チレイ森・3
熊の魔獣の横に向かい走り出す。少し前は整備されていた道を歩いていたが、そんなところを通ることは出来なくなってしまった。草木を分けながら走り、整備された道を横目にすると、そこはおびただしい量の血が付着していた。
「マサキ!そっちは大丈夫!?」
エリカの声が聞こえた。声の方向を見るとエリカの姿が見える。だが、それ以上に魔獣の姿は大きく近くにいた。二手に分かれて森の中に向かった二人は、魔獣を挟むように分かれて立っていた。いや、挟むように立っているのは都合のいい言い方だ。挟み撃ちではなく『2人ともが魔獣に狙われる位置』に立っている。
「ゴアアアアアア!」
魔獣が雄たけびをあげ走り出す。狙いはエリカ。
「エリカ!危ない!」
「大丈夫!こんな動きなら」
あわてるマサキに比べ、エリカは冷静だった。エリカは走り出すと近くに生えている樹に姿を隠す。樹を遮蔽物にし、魔獣は走る勢いのまま樹に体をぶつけ、樹はミシリミシリと音を立てながら魔獣の動きを止めた。
「マサキ!狙って!」
「任せろ!」
背中を見せている魔獣に向かい走り出す。そして、その背中に刀を突き刺した。だが、その刀身は半分も刺さってはいなかった。
「クソッ、固い!これじゃあダメだ!」
グォン!
刀を引き抜こうとするマサキを魔獣は見向きもせず片手で振り払う。その隙を見てエリカは魔獣から距離を取った。しかし、魔獣はエリカから視線を切っておらず、むしろ遮蔽物が無くなったために無防備な姿を晒すことになった。
「グオオオオオオオオ!」
魔獣は4メートルは距離を取っていたエリカに襲いかかる。それも、走り加速するのではなく、右手を振り上げながら跳びかかってきた。それに対しエリカは魔獣が左腕を使っていないのを見ると、右に跳び回避をする。
ボグォ!
爪で引き裂かれることも、牙で噛み千切られることもなかった、だが、完全に避けることは出来ず魔獣の左肩がエリカの脇腹にぶつかる形になった。空振った魔獣は勢いのまま地面を転がり、エリカはその場で脇腹を抱え膝をついた。そこにマサキが駆け寄る。
「大丈夫かエリカ!立てるか?」
「立つくらいなら大丈夫。でも、走るのはちょっと無理かも。次が来たら避けれないかな・・・」
心配をしながらも2人は魔獣の方向を見る。魔獣はゆっくりと起き上がりながら2人の位置を確認し、その後舌なめずりをしながらニヤリと笑った。
「・・・笑った?」
「あの野郎、遊んでやがる。俺たちが逃げてるのを楽しんでるんだ」
マサキの発言は当たっており、この魔獣はなわばりを荒らされたことに対する警戒心もなく、餌を求めるための捕食行為でもなく、ましてや刀を刺されたことに対しての怒りも持っていなかった。ゆっくり近づきながら「どう殺してやろうか」とだけ考えていたのだ。
「エリカ、先に逃げろ。出口か整備された道のどっちでもいい。とにかく少しでも安全なとこに行け」
「マサキはどうするの!?」
「あいつが油断してるうちは時間位稼げるさ。ちょっとしたら俺も逃げるから安心しろ」
「2人共生き残るって言ってなかったっけ」
「生き残るつもりさ。まぁ、大声でもあげてたら助けてくれよな」
「・・・ごめん。任せるね」
エリカは呟きふらふらとどこかへ歩き出した。その背中を守るようにマサキは刀を構え立ち上がる。
ミシリ
足元の草木を踏みしめる音がする。魔獣は近づきマサキは距離を取るように歩く。木々を遮蔽物として利用しているが、魔獣にとっては妨害としての機能は薄かった。
「だったら、これならどうだ!」
じりじりと距離を詰められるマサキは、足元のテニスボールほどの石を魔獣に投げつけた。しかし、それは魔獣に傷を与えることは出来ず片手で払いのけられる。むしろ、石を投げる際に足を止めたことを魔獣は見逃さず、払いのけざまにマサキに向かい数メートルの距離から跳びかかってきた。そこに怯み、マサキはつまずきしりもちをつく形になった。
「やばっ!く、来るなぁ!」
