スカラシュタインとの同盟
お兄様は話し終えると「すまない」と言った。これは国民への思いなのだと思った。
騎士達は疲れているが、眠ることも食べることもできずにいた。無理もない。多くは戦争を知らない者たちだ。鍛錬している騎士達とはいえ、これだけの戦闘を心の準備なく強いられて、心が休まるはずがない。私も泣いてしまったことでどっと疲れたが、眠る気にはなれなかった。けれど、騎士達は休んだ方がいい。不安が強い人には心が休まるおまじないもかけて回った。
重病人への手当てが終わり、軍医たちに引き継いで私はウィンを探した。ウィンはホールの壁に寄りかかって座り、目を瞑って休んでいた。
「ウィン、怪我はみてもらった?」
返事がない。眠ることができているのなら、そっとしておいてあげよう。そう思い、立ち上がると肩の傷が目についた。
「この傷、どうしたの……」
傷はそれほど深くはないが、傷口の周りが紫色に変色している。もっとよく見ようと肩に触ると、ウィンの体は傾いてそのまま床に倒れた。
「ウィン、ウィン! しっかりして!」
肩周りだけでなく、首や手にまで紫色が広がっている。顔は青白く呼吸が浅い。脈も早く、熱もある。
「何かの毒……?」
何の毒なのだろう。それが分かれば、解毒に効く薬草も分かるが、今は効果の弱い一般的な毒消し薬を使うしかない。
「誰か薬箱を持ってきて!」
薬をつけるが、ウィンの状態はよくならない。
「こちらにも!」お母様が叫んだ。
ホールでは、帰ってきた時には自力で歩けていた者たちが倒れていた。毒を使った兵器で傷を受けている者が多くいるのだ。
「ウィン、ねえ、目を開けて」
私は祈るような気持ちで、毒消しのおまじないをかける。少し呼吸は落ち着いた様子だが、それ以外は何も良くならない。皮膚の紫色はだんだんと濃くなっているようにも見える。
側についていたかったが、他にも同じような症状の騎士達が相当いる。お母様だけでは無理だ。ウィンの手を握って、声をかける。
「ウィン、また戻ってくるからね。頑張って」
何人かは吐血している。おそらく出血を助長させる毒なのだ。お母様は効きそうな薬草をメイド達に指示し、試しているが、わずかな効果しかみられない。それでも効果が少しでもあった薬草を使って回った。けれど、これは毒が広がる速度を抑えているだけで、根本的な治療になっていないことは明らかだった。
「姫さま」
毒に苦しむ若い騎士の一人に、声をかけられる。
「まじないをかけて眠らせてください」
苦しげに呼吸をする騎士を見て、胸が痛む。傷からの出血がひどくなって、包帯に滲んでいる。
「だめよ、眠ったら死んでしまうわ。気をしっかり持って」
傷の包帯を替えて痛みを和らげるおまじないだけ、かけてみる。が、あまり効果はなかったようだ。
「姫さま、どうかお願いします」
涙を浮かべながら、懇願される。耐え難い苦しみなのだろう。
「必ず助けます。どうか負けないで」
手を握って、語りかける。若い騎士は小さく頷き、そのまま目を閉じて浅い呼吸を繰り返している。
お母様も、軍医のみんなも手は尽くしているが、そこは地獄のような空間だった。国のために死力を尽くした騎士達が、なぜこんな目に合わなければならないのだろう。
嘆いてる場合じゃない。まずは毒の種類を特定しなければ。様々な書物を使って、手の空いている人みんなで調べるものの、原因ははっきりしなかった。
そこへ突然、門番兵が走ってきた。
「スカラシュタインの王子が来ます!」
城内のみんなが一気に殺気だったのがわかった。
「使者としてのようです」
その一言がなければ、動ける者は剣を抜いて走り出しそうな様相だった。
「母上」
お兄様が声をかける。
「わかっています」
お母様とお兄様が玄関の方へ向かうので私も遅れて後に続く。
馬に乗り、百名ほどの部下を率いてやってきたのは、スカラシュタインの第二王子だった。
「王妃殿下、お初にお目にかかります。サフィーロ・スカラシュタインです。」
肩ほどまであるブロンドの髪をまとめた長身の王子だ。瞳の色が青い。不敵な笑みを浮かべながらお辞儀する。
「御用は何でしょう」
お母様が毅然とした態度で言った。すると王子は、とてもわざとらしく恭しい態度を作って言う。
「昨日は、部下が早まりあのような奇襲をかけてしまったお詫びに参上した次第です」
昨日の出来事が、間違いだった? そんなはずない。たくさんの兵が傷ついているのよ。それを間違いだなんて。
お母様は一瞥すると「こちらへ」と応接の間へ案内をした。いきり立つ騎士達への配慮だろう。
「アートボーデンには一度来てみたかったのですよ。国境付近から眺めるだけでなく」
席に着き、社交辞令のような句を並べるサフィーロ王子に対し、「ご用件は?」とお母様が半ば言葉を遮るように言う。
「手短に申し上げますと、我がスカラシュタイン王国と同盟を結ばないかと思いまして」
同盟? 今さら何を言っているのだろう。お兄様の肩が怒りに震えているのがわかる。
「このようなことになったのも、貴国と我が国との間に同盟がなかったからではないかと思うのです。いかがですか」
私達には拒否する権利はないのも同然だった。断ればまたいつ攻め込まれるかわからない。同盟と言うと聞こえはいいが、この状態ではつまりは支配下に入るということだ。
「そうでした、昨日のお詫びにこちらをお持ちしたのです」
そういって出してきたのは、たくさんの小瓶が入った箱だった。
「昨日使用した武器の中に、殺傷能力の高い毒が使われたものがあったことがわかりまして。その解毒薬です。同盟を結んでくださるならば、これを差し上げましょう。」
私たちが今、一刻も早く欲しいものだった。それも計算して来たのだと思うと恐ろしいが、今は苦しむ騎士達に使ってあげたい。手遅れになる前に。
数秒の沈黙の後に、お母様が答えた。
「人の命には変えられません。同盟の件、受け入れましょう」
お母様の声には悔しさが滲み出ていた。
「それはよかった。つきましては、同盟の証に貴国の王女様と婚姻関係を結びたいと考えています。私の第三夫人にお迎えしたく」
私は解毒薬を早く使ってみんなを助けてあげたいということばかり考えていて、サフィーロ王子の言うことをよく聞いていなかった。私に視線が注がれて、気がつく。
今なんて……結婚? 私? 私がこの人と? 三番目の妻?
