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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

散華

作者: もじゃ

「いてっ!」


 深夜。

 急に手の甲に痛みを覚えた。

 

 虫か何かなのか?


 とは思ったものの、寝ぼけて正常な判断ができていなかったことと、痛みに無理矢理起こされたという苛立ちとが重なって、痛み与えた原因を排除すべく、もう片方の手を使って強引に手の甲の表面を払い除けた。

 

 今思えばゾッとする行為だ。

 それがもし、ムカデか何かだったら余計に被害が拡大したことだろう。

 だが、そうとはならず……


 ――プチッ。


 僅かな感触と痛みを伴ったものの、先程から感じていた痛みはなくなり、僕は再び平穏な時間を取り戻す。

 直後から襲ってくる眠気に逆らうこともなく、意識は闇の中へと沈んだ。







 朝。

 未だに残る眠気と戦いながら、ダイニングへ向かうと……


「カズ、おはよう」


「うん、おは……よ……」


 そこには奇妙な景色が広がっていた。


 話は変わるがウチは父、母、姉の四人家族だ。

 それに関しては別にどうということもないと思う。

 仲も決して悪くはない。

 姉は一時期、やたらと両親に反発している時期はあったものの、大学生となった今ではその姿は影を潜め、今では世間話なども普通にできている。

 あれがいわゆる反抗期だったのだろう。

 そんな僕はと言えば、高校生になる現在に至るまで、そういったことは一切なし。

 おそらく、今後もないだろうと確信している。

 その理由はたぶん姉の影響が強かったように思う。

 両親と姉の小さないざこざから大きな喧嘩まで、実際にこの目で目撃してきた。

 その度に、おろおろとしながらも「僕はこうならないでおこう」ときっと無意識下で誓っていたんだと思う。


 まぁそんなこんなで今となっては、ごく普通のありふれた家族……だと思っていたんだけど。




「お母さん?」


「ん? どうしたの? 朝食はもう少し待ってね。今、卵焼いてるから」


「うん。別にそれはいいんだけど……」


 僕の視線は、料理をする手元になんてなく、母の頭頂部に釘付けだった。




 ――そこには一輪の大きな赤い花が咲いていた。




「カズ、ぼーっと突っ立ってないで、座りなさい」


「うん……」


 振り返れば、椅子に座ってコーヒーを片手に新聞を読みながら朝食を待つ父の姿も。

 こちらもいつもの光景だ。

 そして、そんな父の右肩からは、いつもどおりではない黄色い花が咲いていた。


「やっばー! 遅れるー!」


「あ、アヤちゃん朝食いらないのー?」


「うん。今日、一限からだから!」


 どたばたと慌ただしい姉。

 言わずもがな、いつもどおりの光景だ。

 いい加減、学習すればいいのにと思わなくもないけど、それを言うと途端に不機嫌になるので言わないでいる。

 いわゆる弟の処世術というやつだ。


 そんな見慣れた姉の背中からも、母ほどではないにしろ見慣れない赤い花が咲いていた。


 え~っと……なんだんだこれは?




