ウィンとの別れ
薄々勘づいてはいたけれど、考えないようにしていた。スカラシュタインに捕らえられているのではないか、逃げ延びて傷つきながらでもこちらに向かっているのではないかと考えることもあった。言葉で言われるとそれが現実として重くのしかかる。
「そんな……何を根拠に」
「フォレスタンド王国に送った偵察隊が、フォレスタンド城内に姿はなかったと。激しい戦闘で城は大きく損傷していたらしい。捕虜として連れて行っていたら、同盟の話の時に人質として話をするはずだ。でも、そんな話は一切なかった。付近を捜索したが、父上と騎士長は見つからなかったと。状況からみて、亡くなったのではないかと考えている」
「うそよ……」
お兄様が私を抱きしめる。お父様が最後に母上を頼むと私を見つめたお顔が思い出される。
「父上が生きていれば、スカラシュタインとの関係性もここまで悪くならなかったかもしれない。もう少し抵抗することもできただろう。こんな状況でアリアをスカラシュタインに送り出すなんて、私はしたくない」
「お兄様……」
私も行きたいわけがない。許されることなら、ここにいたい。それでも――
「私が行けばアートボーデンはなくならないのでしょう? これ以上民が傷つくことはないのでしょう? 今、同盟の話を反故にしてまた攻め込まれてしまっては国がなくなってしまうわ。それはいやなの。私はこの国が、この国の人たちが大好きだから」
私はお兄様のお顔を見て言う。
「だから、私行きます。お兄様」
泣いていて顔はぐしゃぐしゃだったけど、できる限りの笑顔で言った。お兄様も下を向いて泣いていた。お母様の目からも涙が溢れていた。
気持ちを落ち着けて、またウィンの元に向かった。今は、ウィンの側にいることが平静さを保つ唯一の方法だった。
ウィンはまだ眠り続けているが、傷も治ってきているし顔色も良い。呼吸もやっと楽そうで少し安心できた。そろそろ目を覚ますだろうか。
すっかり辺りは闇に包まれ肌寒くなり、ショールを羽織る。まだ少し熱があるウィンの手は温かい。
「ウィン、聞いて。私、スカラシュタイン家にお嫁に行くことになったの。こんな私でも、もらってくれる人がいたよ。安心した? ここを発つ前に、もう一度話したいな。『おめでとう』って言ってよ」
眠っているウィンに静かに話しかけてみる。目覚めてほしい気持ちは本心だ。だけど、ウィンと話したら決意が揺らいでしまうような気もした。
「本当は……あなたのお嫁さんになりたかった……」
誰にも届かない言葉が闇に溶けていった。
次の日は、様子を見るために街へおりた。街では、人々が少しずつ片付けをしていた。
「姫さま!」
片付けの傍らで遊んでいた子どもたちが、私に気付き駆け寄ってくる。
「みんな、無事でよかった」
たくさんの子ども達をいっぺんに抱きしめる。その様子に気づいて、大人達も集まってきた。
「姫さま! ご無事でよかった」
「みんなも。でも街がこんなになってしまって……」
「生きていれば何とでもなりましょう。オリバー様や騎士の皆さんが私達を逃がしてくれたので、けが人もいなかったのです。感謝しかありません」
その言葉を聞いて、また涙が出てくる。
「必ず、復興しましょうね。してほしいことがあったら遠慮なく、お兄様に言ってね」
そう言うと、街の人々は不思議そうな顔をした。
「どうしてアリア様じゃなくて、オリバー様なの?」
「私ね、スカラシュタインにお嫁に行くことになったの。今日はみんなにお別れを言いにきたのよ」
「姫さまは、ウィン兄ちゃんと結婚するんじゃないの?」
「……それはできないのよ。お隣の国の王子様と結婚するの。だからもうここには来られなくなってしまうわ」
「どうして」「そんなのいや!」と子ども達が私に訴える。
「みんな元気に大きくなって、素敵な大人になってね。私も頑張るから」
私は何を頑張ったらいいのだろう……そんなことがふっと頭をよぎる。
「すてきってなに?」