マサキはとっさにつまずいた『何か』を掴み魔獣に向かい投げつけた。それは二の腕ほどの太さがあり、魔獣の顔に向かい飛んで行った。さっきの石よりもサイズが大きかったせいか、魔獣はそれを振り払うことは無く、噛み咥える。そのまま魔獣はマサキの頭上を通り過ぎるように過ぎ去った。噛み咥えた際に視線がずれたこと。同時にマサキが体勢を崩し低く身構えたことで、跳びかかってきた魔獣はそのまま通り過ぎて行ったのだった。
「危ねぇ・・・。完全に殺されるところだった。見ずに投げたけど、あいつ何を咥えたんだ?」
熊の魔獣はマサキを追うことを止め、投げつけたそれを噛み続けていた。
バキリ、バキリ。
噛み砕く音が聞こえる。マサキは熊の魔獣を見ると何を投げたか理解した。『二の腕ほどの太さ』と認識していたそれは『二の腕』そのものだったのだ。魔獣はマサキを見つけると、追いかけず悦に入った表情でそれを噛みながらニヤニヤと笑った。
「・・・こんなの、足止めすら無理だな。そこで遊んでろ!」
マサキは一言叫ぶと、エリカが逃げた方向に走り出した。足元にぬかるみは無いが、魔獣の足跡のせいで足場が不安定になっている。エリカが避難できたかが気になっていたが、同時に2人がこの魔獣に襲われた周囲の足場を見るとふとしたことに気付く。
「(この足跡。・・・そういう習性か?)」
考えながら走るとエリカの後ろ姿が見えた。だがエリカは逃げずに立ち止まっている。
「エリカ!大丈夫か!?」
「私は大丈夫。それよりこれ」
「これは霧?いや、瘴気か」
エリカの前には紫の瘴気が広がっていた。結界を張り直す儀式を中断してしまったせいで、『穴』から瘴気が溢れていたのだ。
「瘴気のせいでメヒラ村の方向に逃げれないわ。遠回りしようにも、マサキがいた方向に戻ることになっちゃう・・・」
「どうするか・・・。ん、そこに何か落ちてるのは?」
マサキが見た方向には大きな布や斧、木片が落ちていた。
あ
「もしかしたら、最初に熊の魔獣と戦った時の後じゃないかな?私たちは最初に避難したからその場所にはいなかったけど」
「だからあんなところに腕が落ちてたのか。でも、これがあれば・・・」
「どうしたの?」
「エリカ。もう一度あいつの足止めをしてみる。でも、次はメヒラ村に逃げるのは諦めてくれ。目標は別の出口だ」
「別の出口って、瘴気が無い方向に行くならさっきの魔獣がいる方向に逃げるのよ。それにどうやって足止めするの!?」
「ここに道具はある!あいつの習性に地形も利用する!お前はしばらく隠れて、隙が出来れば逃げろ!」
「・・・本当に危険になったら私も協力するわよ」
「大丈夫さ。じゃあ、俺は足止めに向かうから見晴らしと足場が良いところで隠れててくれよ」
少し歩いたところで、マサキは『何か』に布をかぶせていた。
「よし。これで準備はできたな。あとは・・・」
マサキがつぶやくと、後ろからはバキバキと木をへし折る音がした。魔獣が近づいている合図である。
「俺の考えが合ってれば足止めも、なんなら仕留めることまでできる」
魔獣は木々の間から、ゆっくりと姿を現した。
「グオオオオオオオオ!」
興奮の咆哮。そしてニタリと口角を上げると全速力で、布をかぶせた『何か』を背にするマサキに向かい走り出した。
「(よし、突っ込んできた。そのまま)」
魔獣は勢いのまま4メートルほどの距離でマサキに向かい跳びかかる。少し前にマサキやエリカに跳びかかった時と同じように。それを見たマサキも、かぶせていた布の端を掴みながら魔獣の体の下を転がりくぐりぬける。
「やっぱり跳びかかってきたな!さっきの場所で足跡を見て解ってたよ!お前がどのくらいの距離から跳びかかってくるかってのかが!油断してそんなことしてるのかもしれねぇが、だったらこっちもプレゼントだ!」
マサキは叫ぶ。転がりながら掴んでいた布を引っ張ると、隠れていたそれは姿を現した。そして、それを見た魔獣からは笑みが消え、途端にこわばった表情となった。
「魔獣でも苦手みたいだなぁ!この森に生えてる毒草だ!その勢いのまま突っ込みやがれ!」
マサキが布で隠していたのは、ランデが教えてくれた毒草だった。炎症を起こす毒草。神経毒をもたらす毒草。量は多くなくとも種類は多く、その毒草は一つの罠となって魔獣に襲いかかる。
ガサァ!
