スカラシュタイン王国とサフィーロ王子
スカラシュタイン城はアートボーデン城よりずっと北にある。寒冷な気候であるため作物がうまく育たず、農業ではなく工業が発展してきたと聞いたことがある。お城が近づくにつれ、陽も傾き肌寒さを感じた。郊外まで来ると、機械が出す臭いだろうか、ゴムが焼けるような臭いがする。さらに街へ入ると、重油の臭いが漂っていてそれだけでも違う世界に来たことを思い知らされた。
私は思わず身震いする。不安が心の底から湧き上がってきて、呼吸が速くなる。自分の腕を抱きしめた。数時間前のウィンをそばに感じる。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら。
空にかろうじて橙色が残る頃、スカラシュタイン城に到着した。お城の扉は大きく、重厚な金属でできており中はやや薄暗い。お城にまで冷遇されているようだった。
サフィーロ王子の執務室へと案内される。
「サフィーロ様。アートボーデン王国の王女、アリア様がご到着されました」
「入れ」
「失礼いたします」と兵士がドアを開ける。
サフィーロが椅子に座ったまま、こちらを見る。
「改めましてアリア・ルクス・アートボーデンです。この度はありがたいお話をいただき王家一同、感謝申し上げます。これからどうぞよろしくお願いいたします」
と深々と腰を折ってお辞儀をする。
「こちらこそ、アートボーデンが支配下に……いえ、同盟を結べたのですからこんなに嬉しいことはありません」
嘲笑うように言って、椅子から立ち上がる。
「ところで、アートボーデン家の者は火や水の魔法が使えるんでしたね?」
「私は、使えません」
そう言うと、サフィーロの顔つきが変わった。こちらに近づき、俯いている私の髪を引っ張り上げながら言う。
「使えない? そんな嘘通用すると思うのか?」
「嘘じゃありません……私は、魔力が弱く、父や兄たちのようには使えないのです」
痛みに顔をゆがめながら言う。それを聞くと思い切り掴んでいた髪の手を離すので、私は地面に倒れ込んだ。
「ふん、利用価値があると思ったのだが間違いだったか。地下室にでも入れておけ」
「サフィーロ様!」
「俺のことを気安く呼ぶな」
私を見た目は恐ろしく冷ややかだった。
抵抗もむなしく二人の兵士が私のことを地下室まで連れて行き、扉を閉め、ガチャンと大きな音がなって鍵がかけられた。地下は光がほとんど届かないため床は冷たく、寒さが身に染みる。ほとんど地下にある牢屋だ。粗末だがベッドがあるだけ良いかもしれないと思った。
ベッドはあるものの、薄い毛布のみで夜の寒さは凌げるものではなかった。横になれず丸まってベッドの上に座ってガタガタと震えながら目を瞑る。
「これからどうなるの……」
寒さだけではなく、この先への不安が私の心に渦巻いていた。
翌朝(といっても、窓がないので時間はよくわからないのだが)、硬いパンと水が届けられた。食べると口の中の水分がなくなるようなパンだった。どれだけ食事はもらえるだろうかと、パンも水も少しずつ摂ることにした。一緒に来たメイド達は大丈夫だろうか。ひどい目にあってないことを祈るばかりだった。
食事は夜には冷え切ったスープがもらえた。少ないが残っていたパンと一緒にとれぱ空腹の足しにはなる。正直なところ、食欲なんてないのだが、食べることで少しは元気が出そうな気がして無理やり食べた。
次の日、その次の日も私が部屋から出してもらえることはなかった。夜の寒さで体力が削られる。このままここで死ぬのかも、とも思った。私が死んでもアートボーデンとスカラシュタインは同盟を結んだままでいられるだろうか、また攻め込まれたりしないだろうか、そんなことが頭をよぎった。
それからさらに数日経って、私は部屋から出してもらうことができた。サフィーロ王子に呼ばれたのだ。王子の部屋に入ると苛立った様子でこちらを見る。
「お前の父親は、どこにいる」
「父は……アートボーデンに帰って来ていません。兄の送った偵察隊も消息をつかめなかったと聞いています」
「本当か? お前は人質だ。それをわかった上で答えているな?」
じりじりと詰めよられ、また手をあげられるのではないかと身構える。もっと酷い目にも合わせられるぞという脅しなのだろう。
