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第十六話 交渉

 俺は女に近づこうとすると女は精一杯座り込んだまま後ずさる。恐怖か将又安堵のせいか彼女は腰が抜けているようだ。俺はとりあえず近づくのをやめる。


「心配しなくてもいい。俺は少なくともあなたの敵ではない」


「そ、そんなの信用できないわ!」


 女は上ずった声で叫ぶ。やはりすぐに信頼を得るのは難しいようだ。下手に警戒されて自害でもされては最悪だ。ここは様子を見た方がいいみたいだ。


「まあ、確かにいきなり現れた人間を信用できないのは分かる。だが、冷静に状況を考えてみろ。先ほど見たと思うが俺の実力は確実にあなたを凌駕している。なのに俺はあなたに何も危害を加えていない。この意味が分かるだろう?」


「確かにそうだけどあなたが私の……いえ、私の主の敵である可能性は依然残っているわ。私に恩を売って取り入ろうとしているかもしれないじゃない」


 俺は彼女の発言にからその背景を考える。この女には主がいるようだ。つまりこいつは何かの使いであるということだろう。おそらく<蠍>の内部を探るために遣わされたのだ。だが、逆に潜入が露見し追われていたというところか。この街で<蠍>に探りを入れることができるほどの人物はグランツ商会のヴィクトル・グランツ、パシフィック商会のハクヨウ、それと領主のガルニエくらいだろう。


 ヴィクトルの情報が正しければだが領主は<蠍>とは何らかの契約関係にあるはずであり、そのヴィクトルが調査しているならアリエスに話している可能性が高い。だが、情報をくれた当人が怪しいため確実な考察とは言えない。しかい、裏を返せばこの人物の背後にいる人間次第でヴィクトルが信用できるかの物差しになるということだ。俺はより一層冷静に思考する。


「では俺はどうすればいい?」


 女は腰に下げていた短剣を差し出す。


「これで手を引いて。この剣はかなりの業物よ。それなりの金になるわ」


 女は鞘から短剣を抜き刃の部分を見せる。日のあまり差し込まないこの路地でもはっきりとわかる美しい曲線美に銀のようで輝きの異なるそれは希少金属ミスリルで作られたものだ。


「確かにそれは中々の一品のようだ。だが、俺はそれをもらうわけにはいかないな」


「何故?」


「教義に反するからだ」


 俺の言葉に女は疑問符の浮かんでいるような顔をする。ここら辺が頃合いだろう。俺は神具から麻袋を取り出す。女は警戒したように美しい黒目を細める。


「俺の言葉の意味はこれを見たら分かってもらえる」


 俺は麻袋の中の物体を取り出し、掲げる。それはアリエスが領主の館で見せたものと同じだ。いや、厳密にいえば違う。アリエスの救世機関の紋章はミスリルで作られたものであるが俺たち<勇者>に与えられた紋章はオリハルコンでできている。黄金色に輝く金のようで似て非なるもの。その価値はミスリルに匹敵する。案の定女は目を見開きぽっかりと口を開けている。


「そ、それはもしかして救世機関の……」


「そうだ。俺は救世機関所属の<灰の勇者>だ」


 女はごくりと唾を呑む。だが、雰囲気にのまれず冷静に切り返してくる。


「でも、なんで最初からそれを見せなかったの?それとも見せられない理由でもあった?」


「……見せたくなかったんだ。聞くが誰でもいい、<勇者>と呼ばれる人物の顔を知っているか?」


 女は俺の質問の答えを考えているだろう。これで彼女も俺の意図に気づくはずだ。


「……知らないわ。<勇者>とは事を成す力であり権威を示すものではない。……救世機関の教義で決まっていたと思うけど」


「その通り。逆に言えば俺たち<勇者>の顔が知られるのは好ましくないということだ」


「なるほど、理解したわ。あなたにとってその紋章は最終手段というわけね」


「そういうことだ」


 俺は天秤の紋章が刻まれたペンダントのようなものを麻袋に再び入れそれを彼女に投げ渡す。唐突な行動に女は慌てるが危なげなく受け取る。


「念のため確認してくれて構わない」


 女は袋から出した紋章をまじまじと見つめている。表だけでなく裏返したり紋様に軽く触れたり様々な方法で確かめている。だが、それは本物だ。しっかりと確認すればするほど俺の潔白が証明される。数分ほど経ち女は満足したのか麻袋が投げ返される。


「確認したわ。間違いなくそれは本物。あなたは間違いなく救世機関の人ね。疑ってごめんなさい」


「こんな状況なら神経質にもなるさ。あなたの判断は間違いではなかったと俺は思う」


 俺と彼女はお互いに微笑を浮かべる。彼女のそれは安堵であり、俺のそれは欺瞞であった。何故なら彼女に語った理由は嘘だからだ。確かに<勇者>は目立たないように行動しろとは言われている。だが、有事の際はその権威を振りかざすことは教主様から認められている。だから俺が最初からあの紋章を見せることは簡単だった。


 しかし、それをしたとして彼女の信頼は勝ち取れただろうか。いくらあの紋章が本物でもいきなり現れた人間が表の教義に反してあの紋章を掲げれば疑念は免れられなかったはずだ。寧ろ本物なだけにさらなる疑いを呼んだかもしれない。あの紋章はあくまで切り札的扱いだったと誤認させることでその価値を引き上げたのだ。こんな茶番をするのは面倒であったが必要な過程なだけに省略することはできなかった。


 だが、十分に収穫は得られた。なんせ堂々と彼女に近づけるのだから。

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