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Break Ground Online   作者: 九芽作夜
第七章 CRIMSON BOY&GREAT GIRL 
289/452

第二百七十一話 和樹と那海3



「不覚です……」


 ベッドに横になり、天井を見上げたまま那海は呟いた。

 シミ一つない綺麗な天井にぶら下がる電気の紐。薄暗くした部屋に、窓から差し込む光が丁度いい光量とさせている。


「今なら、先輩にあの手この手で甘えるチャンスだと言うのに」

「それを口にしている時点で、俺がお前を甘やかすことはなくなったけどな」


 ぐぬぬ、と唸る那海にベッドの近くに設置されている椅子に腰かけている和樹は優雅にページをめくる。

 那海の寝室は、勉強部屋と兼用されており勉強机の他には彼女の趣味である本が本棚にぎっしりと陳列されていた。薬を飲ませて後は寝るだけとなっている那海だが、寝るまで一緒にいると言ってしまった以上彼女が寝静まるまでいる必要がある。その間暇なので那海に断りを入れて本を拝借したという訳だ。

 文字の羅列に目を追う和樹を、那海はぼー、と眺める。


「……先輩、今私たち同じ屋根の下男女が一緒にいる状態ですよね」

「そうだな」

「……そして、可愛い女の子はベッドに寝ており身動きが取れない」

「まぁな」

「……これは男として興奮する場面なのでは?」

「ちょっと今いい所だから黙れ」


 ふんぅ、と鼻でため息をついて首を和樹の方に動かす。彼の視線は貸した本に固定されており、文字を追う眼の動きは集中を表していた。

 本を楽しんでくれているのはおおいに嬉しいのだが、こうも何も反応がないというのは些かオカシクないだろうか。


(そんなに私、魅力ないかなぁ……)


 自慢じゃないが、これでも努力の甲斐あってそこそこ可愛い部類に入る容姿になっていると思う。なのに、ここまで好きな人からの反応がないと悲しくなってくる。


(確かに、柊先輩や姫野先輩と比べたら劣るけど)


 あの二人と比べる時点で色々と間違っているが、どうやら彼女たちと交流が深い和樹はそこら辺の美的感覚が向上してしまったようだ。いや、別に今狼になられても心の準備とか、その他諸々で困るのだけど。


「……先輩、それ面白いですか?」


 和樹の性欲に関しては一度置いておいて、全く眠たくならない那海は横になったまま訊ねてみる。

 和樹の読んでいる本はジャンル的にはミステリーもの。あらすじは、ある王国で貧民街の子どもが次々に攫われ虐殺されるという事件が起きる。その事件を騎士団に所属する主人公と、貧民街に住む殺し屋が利害の一致から事件を調査するという内容だったはず。

 調査されていくにつれて暴かれる王国の闇や、伏線の張り方やトリックの精密さも面白いし世界観も美しく表現されているためすぐに引き込まれるのを覚えている。


「あぁ、内容に無駄な描写がないし分かりやすく解説してくれているから読みやすい。けど、緻密なストーリーだから面白いぞ」

「そうですか。良かった」


 どうやら、お気に召してくれたようだ。彼の口調からそれが本心だと言うのが分かる。そこまで楽しんでくれるのなら薦めて正解だった。


「なぁ、那海」

「はい?」


 嬉しくてニヤリとなる頬を止めていると、唐突に和樹から呼びかけられる。那海は慌てて返事をする。

 和樹は目線をいまだ本に固定したまま口を開いた。


「お前、もしもこういう事件を調べようとした時、まず何から考える?」

「はい?」


 彼の質問に、那海は閉じかけた瞼を開け首を傾げる。

 一体、どういう意図があっての問いかけなのか。探ろうとしてみても彼は那海の方を一瞥すらしないため何を考えているのか分からない。

 しかし、質問されたからには答えないといけない。那海はすぐに考えを和樹の質問に切り替えた。


「そうですねぇ、私なら………『どうして』を考えますね」


 その答えに、和樹は初めて本から視線を外し那海へと移した。


「『どうして』……つまり、動機から探るってことか?」

「そうですね。凶器や犯行手段とかも重要な情報ですけど、そこには必ず犯人の事情や意図があると思うんですよ」

「意図、か……」

「犯人が犯行を行う際、必ず決め手となった出来事があります。となると、まず考えるべきは動機。どうして犯人は犯行に及んだのか。どうして、被害者が殺されなければならなかったのか。何が目的で、何故そうなったのか。そこを踏まえて考えた方が早い気がします」

「なるほど……」


 那海の答えに、和樹は顎に手を当て思案顔になる。確かに、彼女の言う事は一理ある。推理小説ではまず容疑者たちのアリバイや、トリックを解くのに重きが置かれるが、それはあくまで結果であって過程とは違う。結果ばかり見てはゴールにはたどり着けないという訳か。これは、参考になる。


「何ですか先輩? もしかして名探偵でもなる予定でもあるんですか?」

「……まぁ、そんなところだ」

「へぇ……」


 まさか【ゴースト・ジャック】を探すための参考にさせて貰おうなんて素直に言える訳にもいかない和樹は濁した言い方で誤魔化す。幸い、那海はそれ以上詮索してこなかった。

 そのことに安心しながら、和樹は本の続きを読み始める。

 ジー、と何か隠しているであろう和樹を那海はもう一度見る。窓から差し込む光が彼の横顔をよく映してくれる。凛々しく椅子に座り本を読む姿は、彼を実年齢より大人に魅せてくれる。手入れが行き届いていない髪の毛から覗く瞳は宝石のように煌めいているように思えた。


(カッコイイなぁ……)