「はい」
私は怯えながら答えた。
そうとしか答えようがない。スカラシュタインが、お父様の消息を掴んでいないのは意外だった。ではお父様はどこにいるのだろうか。生きているのではと少しの希望が芽生える。
サフィーロ王子は私の様子を見て、嘘ではないと判断したらしく、側にいた兵士に苛立ちを含んだ声で指示を出す。
「捜索隊の数を増やせ。何としても見つけ出すんだ。生死は問わない。それと王女を部屋に案内しろ。死なれては困るからな」
そう言って私は部屋を出された。兵士が部屋に案内してくれる。入るとそこには、一緒にこちらに来たメイド達がいた。
「姫さま!」
メイド達が駆け寄ってくる。私も二人の顔を見て安心する。
「こんなにやつれて……」
「ありがとう、大丈夫よ。あなた達は大丈夫だった?」
「はい、私たちは。仕事は大きく変わりませんから」
と言って微笑んだが、彼女たちの手にはあかぎれが出来ている。寒い中、水仕事ばかりさせられたのだろう。二人の手を取り言った。
「大変だったわね。荷物の中にある、傷薬を使って」
「ありがとうございます。……姫さま!大丈夫ですか!」
私はフラフラとしゃがみ込んでしまった。
「……大丈夫、よ。少し目眩がしただけだから」
「姫さま、さあ休まれてください」
ここ数日の疲れが出てしまい、ベッドで休ませてもらった。
気がつくと夕方になっていた。今朝までは寒さでよく寝られていなかったが、部屋のベッドは暖かく、ゆっくり眠ることができた。夢の中で、ウィンに会っていた気がする。何も知らないように、優しい笑顔を向けるから私が拗ねて、またそれを見てウィンが笑う。そんな幸せな夢だったと思う。
その夜、サフィーロ王子に部屋に呼び出された。部屋に向かう足取りが重たい。部屋の前で大きく深呼吸して、ノックする。
「アリアです」
「入れ」
扉を開けると、サフィーロ王子はリネンのナイトウェアにガウンを羽織り、窓から外を見つめて立っていた。
「遅い」
「……申し訳ありません」
「こっちへ来い」
恐る恐る近づくと、手首を取り強引に私を引き寄せた。
「やめてくださいっ」
私はサフィーロ王子を睨みつけながら言った。恐怖で手は震えていたけれど。
「なぜだ? 俺とお前は夫婦だろう」
「愛してもいないのに?」
「ふん、愛? そんなものあるわけがないだろう。そんなものは幻想だ」
「かわいそうな人」
「何だと?」
手首を掴む手に力が入る。
「愛を知らないなんて」
私はサフィーロ王子を見る。怒っているのだろう、息が荒い。だけど深い青色の瞳が、ほんの一瞬、寂しげに揺れたように見えた。
少しの沈黙の後、私は突き飛ばされた。
「出て行け」
サフィーロ王子はそう言い背中を向ける。私が立ち上がって扉に向かって歩き始めると、背後でどさっと音がした。振り返ると王子が倒れている。
「サフィーロ様? 誰か!来て!」
部屋の外に控えている兵士が、慌てて入ってくる。
「貴様! サフィーロ様に何をした」
兵士たちは剣を抜く勢いだ。
「私は何も……医者を呼んでください。ひどい熱です」
息が荒かったのは熱のせいだったのか。兵士や執事達が看病にあたる。医師によると過労からくる風邪とのことだった。
兵士達から刺さるような視線を向けられていたが、医師が風邪と判断したことで私への疑いは晴れた。何となく部屋に戻りそびれてしまって、ベッドで眠るサフィーロ王子を見つめる。
この人がアートボーデンに来なければ、ウィンやお兄様や騎士達、国民のみんなもひどい目に遭わなかった。そう思うと憎しみが込み上げる。このまま復讐できないだろうかとも思った。でもそれはアートボーデンのためにはならない。
それと、あの一瞬、寂しさが揺れた目思い出して何とも言えない気持ちになった。
うなされていたので、体力が回復するおまじないと心が安らぐおまじないをかける。すると穏やかな顔で眠り始めた。
「何をされたのですか……?」
そばに控えていた執事が驚いた顔をして、聞いてきたのでおまじないのことを話した。
「すみません……出過ぎた真似を。苦しそうだったので」
「いえ……サフィーロ様は、最近眠れておりませんでした」
静かに執事が話し出す。
