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死にそうということは、死が確定したわけではないので、当然僕は生きている。念のため。
僕が生きているのは当然として、牙原さんと音論はヒソヒソトークをしている。
が、牙原さんと音論のヒソヒソトークは、耳元で話しているくせに牙原さんの声がデカ過ぎるし、そもそも手を繋いでいるので距離が近く、僕に丸聞こえだったけれど、聞こえていないフリを貫くことにした。
「ろんろー、柿町くんにきちんと髪型褒めて貰ったの?」
「え、うーん……褒めて……貰ってないかな」
「女子が髪の毛セットしているのに褒めないなんて、失明しているのかしら——まず互いの髪型が普段と違うのだから、褒め合いなさい、ろんろー」
「わ、わかった! それが甘いデートなんだねっ?」
「それくらいで甘いなんて言えないわよ。そんなことで甘いと考えている、ろんろーの考えこそ甘いわ」
「そ、そうかな……そうなのかな」
「そうよ。そんなことを考えるなら、もっと柿町くんに甘えなさい。とりあえずなにかと理由つけてくっつきなさい」
「どうやって!? そんな理由思いつかないよ普通!」
「なんとなくくっつきたいからくっついたえへへ、とか言っておけば大丈夫よ、たぶん柿町くんチョロいから」
「私、そんなことしたら照れ死するよ?」
「照れ死ってなによ、初耳だわその死因」
「照れて心臓が破滅するんだよ」
「破裂じゃなくて破滅なの?」
「あ、破裂だ。間違えた」
「それよ。女だけが使える奇跡のワード、間違えた——その言い訳でなにもかも許されるわ。故意に抱きついても間違えたって言えば、どんな謝罪よりも許されるわよ。それを使いなさいろんろー」
「きーば、普段はそんな風に甘えてるんだね……」
「ち、違うわよ。きーばさんは甘えないわ。逆に甘えさせることがきーばさんの極意よ」
「どうやって?」
「言うわけないでしょう」
「えー、教えてよきーば」
「嫌よ。甘えさせる極意は自分で身につけるものよ、ろんろー。精進しなさい」
「けちー」
「そうやって甘えれば良いのよ、柿町くんに」
じゃあきーばさんは去るわ——と、まあまあご機嫌な雰囲気で牙原さんは人混みに消えていった。
牙原さんがいなくなると、手を繋いでいることを思い出したかのように意識してしまう。
「葉集くん、髪型……その、き、決まってるね」
言われたことをきちんと実行する音論偉い。
「ありがとう、音論も、髪……すごく似合ってる」
「あ、ありがとう……えへへ」
やべえ。普通に楽しい。困ったな楽しいぞ。
楽しいけど、特にこれからどうすれば良いのかわからない。
「葉集くんのお洋服、見に行かない?」
「僕の? ああそういや僕も買う予定ではあったんだよな」
何をすれば良いかわからないし、それもアリか。
「よし、んじゃ行くか」
「うん!」
手を繋いだまま立ち上がり、僕たちはメンズ服のショップに向かった。
「着いたな」
「着いたね」
メンズ服ショップにたどり着いたけれど、ひとつ問題が発生している。
おそらく音論も同じ問題に直面していると思われる——つまり、いつまで手を繋いでいるべきなのか、である。
謎すぎるなこの問題。いつ手をパージすれば良いんだろう。
ショップ前まで来て、手を離すタイミングがわからず立ち尽くす。なにしてんだ僕。
「入ろっか、葉集くん」
僕の顔を覗き込むように、音論が言った。
「だな」
結局、そのまま入店した。
「服屋とか久しぶりだなあ……いつもネットで買っちゃうし」
いつもと言っても、最後に買った記憶を呼び覚ますことも難しいけれど。
「葉集くんは、どんなお洋服が好みなの?」
「どんなか……どんななんだろうな。特に意識して買ったことないからなあ僕」
「今着てるみたいなのとかは?」
「姉さんにジャッジさせて、可もなく不可もないモノを着てるだけだな」
半袖パーカーにデニム、スニーカー。
可もなく不可もない服の代表みたいな格好してんな僕。
「じゃあじゃあ、私が選んでも良い!?」
「僕としてはありがたい申し出だけれど、逆に良いのか?」
「うん!」
「なら頼むよ」
「やったーえへへ」
嬉しそうにしているけれど、人の服を選んで楽しいものなのだろうか。
僕はその楽しさがよくわからないけれど、姉さんも自分の服よりも楽しそうに選んでいたりするし、ひょっとしたらこれは男女の違いなのかもしれない。
「まずこっちきて!」
そう手を引かれ、僕はまずティーシャツコーナーへ。
棚に畳んで置いてあるティーシャツを片手で器用にめくり、柄を選んでいる音論。
選びにくそうだし、手を離そうとしたが、逆に強く握られたのでさらに離すタイミングを失った。
「あ、これ! これがいい!」
「これか?」
僕が言うと、音論はようやく手を離して僕の上半身にティーシャツを合わせる。自分から離すのは良いけど、僕のタイミングで離されるのは嫌だったのだろうか、随分とあっさり手が解放されたけれど、すこし名残惜しい。
「うん、似合う!」
音論が選んだのは、ネクタイがプリントされているティーシャツ。ネクタイをしているっぽく見えるが、プリントされているだけのティーシャツ。
「じゃあこれ買う」
オススメされたら買う。仮に店員さんにオススメされたら買っていないけれど、音論が似合うと言ってくれるなら買う一択である。
「それにジレ合わせて欲しい!」
「ジレってなに? ジュレなら知ってるけどジレってなに?」
「ジレは、えっと……あ、あれだよっ!」
「あー、あれか」
音論が指差した方にあった服がジレ——なんというか、バーテンダーさんが着てそうなベスト。なるほど、バーテンダーさんが着てそうなやつをジレと呼ぶのか。
ジュレはなんの関係もなかったな。むなしい。
「これ、僕に似合うか……? ハードル高くねえか?」
「似合う似合う。髪セットしてる今ならもっと似合うよ」
「そうか。じゃあ買う」
こんな感じに買い物は続き、結局全身コーディネートを購入した。
ネクタイティーシャツ、グレーのジレ、ベージュのチノパン、グレーのシューズ——と。普通に買ってしまった。
「ありがとう、音論。姉さんに着せ替えさせられるより全然楽しかったし、いい買い物できたよ」
「ほ、本当? なんかテンション上がっちゃって、グイグイ押し付けた感じになってなかった……?」
「全然。あれくらいのテンションはむしろ嫌いじゃないぞ」
「ふ、ふーん、嫌いじゃないんだ……そっかそっか」
「まあな。結構買ったし、そろそろ姉さんと合流するか」
「……………………」
「どうした?」
「もうちょっと遊びたいなあ、って。ダメ?」
そういうのズルいよなあ。ダメって言えないやつ。
ダメって言える人間は人間じゃないと言っても過言ではあるまい。
「いいよ。んじゃもう少しふらつくか」
「うん!」
ニコっと返事をくれた音論は、その表情をさらに明るくして、
「お手を拝借!」
と、僕の手を握りながら、くっついてきた。
「ま、間違えた!」
「なにをだよ?!」
牙原さんが言ってた奇跡の言い訳の使い方が下手かよ。
良いお年を。