第8話 人の縁
夕方から部屋でカレーを作り、夕飯の支度をした。
スパイスの香りが部屋中に漂って食欲をくすぐる。
廊下を歩く音が微かに聞こえて、比佐子は部屋のドアを開けた。
「麻乃、お帰り」
「ただいま。いい匂いだね? これから夕飯?」
「そう。ねぇ、夕飯まだなら一緒に食べない?」
「え? いいの?」
「もちろん。そのつもりで準備していたからね」
「じゃあ、あたしちょっと仕度してから行くから、十分くらい待っててくれる?」
「わかった。鍵は掛けないから、勝手に入ってきてよ」
「うん。それじゃあ、また後で」
部屋に戻ってテーブルに食事の準備をした。
麻乃が十分というからには、それより早く来るはずだから。
頃合いを見計らってご飯とルーを用意していると、思った通り、十分経たないうちに麻乃がきた。
「いい匂いだね。匂い嗅いだだけでお腹が鳴りそうだよ」
「あんた、体に似合わず大食いだもんね。なのにちっとも太らないし」
「太らないわけじゃあないよ。食べたぶん、動いてるからでしょ」
「確かに、あんた動きすぎなのよ」
笑いながら、いただきますといって食べ始める。
あれこれと雑談を続ける比佐子を、麻乃は相づちを打って見つめてくるだけだ。
話したいことは一つだけれど、言うタイミングが計れない。
「比佐子、もしかして、あたしになにか話でもある?」
麻乃は食べる手もとに視線を落としたままで、唐突に聞いてきた。
「どうして?」
「だって……普段だったら花丘に行くでしょ? わざわざ料理作って待っているなんてさ。なにか話があるからかな? って思ったんだよ」
「そっか。実はさ、私、結婚するのよ」
「え? 本当に? いつ? ってか、誰となのさ? まさか、あの男じゃあないよね?」
麻乃まで巧と同じような反応をする。
穂高とつき合っていたことは、大っぴらにしなかったけど、そんなに心配されるほど駄目な相手とつき合っていたんだな、と実感した。
「式はね、半年後にする予定。相手は麻乃も良く知っているやつよ?」
「あたしが知っている……? え? 六番の誰か?」
部隊の隊員たちを思い出しているのか、ブツブツと名前をつぶやきながら、首をひねっている。
相手が穂高だとは思ってもいないみたいだ。
「違うよ。もっと身近にいるじゃあないの」
「え? 誰よ? 思い浮かばないんだけど……ねえ? もったいぶってないで、ハッキリ言いなよ」
麻乃は苛立ち気味に、空になった皿をスプーンでカンカン叩いた。
「あんたって、こういう話しには、本当に鈍いわよね?」
「だから、誰なのさ?」
「上田隊長」
「穂高!? 嘘でしょ? だって比佐子、穂高に言い寄られて困ってるって――」
「最初はね。でも、毎日、話しているうちに、いいやつだってわかってさ」
穂高が入院していたときに、北医療所へお見舞いに行ったことや、それから今日まで手紙のやり取りをしていたこと、二人でいろいろなことを相談し合って、結婚を決めたと話した。
麻乃は最後まで口をはさむことなく、比佐子の話を聞き終えたところで、ようやく口を開いた。
「そっか……おめでとう。良かったね、比佐子。相手が穂高なら、あたしも安心だよ」
「ありがとう。でもさ……人の縁なんて不思議なものだよね。大っ嫌いが突然好きになるんだから」
「そうだね……」
麻乃は少し寂しそうに苦笑いをしてみせた。
なにか思い当たることでもあるんだろうか? もしかすると、まだ、修治に未練があるのかもしれない。
「あとね、私、今期で引退するから」
「戦士を降りるの? 巧さんみたいに続けるんじゃあないんだ?」
「私には無理。それで、引退したら東区に引っ越すんだ」
「あぁ……穂高、東区の出身だから? 今期だと、あと二ヵ月しかないんだ……寂しくなるな」
「別に、行き来もできないようなところに行くんじゃないんだから」
「そうだけどさ、今まで、隣同士だったのに」
「会いたいときに、遊びに来るし、麻乃も来てよ」
「わかった」
「ねぇ、今夜はこっちに泊まりなよ。夜中まで、たくさん話そう?」
比佐子はそう言って立ちあがり、テーブルの上を片づけ始めた。
麻乃も空いた食器をさげて片づけを手伝ってくれる。
麻乃が蓮華になって宿舎に入ってから、中央にいるときはしょっちゅう行き来していた。
これからは、そう簡単には会えないだろうけれど、離れてもきっと、比佐子と麻乃の関係は変わらない。
比佐子にとって、麻乃との出会いも大切な縁の一つだ。
この日は明け方近くなるまで、二人でたくさんの話をした。
-完-