「奇襲をかけられ、強引にアートボーデンから連れて来られたアリア様にお話するのはどうかとも思うのですが……どうか老人の言う事だと思ってお許しください。サフィーロ様は幼い頃から国王陛下の厳しい教育をされてきました。兄であるロバイン様と比較され、常に競う事を強いられていました。ロバイン様はなんでも卒なくこなす方で……サフィーロ様は常に劣等感のようなものを抱えておられました。唯一の心の拠り所であった母上様が亡くなってからというもの、心が本当に休まることはなかったと思います。最近は国王陛下が他国の侵攻に力を入れており、サフィーロ様にもより結果を求められておりました。やり方が強引すぎるという声ももちろんありましたが……焦りから追い詰められていたのだと思います。近頃は、精神的なものだったのでしょう、ほとんど眠ることができず、眠れていてもうなされて起きるという状態でした。こんなに穏やかな顔で休まれているサフィーロ様を見るのは本当に久しぶりです。ありがとうございます」
執事が深々と頭を下げる。それでも私の大事な国を、人を傷つけたことに変わりはない。だけれど、あの寂しそうだった訳が少し分かった気がした。
「お母上はいくつの時に?」
「五歳の時に。ご病気で亡くなられました。その時からサフィーロ様は子どもである事が許されなくなってしまったのです」
そんなに幼い子どもが母親を失うことだけでも辛いのに、甘えることも出来なくなってしまったなんて。子どもの頃のサフィーロ王子を不憫に思った。
「そうだったのですか……」
威圧的で、傲慢な態度は、厳しい教育と気を許すことなく育ったための心の鎧なのかもしれない。サフィーロ王子が本当はどのような人なのか、知りたいと思った。この人と名ばかりでも夫婦になって、これから一緒にいなければならないのだから。
「あの、第一夫人や第二夫人は? こちらに来てからお目にかかれていなくて」
「お二方はもうお城にいらっしゃいません。サフィーロ様が幼少期に、スカラシュタインの名家のお嬢様方と続けて政略結婚されたのですが、そのお家が事業の失敗などで力を無くしまして。その際に国王陛下が離縁させていますので。ほとんどお城でも顔を合わせることもなく、奥様達はご実家へ追い出されておりました」
今までの結婚も政略結婚で心を許せる人は少ないのかもしれない。そう思うと大変な人生を送ってきたのだなと思った。
サフィーロ王子の部屋を出て、自室に向かいながら改めて考える。アートボーデンのことを考えるとまだ許せない気持ちも当然あるけれど、ただ憎んで、恨むのも違う気がした。
翌朝も気になって、サフィーロ王子の部屋を訪れた。まだ寝ていたが、熱は下がっているようだ。明るいところで顔を見ると、とてもやつれているように見えた。
サフィーロ王子が目覚めても何を話したら良いかわからない。私は彼の寝ているうちに部屋を出ようと立ち上がる。ふと寝顔を見ると、彼の目から涙がこぼれていた。それを見ると行くに行けなくなってしまって、また椅子に腰掛けた。不安を軽くするおまじないをかけてみる。なんとなく彼の弱さを見ているようで気が引けて、やっぱり部屋を出てきた。
お昼頃、国王陛下と第一王子のロバイン王子が帰国するため出迎えるよう知らせがあった。アートボーデン、フォレスタンド、スカラシュタインは地続きなのだが、二人は海を超えた異国にも支配を広げようと遠征に行っていたのだ。
出迎えるためにお城の入口まで行くと、執事達が総出で迎える準備をしていた。サフィーロ王子の姿もそこにあり、私は近づいて声をかけた。
「サフィーロ様、お加減はいかがですか」
「余計なことを言うな」
彼の顔色は青白く、冷や汗もかいている。それ以上聞く前に、
「国王陛下、ロバイン王子のご到着です」
と、合図があった。
まずロバイン王子が入ってきた。深い紅の瞳で出迎えの者を一瞥する。ロバイン王子の目はサフィーロ王子のそれと比べものにならないくらい冷淡だった。
「お早いお帰りで」
とサフィーロ王子が言う。
「予定よりも早く事が進んだ。お前はどうだ? アートボーデンの国王は始末できたのか?」
その言葉を聞いて、私は冷水を浴びたようにすくんだ。
「いえ……兵士達に捜索させていますがまだ見つけられず……」
「いつまで時間がかかっている? こんな小さな国に。それは?」