 結局、両親には聞けなかった。

 だって、あまりにも二人の振る舞いが自然だったから。

 そう、まるで生まれた時からずっと咲いていたかのように。


 聞けなかった理由は他にもある。

 テレビの中の人達も同様に花が咲いていたからだ。

 それに対するツッコミも、当然のことながらなかった。


 なんとなく気になったので、スマホで検索するとすぐに出てきた。

 なるほど、どうやら母の上に咲いているのは百合の一種らしい。

 父はガーベラの一種で、姉は一瞬でわかりにくかったけど、おそらく百合の一種だろう。

 姉は母親似らしい。

 ってなんじゃそりゃ。


 ついでに、身体に花が咲いている現象についても検索してみたんだけど、こちらに関してはまったく情報がなかった。

 そりゃそうだ。

 だって僕の記憶が正しければ、昨日まではこんなことなかったんだから。


 至って普通の日常。


 そうだったはずなのに……




「カズ君、おはよ」


「あ、うん。おはよ……」


「ん? どしたの? もしかして何か付いてる!?」


「あ、ううん。大丈夫何も付いてないよ」


「そっかぁ~よかったぁ……てっきり、またジャムか何かを拭き忘れてたのかと思ったよぉ~」


「ははは。よく付けてるもんね」


「も~馬鹿にしてるでしょ!」


「ごめんごめん。本当にジャムは付いてないから。安心して」


「それならいいんだけど……あ、それよりさ――」


 高校までの道すがら、同級生に会って会話をする。

 これもいつもの光景。

 そして、高確率で口元に何かしらを付けて登校してくる、ちょっとおっちょこちょいな目の前の幼馴染も普段といつもどおりだった。

 うん、確かに珍しくジャム「は」ついていない。

 でも、それよりももっと珍しいもの――制服の隙間から大きな白い花が咲いていた。

 あの花は見たことがある、カーネーションだ。

 母に何回かプレゼントしたことがあるから覚えているから間違いない。


 理解が及ばなかった。

 なんなんだろう、これは。

 

 両親、姉、テレビの中の人、登校中に見た人達、そして目の前の幼馴染。

 咲いている花の色や形、場所にこそ差はあれど、皆例外なく、どこかに花が咲いていた。


 改めて自身の体を見回してみる。

 花なんて咲いてない。


 本当にこの世界はどうなってしまったのだろう。

 もしかしたら、僕だけがおかしくなってしまったのだろうか。







 あれから数日。


 たった数日ではあるのだけど、世界は変わってしまった……のだと思う。


 花が咲いた初日は特に問題らしき問題もなかった。

 いや、花が咲いていること自体が最大の問題ではあるのだけど。


 問題はその翌日からだった。

 初日に関しては、みんな花が咲いていることが見えていないようなスルーっぷりだったのにも関わらず、翌日以降に関しては、どうやら花を認識しており、その上で価値観が花に引っ張られているかのようだった。


「あれ? カズお前、なんで花が咲いてないんだ?」


 言い方は様々だったけど、そのセリフを何回聞いたことか。

 耳にタコどころか、花が咲くかと思ったほどだ。


 そして「さぁなんでだろうね」という僕の返答と共に、皆例外なく哀れみの視線を投げかけて去っていくのだった。


 それ以降、友達との口数や、家族とのコミュニケーションが激減したように思われる。

 唯一、幼馴染だけは以前と変わらず話掛けてきてくれているのだけど、明らかにその表情に以前のような明るさはない。

 どこかぎこちないというかなんというか……逆に僕から聞いてみた。


「なぁ」


「ん? どうしたのカズ君」


「別に無理に話にこなくてもいいんだぞ?」


「そ、そんなこと……だって私はカズ君のこと……」


 最後の方はもごもご言っててよく聞こえなかったけど、その表情が結局その後も晴れないままだったことを思うと、やはり無理しているのだと思う。







「ニュースの時間となりました。まずは速報です。昨日未明、無職の男性が路上で無差別に花を切り落として回ったいたところを、近くにいた警察官に取り押さえられ――『花なら誰でもよかった』と供述しており――」


