第三話 アイドルのお願い
「はぁはぁ…」
なんとか逃げ切ることに成功した和樹はビルの一つに身を潜めていた。ここに逃げ込む前に何発か撃ってみたが結果は明後日の方向に飛ぶばかり。それを見て相手は悠々と歩きながらサブマシンガンを乱射させるという展開となっていた。
だが、和樹は手に持つ銃に慣れてきていた。
不思議と負ける気が全くしない。
「…そろそろいいかな?」
深呼吸を一つして相手の動きを窺う。相手はまるで周りを警戒せずにビルへと入って来た。ビルの柱から隙を探る。が、気配に気が付いたのか相手は顔をニヤつかせて銃口を向けると即座に引き金を引いた。
ドドドドド…!!
けたましい銃声がビル内で鳴り響く。和樹の場所が分かっていないのか見境いなく乱射している。それはただ勝負をしているのではなく格下の相手をいたぶるのを楽しみたいだけのように見えた。
やがて、銃声が鳴り止む。残弾が尽きたようだ。和樹はその一瞬を見逃すことなく飛び出した。柱から飛び出した和樹を見て、相手はすぐさまリロードしようとする。
だが、しかし…
バキューン!!
銃声が鳴り響くと同時に相手の目は見開いていた。
目の前には銃を構え狙いを定める和樹がいる。その姿はサブマシンガンを持つ相手にとって格好の的となるはずだったが__
「な、なんで…」
動揺したような声を出す。
今、彼の手には何も持たれていない。先ほどまで持っていたはずのサブマシンガンは彼の後方で転がっていた。まるで状況が理解出来ていないようで、相手は呆然とした面持ちのまま固まっている。
そして、遅れて彼は目の前にいる敵が何をしたのか理解しだす。
和樹はたった一発で相手の武器だけを狙い撃ったのだ。その距離はおよそ6、7m。いくらゲームだからと言って素人が一発で狙える距離ではないはずだ。しかし、和樹はやってのけた。
なんの感情も読ませないその瞳で相手を監視する。相手の周りには落ちている武器はない。
完全に詰みだ。
「チェックメイト」
和樹はそう言うと静かに引き金を引いた。
☆☆☆☆☆☆
ゲームが終わると視界が切り替わり、そこは夕暮れ時の空が映っていた。和樹は被っていたVR機を外してベッドから立ち上がる。
見ると雪と少年が和樹を見てポカン、とした表情を浮かべていた。勝負の内容に驚いているのだろうか。
「テ、テメェ!」
背後から怒気を含んだ低い声が聞こえてきた。和樹はそちらの方に視線を移すと、先ほどまで戦っていた高校生が凄い形相で睨みつけていた。
「い、一体どんなイカさましやがった!!」
「失礼な。イカさまなんてやってませんよ」
「噓つけ! 俺はこのゲーム結構やり込んでだぞ、初心者に負ける訳ないだろうが!!」
高校生の負け惜しみに和樹は小さく嘆息つく。
(呆れた、どこにその自信が生まれるんだか)
冷めたような気持ちで和樹は高校生を眺める。そんな小馬鹿にした視線が余計に彼の頭に血を上させた。
確かに、和樹はこのゲームは初めてであるがそれがイコールで負けというのはいささか横暴である。高校生が顔を怒りで赤くしてるのに気づいているのかいないのか、堂々とした態度で和樹は言葉を紡いだ。
「さて、ゲームは俺が勝ったので約束通り彼から盗ったお金返してください」
「ふ、ふざけるな!」
負けを認められないのか、和樹の言葉に逆上した高校生が拳を握りしめて襲い掛かる。雪は咄嗟のことで声すら上がらず、少年に至っては目をギュッ、と瞑っていた。
「はぁ、そんなパンチじゃ受け止めてくれって言ってるようなものですよ」
「なっ!?」
しかし、和樹は涼しい顔をして高校性の拳を片手で受け止めていた。驚愕が隠せない高校生。後ろにいる二人も呆然とした面持ちである。
