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「うまっ……!」
「美味しいなにこれ!?」
晩飯タイム。試しにチーズカツオムハヤシライス改め、トンカツチーズオムハヤシを作ってみたら、結構高評価をいただいた。
「……どうしてタマゴこんなに白いの?」
音論がライスをスプーンで掬い、問いかけてきた。その指先の爪は、夕方姉さんが塗ったシャインスカイブルー(ラメ入り)マニキュアでキラキラしてて、すげえ綺麗だ。
「グラタンで使うホワイトソースを焼く前に混ぜたんだよ」
牛乳でも良かったのだが、昨日がミートソースグラタンだったからちょうど少し余っていたのだ。
結果、思いのほか白くなったが。名称変更の理由としては、白ごはんの上に粉チーズを少々振り掛け、ホワイトソースを混ぜたふわトロのタマゴでコーティング、そこへハヤシライスソースをドバーッとして、トンカツをどーん、したからである。
これがファイナル前日の晩飯である。チーズカツにしようとしたが、タマゴにもご飯にもチーズを使っているので、くどくならないようにシンプルなトンカツにしてみたけど、うん、我ながら結構美味い。
「一日に二度もトンカツを食べられるなんて……私、生きてて良かった……今月だけで一生ぶんのお肉食べちゃったかもしれない……」
「一生は言い過ぎだろ。それに、これよりも美味い飯をこれからたくさん食えるようになるよ」
食えるようになる——というか食えるようにしてやる。
音論の生活安泰。それが僕の目標と言っても過言ではない。
「……私、葉集くんの作るご飯、一番好きかもしれない」
「それは光栄だな。お望みとあれば、いつでも作ってやるよ」
「ほんとっ!? 億万長者になってお肉持ち込みしたら、またトンカツ揚げてくれる??」
「トンカツそんな好きなのか」
「うん!」
「バッター液代わりにマヨネーズ使ってるくらいしか、特別なことしてないんだけどな」
「バッター液?」
「揚げ物するとき、パン粉をくっつける液体だよ。まあ一般家庭なら、小麦粉をつけてから溶き卵にベチャってして、それからパン粉をつけるんだけど、マヨネーズでも代用できるんだよ」
溶き卵を使うとちょっと余ったりして捨てちゃうのもったいないし、マヨネーズなら使いたい分だけ使えるから便利なのだ。揚げちゃえば酸味は飛ぶから問題なく、むしろコクが出るくらいに思える。
「おお、そんなことをするのか……揚げ物って」
「揚げ物好きだよな音論。唐揚げも好きだし」
「油の匂いがもう好き。バイト先でカレーパン揚げてる匂いとかたまらなく好き!」
「なら、今度はグラタンコロッケ作ってやるよ」
「グラタンコロッケ!? グラタンをコロッケにするの!? 技術的に可能なの!? オーバーテクノロジー!?」
「可能だよ。可能というか余裕だぞ」
グラタンに使うホワイトソースは小麦粉を気持ち多めにして、冷ませば固まるから、形作るのも楽だし。
「てか給食で出なかったか? グラタンコロッケ。バイト先にグラタンコロッケパンとかないの?」
「え、出なかったよ? 私小中学皆勤賞だけど、食べてないもん。普通のコロッケパンならバイト先にあるけど、グラタンコロッケパンはないなあ」
「マジか。へえ、地域によって結構違うんだな、給食って」
僕の記憶では、グラタンコロッケの日は必ずパンの日だったなあ。パンは絶妙に分厚いバンズだった。
「給食の牛乳に入れるとコーヒー牛乳になるやつ、私大好きだった!」
「あ、わかる。あれ美味いよな!」
「給食でトンカツも出なかったなあ。トンカツってこんなに美味しいとは知らなかったよ……億万長者になったら、マグロとイクラ、トンカツも毎日食べたい、朝昼晩トンカツ!」
そんなにトンカツを気に入ったのか。そもそも給食でトンカツって出るのだろうか……。
僕と姉さんは今日トンカツ三回食ってるけどな……朝飯兼昼ごはんにソースカツ丼、音論が来てからおやつにカツバーガー、そして今。こんだけ使ってもまだ肉は残ってるし、姉さんいささかポチり過ぎだろ。