「まぁ、怖いわねぇ……カズも気をつけ――」


「お母さん!」


「あ、お父さんごめんなさい……カズ、ごめんね」


「ううん。別に気にしてないよ」


 夕食後の何気ない会話。

 そしてその後の最悪の雰囲気。

 僕はそそくさとダイニングをあとにした。


 あれから、数週間。

 どうやら、世の中は完全に花主体の価値観に変わってしまったらしい。

 その変化は本当に急激なものだった。


 学校でもそうだ。

 運動神経抜群で、勉強もできて、おまけにイケメン。

 ただ、女性関係だけは最悪で、噂では他校に何人も彼女がいるらしい……と噂の同級生がいたんだけど。


 咲いている花が小さかった。


 たったそれだけの理由で、あれから数日もしない内に、校内カースト最下位にまで転げ落ちていた。

 今では教室の片隅で一人でいることをよく見かける始末。

 まぁこれに関しては、元々のだらしなさも考慮されてのことだとは思うのだけど。


 もちろん、その逆も然りで。


「あの人の花見た?」


「見た見た! すっごい大きくて綺麗だよねぇ!」


「うんうん。私、一気にファンになっちゃった!」


「それなら、一緒にファンクラブ入ろうよ! もうあるみたいだよ!」


「ホント!? 入る入る!」


 そんな、話を(はた)で聞いている僕には見向きもせず、その女の子達は廊下へと走り出した。


 花の価値の重要性。


 あの日から加速度的に高まっている。

 現に、先程噂されていた大きな花の持ち主は、以前、校内でいじめにあっていると噂されていた人物だった。

 それが、この数週間でいじめがなくなるどころか、一気にファンクラブができるほどの人気者へ大躍進を遂げていた。


 たまに本人を見かけるけど、なんというか……周りに女性を(はべ)らせているのがさも当然と言わんばかりの雰囲気だった。

 大物の風格というかなんというか……。

 とにかく、物凄い余裕を感じさせた。


 そんな僕はというと、どうやら同級生達の間では半分……というか、ほとんど見向きもされなくなったらしい。

 無視とも言える。


 そりゃそうだろう。

 だって、価値化のの基本となりつつある花が咲いていないのだから。

 そんな僕には話しかけるどころか見る価値すらないということなのだろう。


 ただ、これに関しては、すでに納得済みで。

 むしろ、同情的な視線が来ないだけ気が楽でさえあった。


 逆に僕自身なぜだかわからないのだけど、この現状を面白いとさえ思ってしまっている自分がいた。


 人間ここまで変わるものなのか。

 たった花一つで。


 以前の価値観を持っているのはおそらく僕一人だろう。

 なぜなら花が咲いていない人物には、あれ以降会っていないからだ。

 そのなんというか『特別感』みたいなものが、今の状況でも悲観していない理由なんだと思う。


 とことんまで、最後の価値観の持ち主として観察してやろう。


 そう思いながら内心にやりとほくそ笑んだ。







 さらに数週間。

 花の影響はとうとう国を動かした。


 まず、今までは現法を流用する形で成されていた、花を害することに関する憲法が制定された。

 法律ではない。

 憲法だ。

 国民投票を経て、今まで、異例とも言えるスピードで憲法が制定された。

 これに関しては、今まで改憲反対と声高々に叫んでいた人達も鳴りを潜め、すんなりと、まるでないことが不自然とも言える形での制定だった。


 内容に関してはどれも過激なものばかりだ。

 花を刈り取ることに関しては死刑。

 傷つけることに関しても、人体への傷害など比べ物にならないくらい重い罪が列挙されている。


 まるで人体など花のおまけだと言わんばかり。


 それほどの内容だった。


 一方で校則に関しても追加、変更がされている。

 面白いところでいうと『不純異性交遊』――つまりは男女交際についての文言の追加だ。

 ウチの高校では一応、男女間で付き合うことに関しては禁止となっている。

 誰も守ろうという意識などない形骸化(けいがいか)された校則ではあるのだけれど。

 そんな校則にある文言が追加された。


『男女間の花粉の交換を禁止する』


 それを見た僕は目が点になったのだけど、周りの反応を見れば様々だった。

 文句を言う人。顔を僅かに赤らめる人。卑下する人等々。


 大きな花を咲かせている人達は主に文句を言っているし、小さな花を咲かせている人達は「どうせ自分なんて……」と卑下する傾向にあるらしい。


 顔を赤らめている人達の反応からみて『花粉の交換』というのは、おそらくいかがわしい行為に当たるということなのだろう。

 まぁ種を残すという意味では性行為と同じなわけなので、納得しやすい内容ではあった。

 思い返せば「なぁ俺と交換しようぜ」「え? でもぉ……」みたいなことを、端々で聞いたことがある気がする。

 最初、ギャグか何かだと思っていたのだけど、校則とまでなると、おそらくマジなのだろう。

 どちらにせよ、僕にはわからない感覚だった。


 ちなみに、あれから幼馴染とだけは相変わらず登下校を続けている。

 ただ、その頻度は確実に落ちているのだけど。

 いずれ、それも無くなってしまうのだろう。

 色々思うところはあるけれど仕方がない。

 それだけ、この世界では花の咲いていない僕の価値はそれほどしかないということなのだから。







 さらに数ヶ月が経った。

 一つ重大なことが判明した。


 この世界の人間は花を刈られると死んでしまうらしい。


 それが判明したのは、数ヶ月前に起きた無差別花採取事件だ。

 あれ以降その人達の容態が気にはなっていたのだけれど、どうやら死因は栄養失調ということらしい。

 経口摂取では栄養が取れない体になっているということなのだろう。

 そういえば、ここ最近、朝食をとった記憶がない。

 出てくるのはもっぱら水だけだ。

 僕は僕でお小遣いで途中のコンビニやスーパーで買い食いする機会が増えていた。

 水だけでいいのなら、コンビニやスーパーも無くなっても良さそうなものなのだけど、どうやらそれらの食べ物は食事ではなく、一種の嗜好品というカテゴリーに認識が変更されてしまっているらしい。