高校性は何とか拳を取り戻そうと力を加えるが、ピクリともしなかった。必死な表情の相手に対して和樹はどこまでも涼し気で余裕たっぷりな顔である。
だが、次には少しばかり口調を鋭くしながら相手へ向けて呟いた。
「……さて、リアルでもバトルしますか?」
「く、くそっ、覚えてろー!!」
綺麗な捨て台詞を吐きながら高校生たちはいそいそと帰って行く。その後ろ姿は滑稽であるが和樹は笑う気もしなかった。ちなみに、去っていく前にしっかりと少年のお金は返してもらっていた。
(少し調子に乗り過ぎたな…)
誰にも悟られないように反省する。柄にもない事をするもんじゃないと和樹は頭を掻いた。
「あの、ありがとうございました!」
和樹がゲーム機の傍に置いておいた鞄を拾いあげていると雪の後ろにいた男子が頭を下げてきた。
「気にするな、俺は大したことはやってない」
「そ、そんなことないです! 助かりました。本当に感謝してます!」
大袈裟だ、と和樹は言おうとしたが男子の嬉しそうな顔を見ていると何も言えなくなってしまった。困ったな、と和樹は雪の方を見ると呆然とした表情を浮かべながら彼女は自分をボー、と見ていた。
「何? 俺の顔に何かついてる?」
「え? いや、その、何でもないです…」
「??」
慌てて顔を逸らす雪。その様子に和樹の頭上にはハテナマークが浮かんだ。少年は今度は雪の正面に立つと和樹にしたように頭を下げた。
「お姉さんも助けてくれてありがとうございました」
「いや、でも私なんにもできなかったし…」
「そんなことないです。庇ってくれて嬉しかったです」
キラキラした笑顔で感謝されて困惑する雪。本当に自分は役に立てなかったという負い目があるせいだろうか。だけども、そんな雪の考えなど知らない少年は必要以上に二人に頭を下げると帰って行った。
残された和樹と雪はしばらく無言で少年の後ろ姿を眺めていた。
「…んじゃ、俺、買い物があるから」
「し、白井君!!」
突然、大きな声が響いた。驚いて雪を見る和樹。イメージ的に彼女からこんな声量が出るとは思わなったのだ。
「…何?」
「白井君ってゲーム得意なの?」
「………」
雪の興奮気味な質問に和樹は沈黙する。おそらくモニターで和樹たちの様子を見ていたのであろう。どうしようかと悩む和樹。彼にとってその質問は非常に答えづらいものであるからだ。
「…どうしてそんなことを?」
「助けてほしいの!」
「助ける?」
「うん、お願い、私を助けて!」
☆☆☆☆☆☆
(詳しいことは明日の放課後話すね)
昨日、雪はそう言ってから和樹と別れた。
一体どんな用なんだと和樹はモヤモヤした気分のまま買い物を済ませて帰ったのを覚えている。
そして今日、いつものように和樹の机には教科書が開かれていた。しかし、内容が全く頭に入っていくことはなかった。
『白井君って、ゲーム得意なの?』
雪の言葉が頭で反響する。失敗したな、と和樹は思った。あの時、調子に乗ってあの高校生と対決する必要などそもそもなかったのだ。もっとやりようなどいくらでもあっただろうに、と今更ながらに反省する。とにかく、話を聞くだけはしようと方針をたて再び教科書の文字に集中し始めた。
そして、放課後がやってきた。和樹は帰り支度を整え隣の席に目をやる。雪も準備が出来たようで無言のまま席を立つと、和樹に視線を送りそのまま教室から出ていく。
(ついてこいってことでいいのかな?)
和樹は教室から出ていく雪の背中を追いかけて行った。その際、少し距離をとりながらついていく。隣で歩いていると変に目立つ恐れがあるからだ。雪は階段をそのまま下りるのかと思ったら上へと向かった。
(どこ行くんだ?)