「葉集くんにお肉いっぱい食べさせて貰っちゃってるね、ありがとうございます」
「いや僕は調理しただけだし、肉を買ったのは姉さんだよ。感謝するなら姉さんにしてくれ」
「葉恋お姉さん、ありがとうございます」
音論が言うと、姉さんは、
「いいよあたしに感謝なんて。それは料理人が受け取るべき感謝でしょ」
と、言ってから、皿を平らげた。
続いて音論も皿を綺麗にし、僕も遅れて完食。
全員でごちそうさまでしたをすると、姉さんが立ち上がった。
「うし、今日はあたしが洗い物するから、あんたらお風呂入っちゃいな!」
そう言って、皿を回収してキッチンへ向かう姉さん。
「いや姉さんどうしたっ!? 洗い物は僕のアイデンティティだったはずだろ!?」
「そんな悲しいアイデンティティ持つなし」
あたしが言えたことじゃないけど——と、姉さんは食器洗い洗剤を軽く濡らしたスポンジに染み込ませた。
「ば、馬鹿なっ……姉さんがスポンジをくしゅくしゅしている……だとっ??」
「あんたあたしをなんだと思ってんだよ」
「柿町葉恋、二十五歳独身、朝は寝癖のままパンイチぴちティーで家中を歩き回り、夜は風呂から上がると下着のまま家中を徘徊する僕の姉だろ。それが僕の姉だと思っているけど」
「思い直せと言いたいけど言えない……改めて言われると、あたしって女としてすげえ生活力死んでるなー」
「否定はしないが、別に家事を女性がやらなきゃいけないってわけじゃないし、良いんじゃん?」
「そりゃそうだけど、あんたに頼りっきりも良くないでしょーよ。葉集だっていつかは自立するんだし」
「まだ高一だぞ」
「言ってもあと二年ちょいであんたも成人でしょ。早いなー、あたしは二十歳で成人だったけど、今は十八だもんね」
そう言われてみればそうか。もう一年の冬休み。あと二年ちょいなのか。
「あの、私も洗い物お手伝いしますっ!」
「平気だよー、あたし一人で。洗剤使ったら爪落ちちゃうかもしれないし」
「で、でもご馳走になりっぱなしですし……」
「んじゃ、食器拭くの手伝ってもらおっかな」
「はい! ピカピカに磨きます!」
「あはは、水滴拭くだけでオッケーだよ」
お手伝いを任された音論は、姉さんの隣に移動。
僕のやること無くなっちまった。さらば僕のアイデンティティ。
「葉集、お風呂入っちゃいなよ。いつもあたしが先だし、たまには一番風呂入りなさいな」
「……じゃあ遠慮なく」
一番風呂か。別に一番に入ったところで風呂は風呂なわけだし、特別感をあまり感じないんだよなあ——と、思いつつ僕は風呂に向かった。
「……………………」
なんというか、いいのだろうか。
一番風呂ってことは、このあと音論も入るわけだろ。
僕が浸かったお湯に。なんか悪い気がして入れねえ。
「シャワーでいっか」
結局、掛け湯はしたけどシャワーで済ませて上がった。僕は性癖は歪んでいる自信はあるが、自分の浸かったお湯で音論がコーティングされてるグヘヘ、ってタイプの変態ではなかったようで、なんだか自分に安心した。良かった良かった。
浸からない気遣い。こういう気遣いできっと大人に成長していくんだろう、なかなかやるじゃないか僕。
「姉さんか音論、風呂空いたぞ」
リビングに戻ると、二人はテレビ観ながらアイス食ってた。僕のは?
「じゃあ音論ちゃん、お先どうぞ」
「良いんですか?」
「うん、あたしテレビ観たいし」
「じゃあ、お先に失礼します」
「ゆっくり浸かっておいで〜」
「はーい!」
急いでアイスを平らげてから風呂に向かった音論。で、僕のアイスは?
「姉さん、僕のアイスは?」
「半分食べる?」
「ストックなかったっけ?」
「尽きた。ほら半分食え食え」
「じゃあありがたく頂戴するよ」
「葉集葉集、音論ちゃんの使ったスプーン使ったら?」
「クソ野郎になるだろ!」
なんてこと言う姉だ。まったく。
「えーもったいない。せっかくのチャンスなのにー」
「これをチャンスだと思ったらダメだろ」
と、言いながら、音論が使ったスプーンをちょっと見ちゃう僕。誘惑には屈しない!