魔獣は毒草に向かい顔から突っ込んだ。魔獣はうつぶせに倒れ動きを止める。少しの静寂の後、魔獣はゆっくりと体を起こした。
「ゴギャアアアアアアアアアア!」
それまでに聞いたことのない叫び声だった。今までの威嚇する唸り声でもなく、強さを示す咆哮でもなく。魔獣は両手を顔に当てながら苦痛を訴える叫び声をあげた。
「よっしゃ効いた!こいつはおまけだ!」
マサキは『グッ』と手を握り、近くに隠していた斧を手に取った。エリカと合流した時に見つけた斧を事前に隠していたのだ。
「背中には効かないってことはわかってんだ!狙いはこっちだ!」
マサキは叫びながら魔獣の膝を狙い、斧を振りかぶった。思った通り背中に刀を刺した時より手ごたえがあり、斧はかなりの部分がえぐりこんだ。
「ゴギャアアアアアアアアアアアア!」
再び魔獣は雄たけびを上げる。立ち上がろうとしていた魔獣は崩れ落ち膝をつく。うめき声を上げながら動きを止めた。
「(どうだ。いや、動くな。こっちだってこれが限界なんだ・・・)」
少しの静寂があり魔獣はゆっくりとマサキの方向を見る。その眼は今までの余裕を浮かべるものではなく、明確に殺意を込めたものだった。魔獣は片膝をついた状態で、右手を振り上げマサキに襲いかかった。
「やばい!この距離は近すぎる!」
「私に任せて!」
その時、草陰から声がした。隠れていたエリカの声が。その声と同時にエリカは姿を出し、手にしていた棍で魔獣の右手を突いた。傷を与えることは出来ないが、それにより攻撃の軌道がずれ、間一髪のところで魔獣の右手はマサキのすぐとなりを通り過ぎて行った。
「エリカ!何で出てきたんだ」
「そんなこと言う余裕ないでしょ!早く逃げなきゃ!」
「解ってるよ!でもこいつ、敵意むき出しだ!背中を見せればこっちが殺されかねんぞ!」
「だったらどうするの!」
「向かい合いながら少しずつ距離を取る!足の傷と毒草のおかげでそこまで連続には仕掛けてこないはずだ!」
マサキの言った通り、魔獣は今までのように跳びかかってくることは無かった。だが、じりじりと距離を詰めており、攻撃の意思は明確だった。そして、マサキ達が数歩後ろに下がると、魔獣は左腕を地面に当てた。
「(何か来る!)」
マサキに不安がよぎる。しかし、マサキが行動に移すより早く魔獣は掴んだ土を思い切りマサキ達に投げつけた。
「マサキ!避けて!」
「無理だ!間に合わねぇ!」
魔獣が投げつけた土は空中で分解し煙幕の様にマサキ達を覆った。その中に混じる砂利がマサキの体に襲いかかる。それに対し、マサキは両腕で顔をガードし何とか視界を切らさないようにした。だが、そのせいで無防備となった腹部に砲丸のような土の塊が直撃した。
「かはっ・・・」
直撃したマサキは小さく声を上げる。声というより、体の空気が抜けるような音だった。そのままマサキは膝をつき身動きを止める。意識は残っているが、衝撃のせいか1人で動ける状態ではなかった。
「グオオオオオオオオオオ!」
それを見た魔獣はマサキとの距離を詰め、そのまま左腕を振り上げた。
「マサキ!」
「(やばい、これは避けれない・・・)」
ダダダダダダッ