「うーん、かっこいいってことかな」
「わかった! かっこよくなる!」
大人達は涙ぐんで話を聞いていた。
「しばらくはお城のみんなも忙しいから……薬を届けにくる頻度がきっと減ってしまうわ。ごめんなさいね」
「そんなこと……姫さま」
「みんな、ありがとうね。元気で。遠くからだけど、この王国のことしっかり見ているから」
これ以上長くいると、離れられなくなってしまう。堪えきれない涙を拭いながら、精一杯笑顔を作り、振り返って何度も手を振りながら、街を後にした。
その日の街の様子をまた眠り続けるウィンに話す。
「私は……スカラシュタインで何を頑張ったらいいんだろう……」
呟いても返事はない。
「こうやって悩んでいると、ウィンはいつも一緒に悩んでくれたよね」
ポロポロとまた涙がこぼれて、寂しい気持ちが込み上げる。
「泣いてばかりじゃダメね」
その日もおまじないをかけながら、ウィンの手の温もりを感じて眠ってしまった。
明け方、ウィンの横でベッドに突っ伏して寝ていると頭を撫でられ目が覚めた。
「……ウィン?」
「アリア様……風邪を、ひきますよ」
「ウィン! よかった……」
思わずウィンを抱きしめる。
「うっ……痛い」
「ごめん。気分はどう? 辛いところは?」
「うん……大丈夫……です」
まだ辛いのだろう、体を少し動かして顔をゆがめる。それなのに、私の風邪の心配なんてして。その優しさとウィンが目覚めた安堵でまた涙が出そうだった。
「あれから何日経ったのですか? オリバー様は?」
「三日よ。お兄様は大丈夫。他の騎士のみんなも怪我はよくなってきているわ」
ちょうどお兄様がやってきた。私に用事のようだ。
「ウィン、目が覚めたのか。よかった」
「オリバー様、申し訳ありません」
ウィンが体を起こそうとする。
「そのままで。よく戦ってくれて感謝している。しっかり治せ」
お兄様が私の方を見て言う。
「アリア、執務室に」
「ええ」
「ウィン、休んでてね」
またあとで、と執務室に向かう。
執務室に入るとお兄様が、静かに怒りをたたえて話す。
「アリア、本来ならスカラシュタインへは騎士も同行する予定だったのだが、向こうが同行は認めないと言ってきた。お付きのものは最小限にするようにと。婚礼の儀などもないそうだ」
「そう……騎士のみんなはまだ傷が癒えていないし、それがいいと思うわ。今はこの国を立て直すことにも人手がいるもの」
「すまない……」
「お兄様が謝ることじゃないわ」
うなだれるお兄様に言う。
「お兄様、この国をよろしくお願いします」
「何を改まって」
「なんだかバタバタして言いそびれちゃいそうだから。あとお母様のことも」
わかっている、と頷く。
「あと、お兄様。ご自分を大切にしてね。お兄様は真面目で優しすぎるから、他人を思ってばかり。もちろん国のことが一番なのはわかるけれど。お兄様が大事にしている人の中に、自分もいれてあげて」
「それは、アリアも同じだ」
「そうかな、気をつけます」
お兄様と笑い合って、部屋を出た。
出発の前日。私はメイド達と荷物の整理や部屋の片付けに追われていた。
「姫さま、こちらはお持ちになりますか」
「いらないわ、荷物が多くても、ね」
持って行くものはほとんどない。あまり多いと、アートボーデンのことを思い出して辛くなるから。
「アリア、いいかしら」とお母様とメイド達がお部屋に来た。
「あまりに急だから、間に合わないかと思っていたのだけど……メイド達が頑張ってくれましたよ」
そこにはアートボーデンの紋章があしらわれ、太陽の光が降り注ぐようなキラキラとした刺繍とレースのついた、素敵な白いドレスがあった。
「お母様……! 素敵……みんなもありがとう」
「姫さまにしてあげられることが、これくらいしかなく……」
「今までも十分してもらってるもの。感謝するのは私のほうだわ。それなのにドレスまで……みんな、あんなことがあって大変だったのに本当にありがとう」
「アリア、いらっしゃい」
