意識はなかったが、抱き上げると弱々しい声で「ありがとう」と言った。自分の無力さをより痛感させられる。そして怒りが込み上げる。国王も、この国も、そして自分にも。何が国を変えるだ。自分で何一つ変えられていないじゃないか。変えなければ。いや、変わらなければ。
今、ある一つの考えが浮かんでいた。それを実行するなら、国王達の遠征中が好機だ。必ずやり遂げてみせる。そう心の中で誓った。