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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

(下)僕と彼(方)

作者: 京郷卿
掲載日:2020/05/31

「性別ってそんなに大事なことかな」と彼は言う。「わからない」と僕は言う。僕と彼は恋人同士ではないけれど、手を繋ぎ、抱き合い、接吻をし、同じベッドで眠る。

 彼は一人暮らしをしている大学生。寂しいという理由で僕を呼ぶ。

 僕は社会人で、休みの日に彼の部屋に足を運ぶ。

 僕がいない日は適当な人を見繕って遊ぶと言っていた。家に入れるのは女性だけで、その子がしたいことがあればさせると言っていた。詳しくは知らない。胸の痛くなる事実だったけれど、隠されるよりはいいのかもしれないと思った。

 僕のことは誰にも言わないと聞いていた。秘密にされることを喜んでいた。



 彼は薬を飲むのが苦手で、口移しで飲ませて欲しいと甘えてくる。錠剤を舌に乗せて彼の口にねじ込む。続いて口に水を含んで少しずつ流し込む。最初の頃は口の端からこぼれてしまっていたが今はそんなことはない。上手くなった。「これを頼むのは君だけだよ」と虚ろな目をして彼は言う。

 この薬がどういうものか僕は尋ねない。医者から処方されるものだろうから、きっと彼に必要なものなのだろう。



 薬を飲んだ後、彼は眠る。冷房が苦手な彼はTシャツ一枚で眠る。暑い暑いと笑って、もぞもぞ動く。頭を撫でると嬉しそうな顔をして、そして眠る。僕は隣に座って彼の寝息を聞いている。彼は一度眠るとほとんど動かない。いびきもかかないし、静かに眠る。死んでしまったようにも見える。そのまま死んで欲しいなと思う。そうすれば僕が君の最後の物になれるから。隣で僕も一緒に死ぬのにって。



 黒髪のロングヘアで、女性に間違えられるほど綺麗な顔をしている。身体も華奢で、抱き合っている時、いつも壊してしまいたくなる。「昔好きだった人に似てきたんだ」と言っていた。「その人、自殺しちゃったんだけどね」と悲しそうに笑っていた。僕はその人の代わりにはなれないことがわかって、ひどく悲しかった。思い出しても胸の辺りがもやもやとする。有刺鉄線で心臓を巻きつけたような痛み。



 ずっと隣に座っているのが退屈だから部屋にあった『人間失格』に手を伸ばす。すると彼が起きる。泣きそうな声で「いかないで」と手を伸ばしてくる。「大丈夫だよ」と手を繋ぐ。強い力で引き寄せられる。だから僕もベッドに入る。小さな身体を丸める彼はとても納まりがいい。僕の胸に顔をうずめてくる。ぐりぐりと。頭を撫でて、髪を梳く。指どおりが滑らかで、いい香りがする。なんとかって香水を使っていると言っていた。同じ香水を探したけれど、値段を見てやめた。それに普段から彼のことを思い出していたら、僕はきっと生きていけない。彼のように寂しい時、呼ぶ相手もいないから。



 また彼が寝息を立てた。僕はぼーっと天井を見る。起きた時に嬉しくなるからと、一緒に買った星のシールが所狭しと貼ってある。暗くなると光るシールだ。偽りの満天の星空。彼はこの星を見て眠る時、多分少し悲しいだろうなと思う。

 そんなことを考えていると僕も眠ってしまった。



 二人くっついて寝たものだから、起きた時二人とも汗だくだった。彼と目が合う。微笑む彼の顔がすごく好きだ。優しいのに寂しそうに見えるから。その寂しさを埋めることができないことがもどかしくて、でもそれが嬉しい。

 彼は枕元にあるナイフを取り出した。いつもここに置いてある。初めての時は驚いた。でも今はそれが待ち遠しくて仕方ない。



 彼が僕の手の甲をナイフで傷つけた。深く切ることは決してしない。痕が残らないように、薄く切る。血が少しだけ出てくる。本当は痛くないのに痛いと言ってしまう。僕が痛いと言うと、彼がごめんなさいと言ってそこを舐めてくれるから。彼の息が荒くなる。僕はそれを見ていると背筋がぞくぞくとする。傷口に彼の舌が触れる度に熱くなる。彼の唾液と血が混じって滲む。血が止まるまでずっとそうする。彼が満足するまで続く。足りない時は違う傷を作り、同じことを繰り返す。

 彼はこのどういう理由でこの行為をしているのかわからない。生きていくのに必要なものではきっとないだろう。でも僕はこの時間が他のなによりも好きだ。



 今日は10分くらいそうしていた。彼は満足したらしく、ナイフを片付けた。「次は君の番だよ」と彼が言った。首をかしげて僕を見てくる。すごく艶やかな瞳で、僕のたがが外れてしまう。僕は力いっぱい彼を抱きしめて、白く細い首筋に噛み付く。歯型がつくほどに強く、強く。彼が甘い息を漏らす。僕の頭の中がリビドーでいっぱいになる。甘くて切なくて噛む力が強くなる。背中に爪を立てる。僕の証を刻むために。赤い三日月がきっとできている。彼の背中にたくさん月が浮かんで、それが消える頃にまた僕は同じことをしに来るんだろうな。



 彼の身体をたくさん噛んで、たくさん爪あとを残した。少しだけくだらない話をして、僕は彼の家を出た。彼はベッドから出てくることはない。玄関まで見送ってくれたことは一度もない。見送ると寂しくなるからと言っていた。だから彼はいつも帰る時には「いってらっしゃい」と言ってくれて、来た時には「おかえりなさい」と迎えてくれる。



 玄関を出て、扉を閉める。ここから先のことを彼は知らない。

 僕がいつもここで泣いていることを彼は知らない。

 僕も彼が今から何をするのか知らない。

 寂しさを埋めるためにまた誰かを家に招いているのかもしれないし、一人で眠りこけているのかもしれない。どちらにしても僕はそこにいない。僕の隣にも彼はいない。さっきまでの時間が夢だったみたいに、まるで現実味がない。



 一人で家に帰る。家に帰っても誰もいない。メールを確認しても彼からの連絡はない。いつだったか彼は「僕は人たらしだよ」と言っていた。今日と同じことを本当は僕以外の人ともしているのかもしれない。

 彼がナイフで傷つけた逆側を、あてつけのように深く傷つけて眠りに落ちていく。こんこんと、雪のように。

 夢でも会えたら素敵なのに。そんなことを考えながら。

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