和樹は疑問に思いながらも黙ってついていく。どんどん先へと行く雪はやがて最後の階段を上ると扉を開いた。目的地はどうやら屋上のようだ。
屋上に出た雪はフェンス越しからグラウンドを見る。グラウンドでは運動部の生徒たちが懸命に汗水を流していた。やがて、雪は和樹と向き合う。
「ごめんね。こんなとこまでついて来てもらって」
申し訳なさそうな顔をする雪。その顔を他の男子が見たら鼻血を出していたことだろう。
「…別に、それで? なんか頼みたいことがあるって言ってたけど」
「うん、あのね、白井君はさ…」
遠慮しているのか雪は言いにくそうに指を絡めるが言葉を続けた。
「BGOって知ってる?」
☆☆☆☆☆☆
「…名前くらいなら」
和樹が出した言葉がそれだった。顔には出していないが心は激しく乱れていた。だが、なんとなくその名前が出てくる予感はしていた。
Break Ground Online
若者たちの間で人気のVRゲーム。昨日の放課後に雪とクラスメイトたちが話題にも出していたそのゲームをなぜ雪が和樹に知っているかなんて聞いてきたのだろう。和樹は気が気ではなかった。
「私の中学の時の後輩の子もそのゲームしているんだけどさ、その、対人トラブル? みたいのに巻き込まれたみたいでさ…」
和樹は黙って雪の話を聞く。いつの時代も、ゲーム内でのトラブルはつきものである。今回は、どうやら雪の後輩が被害に受けたようだ。
「それでね、色々あって、自分の持っているアイテムが相手に取られたみたいで、それがその子が気に入ってるアイテムだったみたいで…」
それに関してはお気の毒にとしか言えない。が、和樹はそれを口に出すことはなかった。
「それで? 俺にどうしろって?」
「うん、私、その子のために色々したいんだけど、始めたばかりでまだ分かんないことがあるし。だから、白井君!」
一歩前に出て続ける。
「私と一緒にBGOやってくれないかな?」
風が二人の間を吹き抜ける。まだ冷たさを残すそれは和樹の顔に優しく触れた。
「…なんで俺なの?」
「私、昨日の白井君のゲームの腕を見て感じたんだ。この人なら、ってだから力を貸してくれないかな?」
潤んだ瞳で上目遣いをして和樹に頼む雪。雪のような美少女にこんな顔でお願いされたら普通の男子はなんでも引き受けてしまうだろう。だが__
「悪いけど、俺なんかよりほかの人に頼んだら? ほら、柊って知り合い多そうじゃん」
「ううん、そんなことないよ。皆、忙しいそうだし、気が引けるじゃん」
(俺はヒマそうに見えるのか?)
出しかけた言葉を慌てて押し戻す和樹。必死な顔で頼み込む雪を見て困惑してしまう。
「申し訳ないけど、俺じゃ役に立てないよ」
「そんなことないよ、昨日の白井君すごかったし」
「あれは、たまたまだ。俺なんか大したことないよ」
「で、でも…」
断っても一向に雪は引こうとはしない。その頑なな態度にいい加減和樹はうんざりしてきた。
「他の奴を当たってくれ」
はっきりと冷たく突き放すように言った和樹。すると、雪は顔を俯かせてしまった。
そんなにショックだったのだろうか? だが、はっきりと言ってBGO内にはいくらでもプレイヤーがいる。なんならクラスのなかにもいるし、俺なんかに頼む前にそいつらに頼んだ方が早い。
そんな言い訳じみたことを心の中で和樹は呟く。
「………」
一向に顔を上げない雪に和樹はちょっと心配になり、顔を覗きこもうとすると急に彼女の空気が変わったような気がした。吹き抜ける風が何でかより冷たく感じる。
「…そっか、ごめん、そうだよね。いきなりそんなこと言われても困るよね」
先ほどまでの必死そうな態度から一転してしおらしくなる雪。その態度になぜか和樹は罪悪感を感じたがそれは引き受けられない相談なのだ。
「………」
「………」
二人の間に沈黙が流れた。こういう場合のための対処の仕方など和樹は持ち合わせていない。
気まずい空気に耐えきれなくなり和樹はその場から離れようした。一応、和樹は言い訳をしておく。
「…悪いが勉強しなきゃいけないし。家のことだってあるし。それに…」
「それに?」
和樹の言葉の続きを促すように雪は復唱した。和樹は苦い顔を浮かべながら次の言葉を出した。
「…俺、ゲームが嫌いだから」
「…ゲームが嫌いな人間があんなことが出来るわけないじゃん」
雪が静かに呟いたが和樹の耳までは届かない。和樹は振り返り、屋上から出た。その時、彼女がどういう風な顔をしていたのか彼には分からない。
屋上から出ると扉に背をつけ大きく息を吐く。
(…疲れた)
目を閉じると、昔の光景が浮かび上がる。
暗い部屋、誰もいない家、テーブルに置いてある一枚の紙。
目を開け、和樹は階段を下りる。