お母様が私を呼びよせて、私にイヤリングをつけた。
「私が母からもらったものです。あなたに譲ります。いつも母はあなたを思っていますよ」
はい、と私はお母様を抱きしめた。
「長い間、お世話になりました。お母様、愛しています」
「私もですよ」
「私、お母様のようになれるかしら」
「私のようにならなくても、アリアにできることをすればいいのよ。あなたはしっかりと、国民のことを思うことのできる立派な王女になりました」
お母様をもう一度抱きしめる。
「さあ、準備をしてしまいなさい。明日は朝から忙しいですよ」
お母様に言われ、準備に戻った。
準備をしながら考える。覚悟を決めなくちゃと思っていたのに、そんなこと考える暇もなく決まってしまった。でも、王女としてはこれで良かったのよね。この身分で、この王家に生まれた以上、仕方なのないことなのよね。ウィンへの思いは、心の中にしまって……いえ、このお城に置いて行かないといけないのよね。
ウィンは歩けるまでに回復していた。仲間たちから寝込んでいた間のことを聞いたようだっで、私のことも聞いているだろう。今日は会いに行けていなかった。
夕食のあと、時間を見つけてウィンのところへ向かった。
「ウィン、体調は大丈夫?」
「アリア様……」
ウィンは複雑な表情を浮かべていた。
「その呼び方やめてって言ってるのに」
いつものように少しむくれて言ってみたつもりだけど、うまくできてただろうか。何を話せば良いかわからず、二人の間に沈黙が流れる。
「一昨日ね、街へ行ったの。街の状態はひどかったけど、みんな怪我がなくて、騎士のみんなに感謝していたわ」
「そうですか……」
また続く沈黙。話したいことはたくさんある気がするのに、何を話したらいいかわからない。
「休んでるところ、邪魔してごめんね。もう行くね。」
立ち上がると、
「アリア様……!」と手をつかまれ呼び止められる。
私はとてもドキドキした。なんて言ってくれるだろうと期待するのと同時に、何も言わないでと願った。
恐る恐るウィンを見つめるが、うつむいて彼も言葉に困っているようだった。
「おやすみなさい」
無理して笑って、部屋を出た。
これでよかったのだ。話をすればするほど、離れたくなくなるに決まってる。明日、発つ時に辛くなるに決まってる。
その夜はなかなか眠れなかった。三日月が心細く闇を照らしている。こんな数日で何もかも変わってしまった。けれど、大切なアートボーデンのための役割を見つけたのだからと自分に言い聞かせる。スカラシュタインに行ってからも、アートボーデンのために私にできることはあるだろうか。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠ってしまったようだ。部屋に朝日が差し込んで目が覚めた。眠った気がしなかったけど、朝からメイド達は慌ただしくしている。私もその慌ただしさにつられて、少し緊張していた。
「姫さま、お綺麗です。本当に」
仕度をしてくれたメイド達が言う。肩の下まである髪を結い上げお化粧をし、昨日仕上げてもらったドレスを着て鏡に映る私は、別人みたいだった。
「ありがとう」
これが愛する人との結婚だったら、どんな気持ちなのだろう。幸せな気持ちなのだろうか、ワクワクするのだろうか、それともやっぱり少し寂しい気持ちもあるのだろうか。
今の私は、悲しみが大半を占めていた。この国を離れるという悲しさだ。それに加えて相手がスカラシュタインの王子で同盟国というのは名ばかりの、敵国であるという不安や恐怖も渦巻いている。そして何よりも、ウィンへの思いが募って苦しかった。
出発までまだ時間があったので、私は城内をまわってから裏庭へ行くことにした。この目に焼き付けておこうと思ったのだ。ここはウィンと幼い頃遊んだ、思い出の詰まった場所だ。裏庭にある椅子に座って目を閉じる。楽しかった思い出ばかり浮かんできた。追いかけっこをしてはしゃいだり、木登りをして二人で怒られたり。