 つまり、食事は贅沢品なのだ。

 両親にはなんとか説得して、お小遣いで日々の糧を得られるようにはなっている。

 そんなこともあってか、近頃、自分に対する両親の態度が冷たくなってきているのがひしひしと伝わってきていた。

 おそらく、養ってくれるのは高校卒業までだろう。

 そんな、なんとなく確信に近い予想を立てている。

 卒業後の身の振り方については、今から徐々に計画を立てていくつもりだ。

 卒業まで一年と少し。

 僕にはあまり時間がない。







 そして、数カ月後……


「わぁ! あの人見てぇ!」


「凄い凄い凄い! 還ってるね!」


「うんうん。おっきなお花を咲かせて還ったね!」


「「うらやましいなぁ~!」」


 休日のスクランブル交差点。

 そこには山のような人だかりができていた。


 最初はなんのことだからわからなかった。

 『かえる』とはどういうことなのだろう。


 だが、それを見て僕は愕然とした。




 そこには背中から大輪の花を咲かせながら、カラッカラに干からび動かなくなった人間がいた。




 『かえる』とはつまり『土に還る』という意味なのだろう。

 周囲の祝福ムードの中、僕はその人混みを抜け帰路へとついた。

 あとに聞いた話では、花は一度蕾へと戻った後に、それまでよりも大きな花となって再び咲き誇るらしい。

 その際に、おそらく大量の栄養を必要とするのだろう。

 人間はそのすべての栄養を花へと吸収され干からびる、ということらしい。

 そして、それが至上の喜びだという認識なのだ。

 人一人が死んでいるにも関わらず。


 信じられなかった。

 でも、その後目の前で『還』った人間を見て現実を知ることとなった。

 急速に枯れていく人間。

 咲き誇る大輪の花。

 祝福する周囲。

 誰もその下にあるミイラなど見もしていなかった。


 そのあまりの異様さに僕はその場で嘔吐した。

 そして自覚する。


 もしかしたら僕は間違っていたのかもしれない。







 さらに数カ月後。

 予感は確信に変わっていた。

 僕は後悔していた。


 どうしてこうなってしまったのか……

 もっと早くにどうにかできなかったのか。


 何を思っても今更だった。


 あれから次々に、人間は『還』っていった。

 それを人々は祝福し「私も私も」と騒ぎ立てた。

 テレビでは特集が組まれ、SNSでは物凄い速さで、あの大輪の花が拡散された。


 その下にある干からびた人間には誰も見向きもしなかった。

 まるで、最初から居なかったかのように。


 とても正常と言えるものではなかった。


 いや、何を持って正常とするか。

 この場合、僕以外の人間が祝福し、熱狂している状態なのだ。


 異常者は僕なのかもしれない。


 どちらにせよ、何もかも手遅れだ。

 だからといって、こうなる前にどうこうできる力など僕にはこれっぽっちもなかったのだけど。


 人間はどこへ向かうのか。

 おそらく、どこにもいかないのだろう。

 僕以外の人間がただただ咲き誇る未来を待つだけ。

 それしかない。

 そうして、人間はこの地からいなくなるのだろう。


