第38話 ぜんぶを
「あつ……!」
「大丈夫? ゆっくりね……ゆっくり」
メドリの言葉に従って、ゆっくりと湯船の中に身体を入れていく。熱いお湯が私の身体に絡みつく。
「ふぁ……」
思わず気の抜けた声が出てしまう。
先に入っていたメドリにもたれて、身体を預ける。
沈黙が私達の間に流れる。
無言でメドリの存在を感じる。穏やかな心地いい沈黙。
「……イニアは……」
その沈黙を破ったのは、メドリの小さな声だった。
本当にか細い、震えた声だった。
「イニアは……いなくならないよね……?」
「いなくならないよ……どうしたの?」
メドリがどうして不安に思ってるのか知りたくて、メドリと目を合わせる。
「ご、ごめ……また不安になっちゃって……」
「大丈夫だから……一緒にいるでしょ……?」
メドリの目に少し涙が浮かぶ。
私はメドリに泣いて欲しくなくて、悲しくなって欲しくなくて、手を絡ませて、身体をすり寄せる。存在を伝えるように。
「私……今日怖かった……の」
「うん」
「イニアが……遠くに離れちゃって……倒れちゃって……いなくなっちゃいそうで……怖くて……不安で仕方なくて……」
メドリはぽつりぽつりと話し始める。不安の中身を。
いつだってメドリが不安になるのは、私に何かがあった時。何もない時でも不安に駆られる事はあるみたいだけれど、それ以上に何かあったときの方がずっと不安になるみたい。
「魔力で繋がってたでしょ? あれじゃ……だめだった?」
「だめ……じゃないけど……やっぱり、直接がいい……」
「……それは私もだよ」
魔力で触れ合っていても、存在を感じれるのはさっきわかったけれど、あんなのただの代用品でしかない。いや、代用品にすらなり得てるかわからない。
私を穏やかにしてくれて、安心させてくれて、幸せな気持ちにしてくれるのは、メドリだけ。メドリと直接触れ合っている時だけ。
「私もこうやってメドリと直接触れ合ってる方が、何倍も……ううん。比べられないぐらい心地いいよ。メドリが感じれないと……私、やっぱりだめだもの」
黙ってるメドリに語りかける。
けれどメドリは何も言わない。
何かを言おうとはしてくれてる。けれど、喉まできた言葉はそのまま戻っていってしまう。
「……ごめ、ごめん……ごめんね……ごめんなさい……」
「ど、どうしたの?」
メドリが考えて、悲しそうな、苦しそうな顔をして言った言葉は謝罪だった。
そんな顔を見てられなくて、私は少し焦ってしまう。早く安心して欲しくて。
「だって……だって私……」
そこで言葉が詰まる。
メドリの目には迷いが見えた。
きっと……言っていいのか迷ってる。言ったら私に嫌われないかとか、私がいなくなるんじゃないかとか思ってるんだと思う。
「大丈夫……嫌いになったりしないから……メドリのこと、聞かせて?」
「……ほ、ほんとに……? ほんとに嫌いにならない?」
確認するように、メドリが震えた声を絞り出す。
そんなメドリの頭を撫でる。
「うん。ずっと好きだよ」
「好き……私も……好き」
私がメドリに好きと言えば、メドリは少し照れたようにしながらも、好きと言ってくれる。
この瞬間はほんとにいつまで経っても馴れない。幸せな……満たされた気持ちが私の心の中を埋め尽くす。
「私……私ね? 私……その、怖くて……さっき言ったよね……怖かったの」
私が離れそうで怖い。いなくなりそうで怖い。それが不安で仕方ない。
メドリはそう言っていた。
けれど、それはメドリがよく感じてる不安でしかない。
ふとした瞬間に不安に思ってしまうみたいで、私によく確認するように問いかけてくれる。
その度に、不安を取り除きたくて、抱きしめて、好きを囁いて、頭を撫でて、安心できるようにしてきた……つもり。
でも、今の不安はそれとは違う気がした。
「怖くて……でも、イニアと離れたくなんてないから……イニアが欲しくて……さ、さっきみたいなこと……」
「さっきみたいなこと?」
「……うん……イニアの意見なんて聞かないで……身体を触ったりとか……なのに、声出さないで、なんて言ったり……キスしたりとか……」
さっき……さっきって身体を洗ってくれた時のことね。
けれど、それのどう不安と繋がるのかな……私にはご褒美でしかなかったし……
「イニアはしんどくなって、吐いちゃったりした後なのに……じ、自分勝手に……イニアを求めて……こ、こんなことして嫌いなったよね……? いなくなって欲しくないのに……!」
メドリは泣いていた。
大粒の涙が頬を伝う。
その涙を舌で舐めとる。
「ひゃっ……! イニア……?」