私の方を見て言う。
「これはアートボーデンの王女です。第三夫人として迎えました」
「そんなところに置いておかずに上手く使え」
「はい。必ず国王を見つけ出し完全に支配下に入れてみせます」
サフィーロ王子の最後の言葉を聞く前に、ロバイン王子は城の奥へと入っていった。
その後すぐに国王が姿を現した。その瞬間、辺りの空気が一変した。いるだけで圧倒されるような威圧感と恐怖がその場を支配した。息苦しさを感じるほどだ。
「国王陛下……」
跪いてサフィーロ王子が声をかけるも、国王陛下は見向きもせず去っていった。固まっているサフィーロ王子を見ると顔には悔しさが現れていた。
サフィーロ王子の冷酷さとは比べ物にならないものを感じ、私は怯えていた。スカラシュタインは目的のためなら手段を選ばない。ロバイン王子が言った、私のことを「上手く使え」とはどういう意味だろう。私はアートボーデンがひどい目に合わないならと、こちらに来たけれど、そのせいで何か起こったりはしないだろうか。そこまで考えていなかった。考えるほど怖くなった。
数日後、国王とロバイン王子は再び遠征に出かけていった。この数日の間にサフィーロ王子は二人から様々なことで叱責されたと噂で聞いた。城内で見かけた時には、疲弊し、いつにも増して苛立っているように見えて、私は近づかなかった。
また眠れていないのではと思い、その日の夜、サフィーロ王子の部屋を訪れてみることにした。夕食後に訪ねるが、返事がない。まだ執務室にいるようだ。一度部屋に戻って出直し、再度訪ねてもまだ部屋に戻っていないようだったので私は部屋の前で待つことにした。そろそろ日が変わろうかという頃、サフィーロ王子は部屋に戻ってきた。
「サフィーロ様」
私に気がついてサフィーロは驚いた顔をした。
「ここで何をしている」
「ここ数日、疲れたお顔だったので少しその……気になって」
私は自分の言葉にはっとした。私、この人を心配しているのか。敵国の王子を? それでいいのだろうか? もう少しサフィーロのことを理解しようと思ったのだから、間違ってはいないのだろうか。短い間に自問自答をしていた。
「何か用か」
そう言われて我にかえる。
「いえ、これだけしに来ただけですので」
サフィーロに近づくと彼は警戒した。私は構わず、心の安らぐおまじないをかけた。
「おやすみなさい」
そう言って自分の部屋へと戻る。
「待て。何をした?」
「私は魔法は使えませんが、おまじないは使うことができます。今かけたのは、心の安らぐおまじないです」
「このために待っていたのか?」
「はい……また、明日も来ます」
サフィーロ王子はまだ何か言いたそうだったが、私は足早に部屋へ戻った。夜の寒さが体をひしひしと包む。窓から月明かりが見えて、ウィンのことを考えた。
「ウィンも見ているかな……」
そう考えると、懐かしさと寂しさが込み上げた。
その翌日も、サフィーロ王子は遅くまで執務室にいた。私は部屋の前で待つ。昨日よりは早く、彼に会うことができた。
「また来たのか」
「はい」
「これは、魔法ではないのか?」
おまじないを受けながら、サフィーロが聞く。
「いえ、そんなに強いものではないのです。おまじないですから。おやすみなさい」
その翌日も、翌々日もと彼の仕事が終わるのを待ち、おまじないをかけた。少しずつ、顔色がよくなっているように見えた。部屋の前で待って、おまじないをかけて少し話をする。そうすることで、不思議と彼に対する恐怖は無くなっていった。
「昨日はよく眠れましたか」
「……ああ」
「スカラシュタインは寒いですね。まだ寒くなるのでしょう?」
「そうだな」
「何枚も着込まなくてはなりませんね。アートボーデンはこの時期にこんなに寒くなることはありませんので。サフィーロ様もお風邪を引かれませんように。おやすみなさい」
こんな他愛もない話で私が一方的に話すことが多かったけれど、彼も何も言わず聞いてくれていた。
そんなことが三ヶ月ほど続いたある日、執事が「お届け物です」と荷物を持ってきてくれた。何かと思って開けてみると、中には暖かそうなベロア生地と毛皮を使ったガウンが入っていた。
「まあ! これは?」
