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明日はいよいよファイナル本番。ライブ開始は午後四時からで、僕らファイナリストは、オープニングから五組連続で一気にパフォーマンスをする。五組全員がオープニングアクトみたいなもんだ。
順番は当日、公平にくじ引きで決まるらしいが、出来ることなら一番目だけは避けたいところだ……。
「いよいよ明日、本番だね……」
「そうだな……来れたんだよな」
「うん。来れたね」
僕の部屋。寝る前。トーク。
いや、それだけなら別に良いんだけれど、ちょっとおかしいと思うんだ。ちょっとというかかなり、かなりというか明らかにおかしいと思うんだ。
具体的になにがおかしいと言われると、それはもう僕の姉さんの頭がおかしいと思わざるを得ないんだよ。
「あ、そうだ。今からエンショ来て泊まるから、スペア布団ないんだよね。まあ葉集と音論ちゃんは、同じベッドでいいよね。んじゃおやすみ〜」
自室に向かう前に姉さんから言われたこの言葉、どう考えても頭おかしいでしょ。
つまり僕は、音論と背中合わせでゴロンしているのだ。
なに? 僕は姉から試されてるわけ? 試練なのこれ?
柿町葉集は、果たして隣に想い人が寝ていたら、手を出すか出さないか——みたいな賭けでも誰かと成立しているの??
そしてどうして音論は音論で普通に受け入れてるの?
なんで普通に僕の横で寝てるわけ? いやまだ起きてるんだけど、どうして横になってるんだ……お前自分が可愛いって気づけよ。僕に謎の試練を与えるなよ。
「葉集くん、もう寝ちゃった?」
「起きてるよ」
背中合わせに横になることで、なんとか冷静なフリをしているけれど、やたらと静かな空間に緊張してしまう。まあ、仮に姉さんが執筆してて、なりきり音読が聞こえて来るよりかは、静かな方が助かるのかもしれないが。
「…………なんか照れちゃうね……こうして同じベッドって」
「そりゃまあ、だよな……なんか悪いな、姉さんの誤解がいまだに解けていなくて」
「……ううん、私は全然いいよ、一人で寝るよりもすごく、あ、あっかいもん」
暖房も効いているが、確かにそれだけじゃない暖かさ、温もりがある。背中合わせだとしてもよくわかる。
「でも流石に寝にくかったら言ってくれよ? その時は僕はリビング行くし」
「だ、ダメだよっ、きちんとお布団で寝ないと。私は大丈夫だし、明日本番なんだから……ね?」
「……わかったよ。音論が良いなら……うん、わかった」
「あ、あの……先に謝っておくと、私の寝相悪かったらごめんなさい」
「それは僕も同じだよ。僕も寝相悪かったらごめんな」
そもそも寝れるかわからないけれど。めちゃくちゃドキドキしてるし、この音が聴こえていませんように——と、祈ることしかできない。
もちろん僕は紳士なので、寝相を言い訳にして音論に抱きついたり、触ったりしない。絶対に。だってそれで嫌われたら解散の危機になってしまう。
そんなリスクを承知で、無謀な行為には出られるわけがない。紳士とか関係なくて、本音を言えば解散したくないから絶対にしない。このボーカリストを手放したくない。
「明日……緊張するね……今もドキドキしてる」
「僕もだよ」
僕の緊張は、明らかにそれだけじゃないが。逆にこの緊張を乗り越えてしまえば、ファイナル本番の緊張は楽しめるんじゃないかとさえ感じる。
「明日は楽しいライブにしよう。観客だけじゃなく、僕たちも」
観に来る人は、きっと僕らのことは前座としか思っていない——そりゃそうだ。デビューしているわけでもなく、少しは格好つけられるチャンネル登録を頂戴したけれど、動画配信をメインにしている僕らを目当てに集まるはずはない。
それでも、僕たちがやれることは、お客さんに楽しんでもらえるように精一杯やることだ。僕たちが楽しくなければ、楽しさなんて伝わらない。伝染させるには、僕たちが心から楽しめなきゃな。
「私は楽しめる自信あるよ。ずっと楽しいもん。葉集くんと『ヨーグルトネロン』を始めてから、退屈だった日がないよ」
「それは僕もだよ。音論と『ヨーグルトネロン』を組んでから、前よりももっと音楽を楽しめてるよ」
そもそも音を楽しむと書いて——音楽だしな。