「アリア、こっち!」と勉強が嫌でメイドたちから逃げる私と一緒にかくれんぼしてくれたり。無茶をするのは私なのに、ウィンの方が怒られたりしてかわいそうになったこともしばしば。大きくなってからは、私のことを見守るように側にいてくれて、たくさん話も聞いてもらった。側にいてほしくて、話をしていたのかもしれない。「アリア様」と呼ばれるようになったのはいつからだっけ。仕方ないのだけれど、そう呼ばれる度に身分の違いがあるということを意識させられて嫌だったな。
お城の扉が開く音がした。出発の時間が来たのだ。メイドが呼びに来たのだと思い、もう一度裏庭を見て、心を決めてから振り返ると、そこにはウィンがいた。
「アリア」
「え……?」
暖かな風が吹く。昔の呼び方で私を呼び早足で近づくと、ウィンは私のことを強く抱きしめた。
「ウィン……?」
「ずっと、側にいたいと思っていた。遠くからでもよかった。一緒になれないことはわかっていたから……いてくれるだけでいいと思っていた。ずっとアリアの騎士でいられれば。それも叶わなくなるなんて」
ウィンの気持ちを聞き、涙が溢れる。
「ウィン……」
ウィンの背に手を回して、抱きしめる。
「私もよ、ウィン。いつも側にいてくれることが当たり前のようになっていて、それがずっと続くと思っていたの。そんなだからバチが当たったのかな? もっと……一緒にいたかった」
体を少し離して、茶色に光って揺れる瞳を見つめる。
「アリア、愛してる」
そう静かに言うとウィンは私にキスをした。それは、大切なものを壊さないようにするような優しい優しいキスだった。この数秒が、永遠になればいいのにと思った。
「行かないで」
ウィンが私をぎゅっと抱きしめる。
「ウィン、私、わたし……」
「何も、言わなくていいよ。わかっているから」
私を見て微笑む。
「アリア、とても、綺麗だよ」
ウィンが私を見つめて、私の顔に触れる。愛おしそうに、切なく笑って言う。
私も愛してると言いたかった。ウィンと一緒にいたいと言いたかった。けれども、それを言うとスカラシュタインへ行けなくなる気がして言えなかった。あの「行かないで」は優しいウィンが私のために言ってくれたってわかっていた。私が言って欲しい言葉だったから。
「行かなくちゃ」
私は自分に言い聞かせるように言った。
「アリア……」
「ウィン、ありがとう。さようなら」
そう言ってウィンの顔を見ずにその場を離れた。振り返らずに真っ直ぐ歩いた。愛しさという大きな波に、引きずり込まれてしまいそうだった。向かい風が吹いて、押し戻されそうになる。少しずつ早足になり、最後には駆け出した。ドレスのせいで動きにくい。やっとのことで表門まで辿り着いた。
「姫さま、どちらにいらっしゃったのですか」
メイド達が探していたようだ。
「ごめんなさい」
私が消え入りそうな声で呟くと、他の者たちはそれ以上何も言わなかった。
スカラシュタイン王国の使いが迎えに来た。花嫁を迎えに来る時には豪華な装飾を施した馬車であるのが一般的だが、迎えのそれは到底及ばないものだった。
「どこまで侮辱するんだ……!」
お兄様が歯を食いしばり目をとがらせる。
「お兄様、いいのよ。私は第三夫人なんだし。怒ってくれてありがとう」
お兄様をなだめる。
「私は大丈夫だから。お母様、お兄様、今までお世話になりました。行ってまいります。どうかお元気で」
と、お辞儀をする。お母様は涙ぐみ、うつむいている。
「アリア、気をつけて」
お兄様の言葉を聞いて、馬車へ歩き出した。私についてくるメイドはたった二人。一国の王女の嫁入りとしては異例というほどの、質素さだった。
馬車に乗り込み、アートボーデン城を見る。戦闘の跡が生々しく残るお城を見て胸が痛んだが、太陽の光に照らされ輝く様子は誇らしい気持ちにもさせてくれた。少しずつ小さくなって行く故郷を見ながら、涙を流さずにはいられなかった。