持ってきてくれた執事に聞くと、サフィーロ王子からの贈り物だと言う。私が話したことを覚えていてくれたのだと思い、もらったもの以上に心が暖かくなった。
その日の夜はもらったガウンを来て、サフィーロ王子の部屋へ向かった。
「サフィーロ様、素敵な贈り物をありがとうございました。とても暖かいです」
「そうか」
淡々と返事をしていたけれど、その表情は少し照れているように見えた。それはとても不器用だけど、優しい人のものだった。
こうして毎日会って話していると、サフィーロが王国を襲撃してきたことを忘れそうになる。卑劣な手を使ってウィン達を苦しめたことも、お父様を殺そうとしているのも、この人の命令なのだ。それを思うと憎しみをぶつけたくなるが、感情のまま行動しても何も良い結果は生まない。それに、もう少しこの人を理解しようと決めたのだ。なぜだか、私が嫁いできた時の、荒々しさはなくなっている気がした。
それから少し経ったある日、夕食後に来るよう言われて部屋に行った。サフィーロ王子はすでに部屋の中にいた。
「今日は早くお仕事が終わったのですか」
「ああ」
「連日遅かったですから。今日は早くお休みになってください」
「少し話をしたいのだが……いいか」
「はい、なんでしょう」
椅子に座るよう促され、腰掛けた。サフィーロ王子は少し話づらそうに話し始めた。
「……俺は、国王にフォレスタンドとアートボーデンを支配下にいれるよう命じられて、動いている。国王はすでに海の向こうの土地の平定の計画をして、兄と共に遠征し、国内のことも、滞りなく物事が進むように任されている。今までも国王に言われた通りに実行するのが役目で、言われたことをこなしていた。抜け目なく、完璧に実行することが求められていて、多くを考えてなどいなかった……けれど、今回の二カ国への襲撃は計画から実行まで任され、上手くいくか不安で仕方なかった。現に、アートボーデン国王を取り逃がし、上手くいっていないのだが」
サフィーロ王子は苦笑した。
「国王や兄ならば、もっと上手くやるのだろう。だが、考えれば考えるほど、何が良いのかわからなくなってしまった。襲撃の件だけではない。国内のことも任され、書類に目を通しているうちに国民は苦しい生活をしているのだろうと思うようになった。今までもそうだったのだと思うが、自分が評価されることに必死で国のことを考えるということをしてこなかったんだ。今さら気づいても遅いのかもしれない」
サフィーロ王子は私に話すというより、自分の気持ちを整理しているようだった。
「その……すまなかった。アートボーデンのこと」
サフィーロ王子が小さな声で言ったので、聞き間違いかと思って聞き返してしまった。
「えっ?」
「まじないをかけてもらっていくうちに、その……謝りたくなったのだ。あの時は必死で自分の国のことも、他国のことも考えてなどいなかった。謝ってもどうにもならないのは分かっている。憎しみや怒りも消えないだろう。それでも謝っておきたかったのだ」
サフィーロ王子の言葉を、私は静かに聞いていた。
「長くなってしまった。もう戻っていい……なぜ、泣いている?」
この人は、本当は優しい人なのだと私は思った。けれど、スカラシュタインに生まれて、孤独に育った。自分の存在する価値を他者に認めてもらうには、国王の望むことを完璧にこなすことを求められた。誰にも心を許せず、周りに隙を見せず必死に色んなものと戦ってきたのだ。それが不憫でならなかった。
私にはウィンがいた。ウィンの前では、王女でいなくてよかった。いるだけでいい、と言ってもらえた。それがどれだけ幸せなことだっただろう。
「遅いことなど、ないと思います。私にも力になれることがあれば、おっしゃってください」
彼の手に自分の手を重ねた。サフィーロ王子は少し驚いていた。
「何からすれば良いのか……考えているのだが良い案が浮かばない」
「国民の声を聞くところから始めてはいかがですか? 私はよく街へ行って人々と話しておりました」
「私に話などしてくれるだろうか」
「それでしたら、私が代わりに参りましょうか。この国の街の様子も見たいと思っていたのです」
「……頼んでもいいだろうか?」
「もちろんです」
この国が少しでも良くなるように、私ができることを頑張ろう。私はこの国の王子の妻となったのだから。