「そんなこと……!」
お兄様が前に出そうになるのをお母様が止める。
それを承諾しなければ、みんなが助からないと言うのならば……答えはすぐに出る。
「私、行きます」
「アリア!」
お兄様が怒った声を上げる。
「なので、その解毒薬をください。お願いです」
「賢明な王女様なことで。もちろん差し上げます。同盟国となるのですから」
サフィーロ王子は不自然なほどにこやかに笑いながら言う。
「その前にこれが毒ではないという証拠は?」
お兄様が言った。
「信用されていませんね。こちらが昨日の戦闘で使用した毒です。先ほど塗っておいたので、そろそろ症状が出るでしょう」
そう言うとサフィーロ王子は、側にいた兵士の腕をつかみ見せた。なんて酷いの、人を実験台のように使って。解毒薬を注射すると、傷口からの出血は止まり、皮膚の紫色も少しずつ薄くなっていく。
「いかがですか。どうぞお使いください」
少しの猶予もない。私は薬を持って一目散にホールの方へ駆け出した。
「毒にやられている者にこの薬を使って!」
軍医達に呼びかけ、手分けして解毒薬を使う。
「お願い、間に合って……」
症状のある者達に順に使っていくが、応接の間で見たような即効性はない。毒に侵された時間が長すぎるのだろう。それでも、時間が経つにつれてみんな少しずつ出血はおさまって、呼吸は先ほどより安定してきている。
解毒薬をみんなに使い終わった頃、サフィーロ王子が応接の間から出てきた。
「それでは王女様を五日後にお迎えにあがりますので」
お兄様が拳を白くなるまで握りしめていた。サフィーロ王子が城から出て扉が閉まると、お母様がふらふらとその場に座り込んだ。
「お母様、大丈夫ですか」
「アリア……ごめんなさい。あなたに辛い思いをさせることになってしまった」
「お国のためですから。お役に立つ時が来たのです」
お母様の目から涙が溢れる。お兄様も側に来て、三人で抱きしめあった。
ホールでは解毒薬を使用した者たちが、少しずつ回復傾向にあった。毒に侵された時間が短かった者たちは、意識を取り戻していた。
その翌日も、けが人達の看病に奔走した。忙しい方が、結婚のことを考えずに済むので救われていた。
ウィンはまだ、意識を取り戻していなかった。苦しそうに胸を上下させている。
「ウィン……」
体力回復のおまじないや痛みを和らげるおまじないをかけながら、側にいることしかできない。看病の手が空いた時間は、ずっとウィンの側で過ごしていた。
「お願い……目を覚まして」
気がつけばいつも側にいてくれて、私を守ってくれた。小さい頃の私は、ウィンは私だけの騎士だと信じていた。すぐ近くにいることが当たり前だった。それなのに……側にいることも、できなくなってしまうんだ……そう思うと晩餐会の前までの時間が、なんて幸せだったのだろうと思った。あの時間はもう戻らない。ウィンの手を握りながら、涙が溢れる。でも、今はウィンが目を開けてくれればそれでいい。命があればそれだけで。私はおまじないをかけているうちに、体力の限界がきて眠り込んでしまった。
「アリア、アリア」
呼びかけられながら体を揺すられ、目を覚ます。お兄様が青ざめた顔で立っていた。ウィンに何かあったのかと驚いて様子を見るが、先ほどより表情が和らいでゆっくり眠れているようだ。
「こっちに来てくれ」
お兄様について、執務室まで行く。お母様もいて、ここ数日でも見なかった憔悴しきった顔をしていた。
「落ち着いて聞くんだ」
お兄様は正面から私の肩を持って続ける。
「おそらく父上はもう帰ってこない」