 その時、ただ一人残された僕は……どうするのだろう。


 今はただ、その時を待つしかない状況だった。







 どれくらいの月日が経ったのか。

 学校へはもう行っていない。

 行く意味が見いだせないからだ。

 大半の生徒がすでに『還』ってしまっていた。

 残りの生徒達もおそらく時間の問題だろう。


 あれから結構な時間が経過している。

 もしかしたらすでに全員……


 両親に関してはまだ『還』ってはいない。

 けれども、ここ何日間は庭からまったく動かない状態だ。

 ぼーっと座ったまま動かない。

 声を掛けても、億劫なのか、それともすでに意識がないのか、全く返答がなかった。

 姉に関しては、見かけてすらいない。

 もしかしたら、すでに『還』ったのかもしれない。


 どちらにせよ、僕にはどうでもよかった。




 ――チクリッ。




 手の甲に刺すような痛みがあり、ふと見るとそこには何かの芽が小さく萌えていた。


「これは……」


 何だとは言わない。

 わかっている。

 きっと例の花の芽だ。


 おそらく、これを放置すれば僕も人間を辞められるのだろう。




 ――それでもいいかな。




 ふと、そんなことが頭を(よぎ)る。


 僕が考えるまともな人間などとうに存在していないのだ。

 仲間入りするのも悪くないのかもしれない。

 今は深夜だ。

 このまま眠ればきっと明日には……

 そうして僕自身も仲間入りしてしまえば、きっとこの心に蔓延(はびこ)る虚無感、脱力感、無力感からも開放されることだろう。


 あれから何ヶ月経ったのか。

 もう人間として思い悩んでいることが馬鹿らしくなってしまっていた。

 自暴自棄ともいうのかもしれない。

 どちらにせよ、なんでもよかった。


 そう、なんでも――




 僕は手の甲の芽をゆっくりと払いのけた。


 確かになんでもいいし、どうでもいいとも思う。


 でもだからこそ。

 だからこそ、人間として生きていったとしても別にいいじゃないか。


 最後まで人間として生きやろう。

 僕がどう生きようが、すでに誰に迷惑をかけるという状況ではないのだから。

 ちっぽけな意地だと思われるかもしれないけど、『最後の人間』として、その意地だけはなんとなく……そう、本当になんとなく守り抜いていってやろうと……ただそれだけの理由で僕は花になることを拒絶した。


「ふふっ……」


 自然と笑みが溢れる。

 ちっぽけなプライドからきた行為ではあったのだけど、やってしまえば、意外と吹っ切れたというかなんというか……


 逆に明日からどうやって楽しんでやろうか。


 この現象が発生した当初に抱えていた、そんな気持ちがふつふつと湧いてでてくるのを感じていた。




 ――ピーンポーン。




「……え?」


 僕が決意を新たにした直後。

 ここ何ヶ月とならなかった家のインターホンが鳴り響いた。

 とうとう幻聴が聞こえてきたのかなと、自嘲気味になっているところに再度聞こえてくる音。


 間違いない、誰か来たんだ。


 でも、一体誰が?

 なんのために?

 どういった理由で?