姉さんがいなかったら、危なかったかもしれない……そんなことを考えて、僕をクソ野郎にしなかった姉さんに内心感謝しつつ、半分貰ったアイスを食った。
「あー、お姉ちゃんと間接キス〜」
「気持ち悪いこと言わないで……」
※※※
風呂場。そこは風呂場だった。柿町家の風呂場である。
脱衣を済ませ、着ていた服を洗濯機へ。今日は以前と違い、きちんと着替えを持参している音論は、長い髪をシュシュで纏めてから、脱衣所からゆっくりと浴室へ。ちなみにシュシュはリハーサルの帰りに葉集がくれたマスクの耳ゴムを再利用して作ったハンドメイドである。
掛け湯をして、身体を洗ってから湯船に浸かる。
「……いいお湯だあ」
肩まで浸かる。自宅の湯船とは違い、手足を伸ばせるユニットバス。存分に湯船で足を伸ばして、両手を天井に向かって背中を伸ばす。
「ん〜〜ふいぃ……」
ふう——と。一度湯船から出て、シャンプーを借りて頭を洗う。次にリンス。そしてトリートメント。事前に葉恋からトリートメント使ってね、と言われているので、こちらもありがたくお言葉に甘えた音論は、しっかりとトリートメント使い、流して、そして長い髪をシュシュで纏めてから再び湯船に。
「お湯さいこー」
自宅だと冬はできるだけ長湯する。なにせ暖房設備がない家なので、長く浸かって身体をポカポカにしておかねば、夜寝付くことができないからである。
今夜は暖房もあるが、いつもの習慣からか、なかなか出る気になれない——というわけじゃなかった。
「……………………」
湯船に浸かり、湯船の底をじっと見つめた音論は、ひとつの真実にたどり着いたのである。真実——間違った真実に。
「…………私、葉集くんの浸かったお湯に浸かってる」
小さく呟いたが、なにせ風呂なので浴室に響き、慌てて湯船に沈むように顔をつけた。前回は気づかなかったが、気づいてしまうともう意識せずにはいられない。
「————————っ!」
瞬間、刹那の閃き。彼女の脳内には今、煩悩しか存在しない——と言っても過言ではあるまい。
具体的には——あれ? 私いま、葉集くんが浸かったお湯に顔つけて、ぶくぶくしちゃったよね? これ間違いなく葉集くんが浸かったお湯に私キスしちゃったことになるよね、きゃー! きゃーきゃー!
である。湯のせいか、はたまた別の理由か。みるみるうちに頬を赤らめた彼女が次に取った行動——もう一度湯船に口をつけ、そして、
「…………ぶくぶくぶくぶく」
ごくん——と。一瞬の迷いもなく、また躊躇う素振りすら見せずに、葉集が浸かったお湯(と、音論は勘違いしている)を口に含み、飲み込んだ。
しかも三口。一口目は普通に。二口目は舌でお湯のテイスティングをして、三口目はできるだけ多くを口に含んで、飲み込んだ。
「えへ、へへへ……うへへ」
なにを今更——と言われるかもしれないが、あえて言うならば、そう、彼女はなかなかの無自覚変態である。
「お顔にもぱちゃぱちゃしちゃお」
お顔にもぱちゃぱちゃしてから、音論はとっても満たされて、湯船から上がったのだった。
バスタオルで全身の水滴を拭き、そして使ったバスタオルを洗濯機へ入れようとして——刹那の閃きリターンズ。
刹那の閃きリターンズ、あるいはネクストステージにより、バスタオルの返却は後回しに。身体に巻き付け、心を落ち着かせる。
洗濯機の中には、音論の脱いだ服——と、葉集の服があった。服があるということは葉集の下着もあるわけだが、流石の無自覚変態も真っ直ぐパンツに手を伸ばす勇気はない。
けどすぐ勇気を出して伸ばした。掴んだ。掲げた。
「ォォ……」
ちょっと嗅いだ。果たしてどんな匂いだったのか、それは彼女しか知らない禁断のフレイバー。満足してそっとパンツを洗濯機に戻し、今度は葉集が着ていたティーシャツを掴んだ。
「…………おお」
ガッツリ嗅いだ。深呼吸もした。ついでに顔も拭いた。
名残惜しむように、丁寧に洗濯機へ戻して、音論は心から満たされた気持ちになり、服を着てから脱衣所を出て、スキップしたいくらいウキウキ状態でリビングに向かう。
肌も心も喉も潤って、とてもツヤツヤになった有意義なバスタイムだった。