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私、綴方 つづると申します。
今日もいろんなことがあり、いろんな人と話しました。その度に自分の至らなさを突き付けられ、それでもなお、こうして徒然と文にしてしまう私は余程の阿呆ということでしょう。ええ、全くその通りです。それでは今日から、反省日記を書いていくと致しましょう。
今、猛烈に、猛烈に反省しております。
今日も元気に学び舎に行ってまいりました。帰りは死人のような足取りでございます。どうも、つづると申します。
さて、今日私が何をやらかしたのかと申しますと、おしゃべりなことが私の足をすくった、とでも言いましょうか。私元来おしゃべりな人間なんです。自分からは話しかけないくせに、他人が話しかけてきたらもう大変! 永遠と話し倒してしまいます。いつもなら、嘘を織り交ぜながら話をかいつまんでちょこちょこと長ーくお話しするのですが、ええ、私今日は何を思ったというのか、実話を多分にお話ししてしまったのです。もちろん誇張した表現もありますがね。
恥ずかしながら私いじめられていた経験がありまして、まあ今どきそう珍しい話でもないんでしょうがね、嫌なものですね、いじめなんてそう珍しいものでもないだろうなんてね、大人になってもそういったものは続くというのですから、まったく悲しい話です。
ああ、話が逸れてしまいましたね。それも私の悪いところです。これだから、お喋りだと言われるんだ、などと言ってる間に又ね。
ええ、それでですね。何分いじめられていた期間が長かったものですから、とっさの話題として思いつくものがその話でして。今日は疲れていたこともあって少ししゃべりすぎてしまったのです。それでどうも過分に心配させてしまったようでして、不安げに大丈夫かどうかしきりに訪ねて下さるのですね。もう心配はいらないというのに、申し訳ない限りです。私が構って欲しがっただけかもしれませんが。それに私が受けたいじめというのも本当に大したことはないのです。馬鹿にされることは昔からよくありましたし、特に暴言やなんやらで傷つくことはなかったのです。
わたくしが傷つけられ、歪められたのは暴力によるものです。殴られ、蹴られ、投げられ、踏まれ、のフルコース。その大変盛り沢山な暴力のフルコースに私の心は折れてしまったのです。
そんな私、今こうしてこのように生き残っているのは立ち直り、生き残ってしまったからです。
生きていればいいことあるさ、なんて嘘っぱちです。私がよかったのは家族と家庭に恵まれたこと。そして私が不幸だったのは、私が私であったことです。
何一つ相談したいとは思いませんでした。何一つ顔に出すことは無いよう一生懸命、気丈に振舞いました。何一つ学友に助けを求めませんでした。何一つ抵抗することはありませんでした。
それはひとえに、恐れていたから。今ある世界を、私が居心地のいいと思える少しの居場所をむざむざと失うわけにはいかなかったから。誰かを、私と関係の無い誰かを巻き込むわけにはいかなかったから。
そして、私が誰かを信じることが恐ろしかったから。
人間は、他人は、誰一人として私、そして誰かの思うようには動きません。
誰かに助けを求めても、誰かが嫌だと叫んでも、誰かが涙をこぼしても。
助けようとした誰かは暴走し、暴走の果てに私のような誰かが救われることもなく、被害を徒に大きくしてしまい終わるかもしれない。
助けようとした誰かは、やはり自分の身を案じて、私をいじめる側に周るかもしれない。
私は耐えることができても、他の誰かでは耐えられないかもしれない。そうすれば、私が殺したも同然だと私なら考えるだろう。
そういった思いと同時に、私はこうも感じていたのかもしれない。
誰かにすべてを打ち明けてしまいたいと思っていました。本当に気丈に振舞えていたでしょうか、流れ落ちる涙で頬を濡らしたり、涙目で眉を寄せしかめっ面をしていなかったでしょうか。言葉を交わさずとも彼らは私を助けてくれるのではないでしょうか。彼奴らと同じことを彼奴にやってしまえば私がこのような目に遭うことも無くなるのではないでしょうか。私は誰かと違う特別な自分であることを空想して誰かが救わねばならないとさせるために甘んじて受け入れていたのではないか。私はそれでも彼らに期待を寄せてしまっていてはいなかったか。
ああ、嫌だ。嫌だ。反省とは言うものの結局何を話していたのかも忘れ、ただ愚痴るだけのお話になってしまった。そして、ここまで詳しくは話していないけれど、このようなことを関わることもほとんどない彼らに聞かせていたことがすごく嫌だ。
反省だ。反省しています。これからは誰かに話さず、心の内に秘めておきます。お喋りを直せば、すべての悩みは片付くのでしょうが。それは、ちょっと、となる辺り心の底から反省はできていないのかもしれないと思います。