 今の人間もどき達はほとんどが、『還』っているか、両親のようにまったく動かない状態だ。

 おかげでテレビもラジオもインターネットも、ほとんど機能していない。

 ライフラインもいつ止まるのかわからない状況だった。


 そんな中でのインターホン。


 僕は警戒しながらインターホンのカメラ越しに玄関を確認した。

 そこには……


「……(のぞみ)?」


 幼馴染の姿がそこにはあった。




「どうしたの?」


 見知った顔とはいえ、こんな世の中だ。

 警戒してインターホン越しに声を掛ける。


「カズ君、話があるの……」


「話?」


「うん、だから早くドアを開けて……」


「……わかった」


 明らかに胡散臭すぎる。

 もしかしたら、何かの罠なのかもしれない。

 唯一の人間である僕を……

 そんな疑念は晴れない。

 けど、僕は玄関へと行き……そしてドアを開けた。


 だって、幼馴染の瞳は、以前と全く変わっていなかったから。




 ドアを開けると同時に幼馴染は僕に抱きついてきた。


「ちょっ! きゅ、急にどうしたの?」


「お願い! ちょっとだけ!」


「え?」


「少しだけでいいから! このまま居させて……」


 尚も僕の背中に手を回しギュッと抱きしめてくる。

 でも、必死な口振りとは裏腹にその力はか細く弱い。

 その気になればすぐにでも解けてしまいそうな感じだった。

 それもそうだろう。


「希……お前……腕……」


「うん、私ね……たぶん、もうすぐ『還』るんだと思う」


 幼馴染の腕は今にも折れそうな程にカラカラに干からびていたのだから。

 おそらく、歩くのも辛いはずだ。

 現に、自身を支えることも覚束(おぼつか)ないのか、幼馴染は完全に身を僕に預けている姿勢となっていた。

 僕が支えていなければすぐにでも崩れ落ちていることだろう。


「でね。最後にね。カズ君の顔が見たくなって……来ちゃった」


 幼馴染は僕の胸元に顔を押し付けながら、掠れた声で呟いた。


「なんでだろう……『還』るのはとても嬉しくて幸せなことなのにね……」


 幼馴染の顔を胸元から離して、表情を見る。


「ああ、これでカズ君と会えなくなっちゃうな……って思うと急に……」


 顔自体はまだ枯れてはいない。でも、抱きついた体付きからして、それ以外はもうカラカラなのだろう。

 そんなカラカラの体なのに幼馴染は……


「寂しくなっちゃった……」


 泣いていた。


「カズ君……カズ君カズ君カズ君カズ君!」


 再度、僕の胸元に顔を擦り付ける幼馴染。


「一緒にいたいよぅ……離れたくないよぅ……『還』ることは嬉しいはずなのに……楽しいはずなのに……」


 そのまま泣き出した。


「全然喜べないんだよぅ……」


 僕はそのまま何もできず、幼馴染を支え続ける頭を撫で続けることしかできなかった。




「あ……」


 幼馴染のその声に顔を上げる。

 そこには今にも大きく咲き乱れようとする蕾があった。


「もうすぐ……お別れだね」


 幼馴染の顔には疲労感が見える。

 おそらく、花に栄養を吸われ続けているのだろう。

 目元が若干落ち込んできたようにも見えた。


「カズ君……最後に会えてよかった」


 幼馴染は最後の力を振り絞ったのか、僕の背中に回していた腕にギュッと力を込めていた。


「私の花……綺麗に咲くといいな……」


 もう声を出すのも限界なのだろう。

 どんどんと声もか細くなっていった。


「カズ君……私が……立派に『還』るとこ……見ててね」


 幼馴染は笑顔でそういうと、力を抜きそして……


「バイバイ」


 そのまま力尽きた。







 それから数時間後。


「……あれ?」


 幼馴染は目を覚ました。


「どうし……て?」


 まだ状況が理解できていないのだろう。

 ベッドの上でキョロキョロしている。

 その表情が少し面白かった。


 幼馴染が僕に抱きついてきた直後から僕はあることを決意していた。

