第38話 奇跡
横たわる俺の前に立っていた、その人は、あの暴力店員なんかじゃなく、喧嘩別れした仲間・シエルだった。
「馬鹿……なんで来たんだよ!今すぐ逃げろ、お前まで死ぬぞ!」
「ふっふっふ、随分弱気ねー、幸一。〝大嫌い〟なんて言った後じゃ、説得力はないかもしれないけど……私は、あんたに死んで欲しくない」
今更……そんなこと言われても、信用できるわけないって…。
本音じゃ、俺に死んで欲しかったんだろ。
……だけど、俺はお前に生きてて欲しいよ。
だから、頼むから……早くこの場から逃げてくれ。
「さっきは、ごめんね。私、ワガママだからさ。あんな言い方しかできなくて、あんたを傷つけて、困らせて…全部私が悪いって分かってる。だから、ちゃんと説明する……だから……絶対生きて、ここを出よう」
「………そうだな」
俺は重い腰を上げた。
立つという動作は、全身運動なのかもしれない。
立つだけで、腕にまで負担が通じ、ズキズキと痛む。
これは、歩くだけでもしんどいぞぉ……
「おいおい、お仲間さんも合流かよ。いいね〜、よし決めた。お前の目の前で、その女をレイプだ!泣き喚くお前の姿が楽しみだなぁ!」
よーし、こいつ絶対ぶっ殺す。
NTRアンチの俺の心に火をつけたこと、後悔させてやる。
「え、きも」
その横で、シエルは素直な軽蔑の言葉を浴びせる。
確かにキモいけど、あんな素直に言われると結構傷つくぞ男は。
「あぁ?」
奴の怒りのボルテージは、より上昇したみたいだ。
俺の推理によると、奴の急激なパワーアップは、そこにある。
確か、外野の反応は……〝あー、怒らせちゃったか。あいつもう終わったな。はい、雑魚乙〟みたいな感じだった。
そして丁度そのタイミングで、奴は急激に強くなった。
とすると、奴の能力は……
「ストレスを力に変える・能力………」
「それがバレたところで、意味はないんだなー!おらぁ!」
奴は余裕ありげに突っ込んできた。
俺たちはバラバラに走った。
そしてとっさに、動体視力と右腕を限界まで引き締めた。
すると、俺を狙って全力疾走する奴の姿が見えた。
よし、動きまでなら捉えることができそうだ。
安堵し、瞬きした途端、額にゴツゴツとした何かが当たった。
そして瞼を開けた時には、俺は後ろへ吹っ飛んでいた。
予想外の衝撃に、受け身を取ることもできずに転がり回った。
その際、折れた左腕が何度も地面にぶつかり、地獄のような激痛が走る。
「っあぁぁぁぅあぁあ!」
まさか、瞬きの一瞬で距離を詰められ、そのまま顔面を殴られるなんて。
全力で防御すれば、左腕ほどの怪我はせずに済むみたいだけど……
これじゃあ、反撃する間がない。
どうすりゃいいんだよ。
正直これ以上、筋肉操作を維持し続けるのは無理だ。
今ですら、全身筋肉痛になった感覚だ
くそ、後一人、助っ人を呼べれば……
教頭は……むりだ、連絡先を持ってない。
それか奇跡にかけて、蚊帳清州の名前でも叫ぶか?
他には………あ、
俺は痛みに耐えながら立ち上がり、シエルの方を向いて叫ぶ。
「長良だ!今すぐ長良に電話をかけろ!」
あいつが来てくれれば、あのマッチョ野郎も一撃だぜ!
「性懲りも無く、まーた仲間を呼ぼうってのか?まぁ確かに、やっと駆けつけてくれた仲間が、こんな弱っちいとくれば、そんな考えに至るのも仕方ないのかもなぁ?」
「………はぁ?」
シエルは、携帯を出すのを躊躇し、その場で固まった。
やめろ、シエル!
早く長良を呼ぶんだ!
「あんな奴の言うことなんか聞くな!無視しろ無視!」
「雑魚だの貧乳だの、馬鹿にされて……黙ってられるわけないでしょうが!」
いや、貧乳も雑魚も言ってない……
「馬鹿、やめろ!」
シエルは、叫び声を上げながら、突進する。
「やっぱ雑魚じゃん」
奴は、一瞬でシエルの背後へと回り、首を掴み、持ち上げた。
「それじゃーさぁ、優しい優しい俺様が、お前達にビッグチャンスを与えよう」
俺は、殺されそうになっているシエルを、ただただ眺めていることしかできなかった。
「そうだ、早瀬川。お前はその場から動くな。んー、そうだなー……早瀬川!お前が早瀬川源蔵の居場所を、今ここで言えば、この女の命だけは保証してやる。だが、もし言わないのであれば、この女には地獄よりも辛い死が待っているだろう。さぁ、どうする早瀬川?」
どうやら、どっちをとっても俺は殺されるらしい。
だったら、シエルが助かる方を取るに決まってるだろ。
「もちろん、爺ちゃんの居場所を言う方だ」
爺ちゃんはもう死んでる。
けど、こいつらはそれを信じてくれない。
だったら、適当な嘘を言ってやるまでだ。
「爺ちゃんは、今、ハワイ旅行に行っている。だから帰ってくるのは来月だと言っていた」
「ほー、そうかそうか。よくやった、早瀬川幸一。それじゃあ、お前の言葉が嘘かどうかは、俺様の支部でじっくりと調べてやるから」
「そうですか、分かりました。……それじゃあ、シエルを解放してやってください!」
俺がそう言うと、奴はニヤリと笑みを浮かべた。
嫌な予感がする。
というか予感じゃない、俺の目には、しっかりと見えている。
奴の頭上には、〝全部嘘〟という文字が映っていた。
無理だ、何もかも終わりだ。
少しでも時間を伸ばして、ここから抜ける策を練ってはいた。
だけど、ダメだった。
俺が作れた策といえば、たった一つの、本当の最終手段だけだった。
それくらい、俺は、馬鹿だった。
その最終手段といえるアイデアが浮かんだのは、あのマッチョクソ野郎の身体能力を見てだった。
コンクリートを簡単に叩き割るパワー、一飛びで数メートルを飛ぶ脚力。
凄まじいよ、だけど…………どれもこれも、あいつに劣っていた。
あいつの、一撃で岩を砕き、ジャンプだけで数十メートルを飛ぶ、圧倒的な身体能力。
あれを、俺は、願った。
再び、見たかった。
だからこれは、無謀な賭けだ。
俺の切実な、願いだ。
もし本当に、この世に神様がいるのなら……俺を、あいつを、きっと、救ってくれることだろう。
「ぜーーーんぶ、嘘だよ〜〜〜ん!!」
奴は下品に舌を出したまま、唾を撒き散らした。
それをガン無視したまま俺は、ありったけの声で彼女へ伝える。
「シエル、問題!!!!俺はお前の事、どう思ってる!!??」
「大ッッッ好き!!!!!」
満面の笑顔で、シエルは叫んだ。
そして次の瞬間、首を持ち上げられ、悲痛な表情を浮かべていたのは………マッチョの方だった。