第117話 はなれて
イニアが離れていく。杖の効果範囲から出たのか、魔力すら感じ取れなくなる。イニアはきっと不安に思ってると思う。どういうわけか病気もひどくなっていたし、はやくそばに行ってあげたい。
けれど、それにはまず。
「ここから離れないと……」
「メドリ。こっちです」
名を呼ばれて、後ろを振り向くと小さな宙に浮かぶ魔導機があった。
手のひらぐらいの大きさで、ひいき目に見ても戦闘向きではなさそう。
「エスさん?」
「はい。ここは通れません。第三層を経由していきます」
「……わかった」
周囲に展開していた魔法領域を解いて、エスさんの背を負う。
後ろからは、さっきの四つ足の魔導兵器とエスさんの球体型魔導兵器がぶつかる音がする。多種多様な爆発音が聞こえて、熱気が伝わってくる。その熱気から逃れるように、来た道を戻っていく。
「ひゃっ……!」
振動が昇降機を揺らす。
この証拠期は大分頑丈そうなのに……それを揺らすなんてなにが……?
「私の魔導兵器がやられました。追ってくるかもしれません。早く逃げましょう」
「う、うん」
「メドリ、魔導機を使わないでください。我々……いえ、彼らは魔力を追ってきます」
言われたとおりに仮起動状態の魔導杖を解除する。けれど、私の体内魔力はともかく、エスさんは魔力放出をしなければ動けないような……
「今、私と同じような機体がかく乱のため周辺を飛んでいます」
私の疑問に答えるようなエスさんの返答に少し驚いた。私の心の内を読まれたみたいで。古代の人工知能はそれぐらい簡単にできるのかもしれないけれど。
それは少し怖い。私の醜い心はイニア以外には見られたくないというのは未だにある。イニア以外に嫌われるのは、前よりはましになったといえ未だに怖い。嫌われたかもしれないと思うだけで、想像するだけで、息が苦しくなってしまう。
イニアがいればそんなことはないのに。イニアがいれば、嫌われてもイニアがいるから大丈夫って思えるのに。イニアがいないと怖くて何もできない私に逆戻りしてしまう。
「えっと……じゃあ、その隙に……」
「はい。私の指示通りに進んでください」
エスさんの指示方向へと走り出す。
警報音の鳴り響く第三層の通路は、赤白く染まっていて、私の不安を強くさせる。いや……この色と音が原因じゃないのかも。久しぶりにイニアが近くにいない。それが怖い。
イニアと一緒に死にたい。イニアの腕の中で死にたい。イニアに私の腕の中で死んでほしい。身勝手だけれど……私も自分の気持ちに素直になっていいってイニアが言ってくれたから。
ほんとはさっき死んじゃっうほうがよかったのかもしれない。イニアが一緒に死んでくれるならそれでよかったのかもしれない。それぐらいはできたのかもしれないし、今離れ離れになってこんなに苦しい思いをするぐらいなら、そうしたほうがよかったのかもしれない。
でも、私にはわかる。イニアはまだ私と一緒にいたいって思ってくれてる。私だけじゃない。イチちゃんやナナちゃん……他のみんなともまだもう少しいたいって思ってる。私にはそれを踏みにじれない。踏みにじりたくない。イニアには後悔を残してほしくないから。
私のような後悔を積み重ねて何もできなくなるようなことにはなってほしくない。私はイニアがいてくれたから、ここまで生きてこれたけれど……イニアが後悔に呑まれてしまったとき、私が私にとってイニアにはなれない。なれる自信がない。
だから、イニアには後悔してほしくない。
「止まってください。前方に百三十五式の子機です。右に……」
「……どうしたの?」
「いえ、右に行ってください」
唐突にエスさんの歯切れが少し悪くなる。私はそれに気づかないふりをして、指示通りに通路を走る。息は切れ始めて、身体が痛い。思考も弱くなっている気がする。
怖い。
もうイニアに会えないかもしれない。あの時死んでおけばよかったかもしれない。そう思うだけで、身体が震えて動けなくなりそう。
でも、イニアにはすぐに会える。すぐに、必ず。
「メドリ。すいません。事態が変わりました」
「どうしたの?」
「この施設の主導権が取られそうです。現在抵抗中ですが、そう長くは持たないでしょう」
「それは、えっと……」
どういことなの? よくわからない。
考えるのがしんどい。息が切れて、苦しい……胸が痛い。イニアがいないからなのか、走りすぎたせいなのかわからない。どっちもかな。
そのせいでエスさんの言ってる事がよくわからない。主導権を握られると……どうなるの? えっと。悪いことだよね? 多分。しんどい。走ることで精いっぱいだから、なにもできない。
「現在ここら一体の権限だけを残し、すべては統括管理機構にとられました。その影響で昇降機は使えません」
「……ぇ」
思わず足を止める。
思考が真っ白になる。呼吸も忘れて、ただその場に立ち尽くす。地面が揺れるような感じがして、何もかもが崩れていくような幻聴が聞こえる。
「ぁ……ぇと……じゃあ……」
「すいません。上に行くことはできません。ですが必ず、メドリ、あなたをイニアやナナの元へとお連れします」
エスさんの妙に小綺麗な声が何かを言ってる。何かを言ってることはわかるけれど、私はその言葉をうまく処理できない。身体が重くて立っていられない。
身体も思考も動かない。動けない。
まるで自分が離れていってしまうような浮遊感。妙に近くて荒い呼吸音。身体を芯まで冷やしてしまうような空気、今にも崩れてしまうような気がする地面。
その全てが嘘のように感じる空っぽな心。
「メドリ? 聞いていますか?」
「……なに? もう会えないんでしょ? それなら、もう」
もうどうでもよかった。
もう何もかもどうでもよかった。
早く消えてしまいたい。イニアにもう会えないなら、早く死にたい。消えたい。こんな場所にいる意味はないし、この世界のどこにもいる意味はない。
「いえ、まだ会えます。必ず。約束します」
「なに……どうするっていうの? ここにずっと隠れるとか?」
ずっといつ来るかもわからない魔導兵器達に怯えながら? 食料もないのに? 無理に決まってる。
それに限らず、もう私にはなにもできない。イニアにもうずっと会えないなら、なにもする意味がない。
「近くに転移機があります。現在は使われていないため起動に時間を要しますが、それなら脱出が可能です」
「そう……けど、今まで言わなかってことは何か問題があるんでしょ?」
「はい。転移先は複数ありますが最短の場所でも800kmほどは離れています。ですが私が必ずあなたを安全な場所へと連れて行きます。約束です」
「……約束……わかった」
もうほとんど諦めている。800kmを徒歩で行けば何日かかるかなんてわからない。どんな場所に行くかもわからない。私なんかが生きていけるかもわからない。
ここで諦めたほうがいいかもしれない。もう頑張ってもよくならないなら、なにもしたくない。
今までの私ならもうここでうずくまっていたかもしれない。けれど、約束だから。また会うって約束したから。その約束のためならこの淡い希望のために少し手を伸ばしてみても、いいかもしれない。
重い体に無理矢理力を込める。諦めに染まった心にほんの少しの希望を得る。恐ろしい希望。希望ほど私を傷つけるものもない。けれど、私は傷ついてでもまたイニアの腕の中に帰りたい。必ずまた。