 それは、幼馴染の花を刈り取ろうということ。


 理由はいくつかあった。

 まず、単純に幼馴染を人間に戻したかった。

 仮に無理だったとしても、人間のまま死なせたかった。

 花なんかになってほしくなかった。

 だから刈り取った。


 次に可能性の問題だ。

 少なくともウチの両親に関して言えば、こんな行動をとっていない。

 そこである一つの仮設を無理矢理立てた。


 人によっては花の侵食度に差異があるのではないか? と。


 そして、『還』ることを至上の喜びとしているはずなのに、僕に会い、そして、別れを惜しんでくれた。

 これは、他の人間もどきには絶対に見ることができなかった行動だ。

 これはもしかしたら……という可能性。

 だから刈り取った。


 そして最後。

 これは最初の理由にも繋がることなのだけど……

 僕は幼馴染が……


「よかった……」


 今度は僕が幼馴染を抱きしめた。


「カズ君……私……『還』ったんじゃ……」


「僕が刈り取った」


「……え?」


「希の花を刈り取ったんだ」


「…………えぇ!?」


 幼馴染の驚いた顔はやっぱり面白かった。







「ある程度冷ましたけど、まだ熱いと思うから気をつけて食べるんだぞ」


「……」


 それからが大変だった。

 幼馴染がまた泣き出したからだ。

 でも今度は別の理由で。


「なんで『還』るのを邪魔したの!?」


 という、花よりの意見だった。


「それに私……花刈り取られちゃったら……死んじゃうじゃん!」


 幼馴染が僕に見せる、たぶん初めての怒り。

 まさかこんな形で怒られるとは思ってもみなかった。

 しかも、花を刈り取ったあとで。

 その後、僕の言うことに全く聞く耳を持たない幼馴染だったけど……


「じゃぁ逆に聞くけど、どうしてそんなに『還』りたかったの?」


「そうなの決まってるじゃない!」


「うん。だからどうして?」


「それは! ……それは」


「うん」


「あれ? 私どうして『還』りたかったんだろう……そもそも『還る』って……何?」


 この質問を契機に、若干の混乱は招いたものの、幼馴染は無事落ち着きを取り戻した。


 その後、『ぐぅ』という幼馴染のお腹の音と共に、とりあえず何か栄養になるものをと、お粥を作り幼馴染に渡したところだ。


「でも、たぶん私、食べても意味ないよ?」


「いいから食べて。たぶん大丈夫だから」


「そうかなぁ……でも、カズ君がそこまで言うなら……」


 おそらくだけど、幼馴染はもう大丈夫だ……と思う。

 だって、お腹の音がなったということは、人間としての機能を取り戻しているということだから。

 といっても、まだまだ自信はないんだけどね。

 要経過観測には変わりはない。

 幸い、花を刈り取ったお陰か、少しづつだけど常識も人間よりになりつつある。

 先程のように『還』られなかったと半狂乱になることもないだろう。


「カズ君」


「ん?」


「ごめん。食べさせて……腕が上がらないや」


「……あ、そっか。わかった」


 ベッドの脇にあるお粥を持とうとしたものの諦めたのか、幼馴染は乾いた笑いを浮かべて僕に頼んできた。

 意識は人間よりなってきたとしても、身体はまだガリガリだ。

 本当によくここまで来れたものだと改めて関心すると共に、その理由を思い出し少し顔が火照るのを感じた。


「はい、あーん」


「あーん。熱っ!」


「あ、ごめん! まだ冷めてなかった?」


「うん。ちゃんとふーふーしてね」


「ふ……ふーふー?」


「うん、ふーふー」


 こうして僕は、しばらくの間ゆっくりと幼馴染にお粥を食べさせ続けることになった。

 その時のなんとも言えないむず痒い空気は、とても耐え難いものだった。

 でも、当然嫌なものではなかった。







 あれから数ヶ月、僕たちは相変わらず二人きりだ。

 幼馴染は時間はかかったものの、無事回復した。

 あれ以降、花が再び咲く様子もない。

 一度付くと免疫が付くのだろうか?

