もののふ像
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、この像もなかなか躍動感があるね。いままさに、相手へ斬りかからんとしている瞬間のものか。
激しい動きの中から、一瞬のコマを切り出す。芸術の方向性のひとつだろう。
けれども、それはまた対象に一定の動作と負荷を課し続けることになるわけだ。
像などの三次元的なものなら、顕著になる。
こうして腕を振りかぶったものだと、その先に握られる得物を含めて、重力をはじめとした地球の力を、その部分で受け続けなくてはいけない。
土台などの、支えてくれるものがいてくれる足元とかはいいけど、そこから離れた箇所は、己が力の尽きるまでなチキンレース。
補修してくれる人がいるならありがたいけど、それは「限界を超えて存在し続けろ」という拷問に近いものがあるかも、なんて僕は思う。
生きるべくして生き、死ぬるべくして死ぬ。
芸術も、それがダメになるときが、この死ぬべきときじゃないだろうか。とはいえ、心ある人はどうにか作品に長生きしてもらえたらと、労を惜しまない。
それがどのような報いとなって返ってくるかは、ひょっとしたら自分の生きているうちには分からない恐れもある。
それを信じて動くのは、果たして尊いのか、愚かなのか。
俺の地元に伝わる昔話なんだが、聞いてみないか?
俺の地元には、かつて某村があったとされる跡地に、ひとつの土台が残され続けている。
先の話から察してもらえるように、そこにはひとつの石像が据わっていたとのことだ。
四方は、それぞれ1メートルに少し及ばないかくらい。高さもまた、1メートル50センチ程度と、現代人にしてみればそこまで高さを感じないかもだね。
それでも昔の人が、今より背が低めになりがちだったのをかんがみれば、たいていの人はその像を見上げていたことだろう。
すでに土台は、その身を草木に貸し与えている。
もはや、素肌がのぞいているのはごくごく一部のみなのだけど、かえってそれが外気から土台を守っているのか。目立った腐食などは見られない。
かつて、像が据わっていた上部に触れてみると、中央部分だけ明らかなざらつきが残っているのが分かる。像がここと接していたと思しき箇所だ。
地元の資料館を訪ねてみると、この像が存在していたときの格好が描かれた、絵を見ることができる。
写真が日本に広まるより先に無くなってしまったから、頼りになるのは絵だ。
作者ごとの筆致の違いことあれ、いずれも大上段に刀を振りかぶった、もののふらしきものの姿をしている。
そう、武士ではなく、もののふ。戦う者全般だ。
なにせ、豪奢な鎧を身に着けているわけではなく、簡素な胴丸にぼさぼさに乱れた髪というデザインは、それぞれの絵に共通するところ。
やんごとなきお方とか、戦闘に長けた者なのかとかは、装備などからは判断しかねる。
ゆえにその像のモデルは誰なのか謎のままで、その戦う姿勢を長く人々へ伝えていたという。
争いごとが頻発し出した集落では、ぐるりと堀と柵で囲った皆の居住圏。来訪者が使う外部からの門の内側すぐに、かの像が設けられていたらしい。
関所の役割を帯びていた。
人が物理的に訪問客を探るなら、この像は精神的に客に探りを入れる。
たとえ前者に認められようと、後者が否といったならば、立ち入りを許されなかったというんだ。
判断は、通行人の髪の毛だ。
古来、個々人の髪は儀礼的に重要な意味を持っているのは、よく知られている。
もし、その場にそぐわないものがいると、像の前を通るときに、その髪が盛大に散ってしまうんだ。
自然な抜けとは思えない、不可解な抜け方ゆえに、像の判断によるものとすぐに分かる。
まず、そのものの額中央から後頭部にかけて、筆でなぞったかのごとく、一線に毛が刈り取られる。
刹那のできごとであって、本人にも痛みを感じるような、いとまはない。はたで見ている人から指摘されねば、すぐには異状に気づけない。
その毛は本人のあたりに散りながらも、石像にも引っ付いている。
背中にみねがつくかというほど、盛大に振りかぶった刀。その切っ先部分にべっとりとね。
もちろん、誰もそのような細工をしていない。そもそも、対象者がはげてしまったその瞬間には、すでに髪の毛が刀に奪われている。
いかな投擲の達人がいたとて、まったくその動作や気配も悟らせぬまま、ちぎれた髪をああも見事に刀へ引っ付けるのは、不可能だった。
――どう考えても、像が目にもとまらぬ速さで、切り裂いたようにしか見えない。
その見解は、目にしたほとんどの者に共通するもの。
起こってしまった以上は、問答無用で退去を願うという、大きな信頼を置かれていたのだそうだ。
しかし、その像が最後を迎えるときが訪れる。
建造から時が流れ、かの地を治める豪族が視察でやってきたとき、像の石剣がはっきりと仕事をしたんだ。
いつもの神速の剣技ではない。速いながらも、多くの人の目に留まるくらいの、しかし土台から倒れこむような、全身全霊の斬り下ろし。
それが像の眼下を、馬に乗ったまま通過しようとした豪族を直撃したんだ。
その太刀筋は、豪族の身体もろとも馬を両断する、すさまじい威力を発揮したのだけど。
豪族と馬の、両者の身体には血など詰まっていなかった。
代わりに、鼻のひん曲がるような、きつい臭いを放つ大量の油。それに包まれるようにして、骨があるべき体内には、鉄らしき金物がびっしり詰まっていたのだとか。
最期を迎えた領主もまた、先に皆へ声をかけたときと変わらぬ顔のまま、わずかな痛みさえも感じなかったかのような表情で、そこへ転がった。
やはりその首にも、人として備わっている血と骨の代わりに、油と鉄が満ち満ちていたという。
豪族が、得体のしれないものに成り代わられていた。
このことはほどなく、豪族の一族に知られることとなったが、広く知れ渡れば、これまで従っていた者にどのような影響が出るか分からない。
豪族本人の遺体は見つからなかったものの、表向きは急死とされ、後継者が据えられる。
豪族に化けたものをあやめた像を有する村の者たちも、そのままでは殺しの烙印を押されると、急遽、豪族がじかに統治する地へ移り住む手続きが成されたとか。
やがて村は廃されて、自然の手にゆだねられる。
あらゆるものが傷み、分解されていく中で、かの像は長く続く嵐に全身を持っていかれるまで、そこにたたずみ続けていたという。