「もう、間違えない」
春だというのに学校のなかは肌寒かった。
☆☆☆☆☆☆
翌日、和樹はいつも通っている通学路を必死に走っていた。
「くそっ、寝坊した…」
昨夜、雪の話が脳裏を通り、中々寝付けずにいたらいつの間にか朝を迎えていた。慌てて父親の分の朝食と昼食を作って家を出る頃には遅刻ギリギリだった。
息を切らしながら学校に到着する。どうにか間に合ったようだ。いつもより遅い時間に教室のドアを開く。すると、和樹の姿を見ると先ほどまで騒がしくしていた教室が急に静かになった。
「………」
その変化に和樹は怪訝な顔を浮かべた。だが、気にせずに自分の席へと移動しようとした時__
「ちょっと、白井君」
一人の女子が和樹の前に立ちふさがった。その後ろには雪の姿もある。
…なぜか怯えた表情を浮かべて。
いきなりの状況に何が起こっているのか把握しきれない。
「何?」
「君、昨日雪に何したの?」
「…何って?」
女子の質問を思わず聞き返してしまった和樹。思い当たることと言われれば昨日の屋上での一件であるが特に何かした覚えはない。しかし、彼女は構わず進める。
「とぼけるんじゃないわよ! 昨日、雪が泣きそうな顔で教室に戻ってきたのよ!」
「み、美紀ちゃん、いいよ、別に…」
「よくないわよっ」
どうやら彼女は昨日和樹と雪が一緒に出ていく所を目撃していたらしい。その時は「あぁ、雪告白されるのか」程度にしか思ってなかったようだがしばらくして帰って来た雪の姿を見て彼女は驚いた。
雪が今にも泣きそうな顔をして戻ってきたのだ。
美紀は何があったのか訊くが「なんでもない」とだけ雪は答えた。しかし、雪の様子から美紀は和樹が何かしたと判断したようである。
「それだけで俺が何かしたとは限らないだろう」
「言い逃れする気なの!」
「美紀ちゃん、本当に白井君何もしてないから」
「あんたは黙ってなさい!」
すごい剣幕で怒鳴られ雪は身体をしゅんと縮こまらせる。
「…で、俺にどうしろと?」
「ちょっと、なんなのその態度はっ、雪に謝りなさいよ」
「美紀ちゃん、本当になんでもなかったんだよ…」
冷めた目で美紀を見る和樹。対照的に熱を込めた目を和樹に向ける美紀。しばらく互いを睨みあっていると学校のチャイムが絶妙なタイミングで鳴り響いた。どこかホッとした様子のクラスメイトたちはせっせと自分の席へと戻って行った。
和樹たちもそれに倣って席へと移動する。まだ、睨みつけてくる女子生徒も渋々と席に着いた。席に座った和樹は隣の方を見る。視線に気づいたのか雪は和樹の方向に顔を向けて両手を合わせる。そして、口パクで「ごめんなさい」と謝罪してきた。
和樹はただそれに対して疲れたように首を振るしかなかった。
昼休みになると、周りからの視線に耐えきれずに和樹は昼食を屋上でとっていた。あの後の美紀と呼ばれていた女子生徒からの執拗な謝罪要求に逃げて来たといってもいい。
屋上は平和でいいなぁ。
静かな屋上に雲一つない晴れた空を眺めながら購買で買ったパンを食べていると不意に屋上の扉が開いた。
「あ、ここにいたんだ?」
「…なんのようだ」
「そんな嫌そうな顔をしなくても…。その、ごめんなさい。美紀ちゃん、本当はいい子なんだけど…」
どうやら友達のフォローにやって来たようだ。
「誰のせいでこうなったと思っているんだ?」
和樹の冷たい口調が雪の胸の奥に突き刺さる。朝からの美紀の執拗な行動に加え、教室での和樹を見る視線がストレスとなって積み重なっていった。今、それが爆破寸前のようである。
「……ご、ごめん、なさい」
「あ、いや、その……」
雪の物怖じした声を聞いて、冷静になる。今のは少しきつかったと和樹は遅れて理解した。
目元に涙を溜らせている雪を見て和樹は必死に慰めの言葉を考えるが試験の問題とは違い、どう言葉をかければ正解なのか分からなかった。
いや、そもそもこの程度で泣かれても困る。というか、泣かれたら今度こそ自分は悪者になってしまう。どうにか、彼女を宥めなければ。
「…その、悪かった。お前に当たるつもりはなかったんだが」
「ううん、白井君が怒るのも仕方ないよ。元々、私が悪いんだし」
「………」
そこで会話が途切れた。二人は互いに相手が次に出す言葉を待っている。しかし、両方とも果たして何を言っていいのか考えている途中であった。
先に口を開いたのは和樹だった。
「……んじゃ、先に戻るわ」
「え、あ、うん、ごめんね白井君。美紀ちゃんにはちゃんと誤解解いておくから」
「…別に気にしてないからいいよ」
和樹はそう言って傍のビニール袋を掴むと雪の横を通り、屋上から出て行った。
その時、雪がどういう表情を浮かべていたのか和樹には見えなかった。