マサキが死を覚悟したその時、少し離れた場所から謎の音がした。何かを打ち出したような音だ。マサキがそれ以上に疑問に感じたことは、まだ生きているということだった。魔獣の方向に目を向けると、左腕を振り上げていた魔獣は左半身に十数本の矢を受け、転がり苦しんでいた。
「何があったんだ・・・」
「攻撃部隊は攻撃を続行!救護部隊は民間人の保護!他2人ずつで森を抜けた先の村に護衛に回れ!」
マサキが呆然としている中、矢の飛んできた方向から声が聞こえた。そこには鎧を着けた金髪の男。その周りには弓を持った軽装の男たちおり、その男と救護部隊らしき兵士がマサキ達の近くにやって来た。
「君たち、大丈夫か?」
「私は大丈夫です。でも、マサキが・・・」
「走るのは厳しいが歩くくらいなら何とか・・・」
「肩を貸そう。森の外に馬車が待機してある。そこまで逃げればネコンの都まで避難できるさ」
マサキは男に助けてもらい森の外に歩き出した。後ろでは魔獣の暴れる音が聞こえている。さっきの弓兵達に追い込まれているのだろう。
「トール隊長!2組は別働隊として行動開始!周囲に他の民間人は見受けられません!魔獣はかなりの傷を負ってますが追撃しますか?」
「保護が優先だ。追い払えたならそれで十分だと全員に伝え、別働隊以外は外の馬車に来るように伝えてくれ」
「かしこまりました」
鎧の男。トール隊長と呼ばれた男に助けられながら数分歩くと森の外に出ることが出来た。そこには3台の馬車があり、槍を持った兵士が待機していた。
「隊長!どうされましたか?」
「森の中で民間人を保護することになった。少ししたら他の兵たちも戻ってくる。それまでの間、馬車の中で彼らを休ませてあげてくれ」
「了解しました。では、馬車の中にどうぞ。狭いが足を伸ばすくらいは出来るぞ」
「ありがとうございます」
2人はお礼を言うと馬車に入り座り込んだ。そして、無事を祝うことも苦労をねぎらう言葉もなく2人の間には無言の時間が流れた。今回の怪我を考えると決して無事ではなく、怪我を負わしてしまったこと。囮を買って出たが心配を掛けてしまった自責の念からか、2人は言葉を出すことが出来なかった。すると、沈黙を破る声は馬車の外から聞こえた。
「数人と1台馬車を残す!森に人が入らないよう警備に当たれ。他は一度都に帰還する。民間人の保護と調査報告が終わり次第、追って指示を出す」
「はっ!」
声が止むとドタドタと足音がした。それと同時にマサキ達が乗っている馬車に、数人の兵士とトールが入ってくる。トールは馭者に声を掛けると馬車が動き出した。すると、トールはマサキ達の正面に座り改めて挨拶を始めた。
「災難だったね。僕はトール。この調査部隊の隊長を任されている」
「私はエリカ。こっちはマサキです」
「2人はこの辺りの出身かい?」
「私は森の奥のメヒラ村出身です。マサキは・・・」
「俺はちょっと遠くから来てるんだ。細かい場所は聞かないでもらえるかな」
「何かわけありってところか。なら詳しくは聞かないさ。とりあえず、2人とも都で避難するといいさ」
「都ってことは、この馬車が向かってる方向は・・・」
「このガシア大陸の都。ネコンさ」
揺れる馬車の中でトールの発言と共に、マサキ達の向かう先が決まった。