「嫌いにならないよ。メドリが私を求めてくれて嬉しいよ?」
メドリは今不安に駆られてる。いつもよりずっと。
それはきっと……罪悪感から。
怖い不安な気持ちが、メドリの独占欲を刺激して、私を貪るように求めていたことを後悔してるんだと思う。そこに私がさっき倒れたという状況が拍車をかけている。
「で、でも私……イニアみたいに病気があるわけじゃないのに……さっき私おかしかった……イニアが欲しくて、欲しくてたまらなくて……制御できなかった……甘やかしたくて……私の…………」
また言葉が切れる。
けれどその続きがあるのはわかってた。
「私のものに……なって欲しくて」
その言葉に思わず、少し笑ってしまう。
メドリが真剣なのはわかってるけど、おかしくて。
「ど、どうして笑うの……? やっぱり気持ち悪い……? 嫌になっちゃう……?」
メドリは心底不安そうに私に問いかける。
その顔に少しいじわるしたくなってしまう。けれどその気持ちをぐっと堪えて、メドリに向き合う。
「嫌になるわけない……それにね、メドリ」
「な、なに……?」
「私はもうメドリのものだよ? 言ったでしょ?」
私の心も身体もメドリのもの。
メドリ以外の人に触れられたら、気持ち悪いし、虫唾が走る。メドリにずっと触れてて欲しい。そうすれば心地いいし安心するから。
だから私はメドリに全てを捧げたい。メドリに全部をあげたい。メドリがいないなら、もう生きていけないだろうから。
「メドリがそんなに私を求めてくれてるなんて……私、すごい嬉しい……私と一緒だね」
「い、一緒?」
「うん。私もメドリの全部が欲しいもの。いなくなるのが怖いし……欲しくてたまらないし……メドリを私のものにしたい」
私もメドリが欲しい。
メドリは可愛くて、綺麗で、カッコいい。
「私も不安なんだよ? メドリは私はみたいに病気じゃないから、1人でどこでもいけるから……本当は縛って、私とずっと同じところにいて欲しいぐらい」
言ってから少し言い過ぎたかなとも思う。
縛ってしまいたいぐらい好きなのは本当だけど、そんなことするつもりはない。メドリは嫌がると思うから。メドリには笑っていて欲しい。
「私も……私だって! イニアと一緒じゃないとやだ! イニアがいなくなることを想像しただけで、怖くて、不安で、何もできなくなっちゃうもの!」
メドリの叫び声がお風呂場で響く。
「だから、だからね……一緒にいてよ……! 嫌いになってもいいから……一緒にいて……? 私をどうしてもいいから……たまに、暴走しちゃうかもしれないし、面倒くさいかもしれないけど……」
どんどん語尾が小さくなっていってしまう。
けれど、聞き取れた。メドリの声だから。
「嫌いにならないよ。約束したでしょ……?」
どんなことをしても嫌いにならないって約束した。
だから私がメドリを嫌いになるわけがない。それに、メドリのことがずっとずっと好きだから。
「それにね? もう私はメドリのものなんだから……だから、なんでもする。一緒にいてくれたら、なんでもしていいから……なんでもしてあげるから……だから、そんなふうに私にしたことで悩まなくていいんだよ?」
メドリの涙はまだ止まることを知らない。
まだ不安なのかな。それが怖くて、私はメドリを抱きしめる。紫髪に沿って、頭を撫でる。
「まだ……不安?」
「ち、違うの……嬉しくて……イニアがそんな風に……思ってくれてるの嬉しくて」
「なら……良かった。あ、でも……なんでもしてあげるとは言ったけど、私メドリから離れたら、なにもできなからそれは無理だよ?」
最後の方は冗談めかして言う。
それが少し面白かったのか、メドリは微笑む。
「……知ってる。じゃ、じゃあ……イニア……甘えてくれる? イニアのこと、甘やかしたい」
メドリは顔を赤らめながら、そんなこと言ってくれる。
それが心から嬉しくて、メドリを離して体重を預ける。
今度は私をメドリが包み込んでくれる。
「私の……私のものなんだよね?」
「うん……そうだよ。どうしてもいいよ」
メドリが確認するように問いかけに、心のまま答える。
どうしてもいい。もし……メドリが私を傷つけてもいい。一緒にいてくれるなら。それで好きでいてくれるなら。
「ふふっ……私もメドリのものだからね?」
「……わかった。ありがと」
「イニア……キスしてあげる」
「んっ……」
メドリはそれから私をそれはもう甘やかしてくれた。
私もメドリに甘えるの気持ち良くて心地よかった。ずっとこうできるなら、なんでもいい。なんだってできる。なんだってする。メドリのために、なんだって。