 わからない。

 まぁ今となってはどちらでもいいことだ。

 幼馴染が無事ならそれでいい。

 

 今までの食事は缶詰などの保存食でなんとかなっているし、まだまだ在庫もある。

 だって僕達以外にそれを消費する人間は少なくともこの近所には存在していないのだから。

 軽い罪悪感を覚えながらも、近所のスーパーやコンビニで食べ物をありがたく拝借している。

 当然、お金なんて全く意味はない。

 経済なんてとうの昔に崩壊してしまったのだから。


 今はどちらかといえば、野生の動物の方に気をつけている状況だ。

 まぁそれに対しても、なんとかなっている。

 主に重火器の方で。

 初めて使ったときは面食らったものの、慣れてしまえばこんなに便利な道具はないと思う。

 といっても、銃弾は有限なので気をつけないといけないのだけれど。


 野菜などの栽培も始めてみた。

 缶詰も今は豊富にあるとはいえ、有限だからだ。

 いつかは尽きる。

 これからの生活を考えると必須事項だった。


 ライフラインも止まってしばらくが経つ。

 水はまだミネラルウォーターなどでどうにかなっているけれど、これも自力でどうにかしないといけない日がくるだろう。

 今は幼馴染と共にサバイバルの本を片手にそれらの確保に奮闘中だ。




 そして、もう一つ……


「手遅れだったね」


「うん」


 目の前に横たわる(しお)れた人間。

 と、同時に舞い散る大きな花びら。

 どうやら刈り取られた蕾は、それまでの栄養を糧に即座に花開き自身を誇示するように舞い散るようになっているらしい。

 今まで何十回と見た、すでに見慣れた光景。

 綺麗とも思わなくもないが、その代償が足元にあるので全く喜べない。

 むしろ、また駄目だったという虚無感の方が大きかった。




 そう、僕たちは未だ『還』っていない人間の花を刈り取っていた。




 幼馴染と同様まだ人間に戻れる可能性のある者を探して。

 けれど、今のところ誰一人として成功した者はいなかった。

 幼馴染がよっぽどの例外だったということなのだろうか?

 わからない。

 でも、一人でも多くの人間を元に戻したい一心で今まで刈り取っている。

 いつか成功する日が来ることを祈って。


 目の前に広がる都会だった光景。

 今や動植物の楽園と化していた。

 最初の騒動から一年と少ししか経っていないのにも関わらずだ。

 自然の成長が少し早すぎないかとも思わなくもないが、これも花の影響なのだろうか。

 わからない。


 とにかく、わからないことだらけだ。

 だから二人で目標を決めた。

 まずは「生き抜ける環境を作る」こと。

 衣食住、これが第一目標。

 そして、「生存者の捜索」。

 僕達以外にも未だ人間でいられている人達がいる可能性もゼロではないからだ。

 現に僕がそうだったように。


 どれくらい時間がかかるのかわからない。

 もしかしたら、本当に僕達以外には存在しないのかもしれない。

 でも、最悪僕はそれでもいいと思っている。

 だって……


「カズ君どうしたの? また私の顔に何か付いてる?」


「ん? 大丈夫だよ」


「そっか。よかった。ジロジロ見てるからてっきり……」


「ごめんごめん」


「もう……」


「よし! とりあえず、今度はあっちの方面を調べてみようか!」


「またはぐらかした……別にいいけどさ……ええと、そっちは地図によると……大学のあるところだね」


「大学……かぁ」


 ふと、その単語に姉の姿が思い浮かんだ。

 思えば数ヶ月前から会っていない。

 すでに『還』っているものだと思い込んでいたけど、もしかしたら……?

 まぁ期待はしないでおこう。

 現状を考えるにその確率はとても低いものなのだから。


「とりあえず、行ってみようよ」


「そうだね……よし行こう!」


「うん!」


 僕達はお互いの手を取り合う。

 そして、頷きあって歩み出した。


 色とりどりの花びらが咲き乱れ、舞い散るこの道を。

 

 

 

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