いつのまにか、つまらなくなっていた音楽を音論が楽しいものだと教えてくれた。教え直してくれた。
いくら感謝しても、し切れないよ。この大感謝。
「僕と組んでくれて……本当にありがとう」
「えへへ。私こそ……ありがとうだよ」
「……じゃあそろそろ寝るか」
「うん、そだね……おやすみなさい葉集くん」
「おやすみ、音論」
緊張はするけれど、寝ないと明日が大変だ。目を閉じれば寝れるだろう——と。僕は目を閉じて、この静かな部屋でじわじわと睡魔を必死に呼び寄せ、なんとか眠りについた。
心地良い温もりが僕を睡眠へと導いてくれたのだろう。
※※※
二人とも眠りについた——葉集はぐっすりと眠っているが、しかし音論は夜中にふと目を覚ました。
トイレに行きたいわけでもなく、目を覚ました。
あらかじめ予定していたかのように——いや、予定していたと言って過言ではあるまい。
だから先程、寝る前に音論自ら伏線のように言っておいたのだ——寝相悪かったらごめんなさい、と。先に謝っておいたのだ。
つまりここからは、欲望に支配された少女による、本当の就寝前をお送りすることになる。
プロデュース、バイ、ネロンヒャッカリ——そんなナレーションが音論の脳内に聴こえているかもしれない。
無論、音論が目を覚ましたのは偶然とも言える。その偶然を引き寄せた彼女が持っている人だったし、彼女は偶然を待っている人だったというだけだ。
音論が引き寄せた偶然は、ふたつ。
ひとつは葉集の寝返り。もうひとつは寝返った瞬間の自身の目覚め。
端的に言ってしまえば、葉集くんの寝返りで目を覚ませれば良いなあ——それが実現したのだ。そして実現してしまえば、寝相が悪かったを言い訳にできる音論に怖いものなど存在しない。
「……………………えへへ」
小さく小さく微笑みながら、自分も意識的に寝返りをして、葉集の寝顔をまじまじと眺める。
「……絶景……かわいい」
脳内で呟いたつもりが、声に出していた。すかさず口を押さえたが、葉集が目覚めることはなく一安心。
そのままもぞもぞと、接近する。
「……………………」
近距離でじっくり鑑賞。頬が緩む。
今夜の音論は、以前の反省から装備を充実させてきた。
つまり下着に、汚れることを想定した装備——わざわざ無料で貰える場所まで行って貰ってきた女の子の日用の装備である。以前の音論ならば、その日は貰える場所まで歩きで行くのだが、今では誕生日に貰った自転車でスイスイなので、マンションに来る前に自転車をひと漕ぎして入手してきたのだ。賢い。
葉集が贈った自転車は、実はこんなところでも活躍していたのだが、それを葉集が知ることはない。
今夜のことも、同じく。
「……………………ふー」
そっと息を吹きかける。彼女は無自覚変態なので、自分の息を吹きかけるだけでテンションが上がる。体温も上がる。
そして体温が上がると、親友の言葉が頭に浮かんでくる。
親友牙原カミク——カミクなら、果たしてこの状況でどんなことを言うだろうか。それを考えた音論は、一瞬で答えを出した。考える時間なんて必要なかったかのように。
カミクならこう言う——女はズルくてなんぼ、躊躇ってはダメよ、迷いは必要ないわ、と。脳内でかろうじて生き残っていた天使の音論と、美味しい晩ごはんをご馳走になり元気モリモリ悪魔の音論が互いに言い争っていると、イマジナリーきーばさんがそう言って、虫の息だった天使を一瞬で粉砕。音論の理性はイマジナリーきーばさんに始末された。
ある意味大悪魔イマジナリーきーばさんは、脳内で誇らしげに言う——さあ邪魔者はきーばさんが滅したわ、と。
その言葉に内心で頷き、行動を起こす。葉集が起きないように行動を起こす。
音論は、息を潜めると、さらに顔を近づけた。
鑑賞からの干渉——眠る葉集の唇に、自分の唇をそっと押し付けた。事前にカミクから、葉集が自分に好意を持っていると聞かされていなければ、流石に実行しようとは思わなかったが、残念ながら、あるいは幸運にも知ってしまった以上、行動しない理由は、気持ち的に銀河一周しても見当たらなかった。
お料理以外にも初めての味を教えて貰っちゃった——と。熱くなった全身を使って、声にならない声で呟いた音論は、そのままもぞもぞと葉集の胸にしがみつくようにして、
「おやすみなさい」
と。今度こそ眠りについたのだった。朝までぐっすりと。