 お世辞でも、冷やかしでもなく。自然と胸の内から溢れる思いが心地よい。彼を見ているだけで体が火照って、心がポカポカとしてくる。

 この気持ちを言葉で表すのは簡単だ。でも、那海は簡単に表現したくなかった。何度も、何度も自分の中で大事に丁寧に反復させる。まるで、宝箱のように心の中に仕舞いこむ。この温かい気持ちをどこかにやりたくなかった。

 那海は目を閉じて、ゆっくりと心の中で漂う気持ちを確かめるように胸に手を当てる。トクトク、と鳴る鼓動が一定のリズムを刻む。

 この気持ちは絶対に失くしたくないと思いながら、那海の意識は徐々に沈んでいった。



☆☆☆☆☆☆



「やっと寝たか」


 静かな寝息をする那海を見て、和樹は読んでいた本を閉じる。非常に続きが気になるが無断で借りる訳にもいかないので、今度改めて頼もうと決める。

 もとあった場所に本を戻し、寝室を出る。女子の寝室に鎮座するというある意味苦行を耐えぬき、気が抜けたせいかため息が漏れる。


「う~~ん、何もしていないのに疲れた」


 伸びをして首をコキッコキッ、と鳴らす。家主が寝静まった部屋は無音の空間となっていた。

 

「あいつ、ここに暮らしているんだよな……」


 ただ一人の空間。物音もせず、聞こえるのは家電の動く音や外から聞こえる車の音だけ。

 こんな寂しい場所で15歳の女の子が一人暮らしている。その事実に和樹は感心してしまった。


「さぁて、帰るか……」


 用事も済んだことだし、さっさと帰ってBGOにログインしなくては。今日那海に聞いたことは実に参考になった。是非とも試させてもらおう。

 意外と有意義な時間だったと和樹はソファーに置いてある自分の鞄を持つ。


「ん? なんだこれ?」


 鞄を持ち上げ肩に担ぐと、鞄の下から何やら分厚い紙の束が出てきた。気づかず鞄を置いてしまったようだ。

 何気なく紙の束を手に取る。分厚くなっている紙は百枚ほどあった。

 恐らくパソコンで打ち込まれたものだと考えながら、和樹は内容に目を通す。


「これ……」


 書かれている文章を読みだした和樹は呟く。

 ちょっとだけ、と思って見た紙。だが、和樹の視線は一気にそこに書かれている文字に固定された。

 一秒、一分、と時間が過ぎ去り、立った状態だった和樹はやがてソファーに座り込んでいた。

 暫く、読み込んでいた和樹はおもむろに鞄から筆記用具を取り出し付箋や赤ペンを取り出す。そして、何を思ったのか躊躇うことなく書き入れていく。


 時計の針が音を立てながら時間を知らせるが、和樹の耳には入っていなかった。

 和樹が帰宅したのは、それから一時間を超えた時だった。



☆☆☆☆☆☆



 暗い、暗い場所だった。

 狭い部屋の隅で私はうずくまり、何も見ないように聞かないようにしていた。


 私には、何もなかった。何も残されていなかった。

 誰にも私の声が聞えず、誰にも私の意志が届かない。

 無作為(時間の流れという作為の入れようのないものに無作為という表現はおかしいです)に時間が流れ、無意味に月日が遠のいていく。


 長い刻の中で、私は諦めてしまった。手を伸ばしても届かないのなら、欲しないようにした。

 

 人の色んな姿を見た。

 醜い姿。嫉妬する姿。嗤う姿。怖がる姿。

 それは誰にも存在する感情で、誰にだって当てはまる特徴だった。

 だけど、私は、それがどうしても耐えきれなかった。我慢ならなかった。


 どうして私ばかり。どうしてこんな目に遭うんだ。

 理不尽な現実に、何度声を荒げたことか。何度抵抗しようとしたか。

 けれど、ダメだった。無駄だった。何もかもを失い。何もかも奪われた。


 一体、どうすればよかったのだろうか。どこで、間違えてしまったのだろうか。

 いくら考えても答えは見つからず、どんなに訊いても答えは返って来なかった。


 だから、諦めた。もう、考えないようにした。現実をそのまま受け止め、何もしないようにした。

 もはや、そこには生への意志もなくしかけていた。

 暗い場所で引き籠り、痛みのないように傷つかないようにした。

 これが正解なのだと。これが正しいのだと。そう、自分に言い聞かせて。


 そんな時だった。私の世界に光が差し込まれた。

 誰にも届かなかった私の声を拾い。誰にも通じなかった言葉を受け止めてくれた。

 そして、光は私に道を示してくれた。


 私に何がしたいのか。何を求めているのか。ちゃんと訊ね、選択を託してくれた。

 どうやって生きていけばいいのかを教えてくれた。

 どうすればいいのかを教えてくれた。

 だから私は。


 だからこそ私は、前へ進んだ。


 光が指し示す方へ歩み出した。そこに発生する犠牲を承知で、捨てなければならないものを認知して。

 それしかなかったから。そこしか進めなかったから。

 私は、その光の方向へ飛び出した。

 もし、あの時光に出会わなければ私は死んでいただろう。自分を殺していただろう。

 

 もう私は迷わない。拾った命を大事にしようと思った。


 進むべき道をしっかり見極め、一歩ずつ大事に歩んでいこう。

 それが、恩返しになると思うから。私が笑っていることが、唯一出来る最大のお礼だから。


 これからも、ちゃんと生きて行こう。

 そう、私は決めたのだ。







「うぅん……」


 何か夢を見ていたような気がしたが、忘れてしまった。

 寝ぼけまなこを擦り、ぼぅ、とする脳を覚醒させながら那海はベッドから起き上がる。


「ふゎ~、今、何時?」


 欠伸を小さくして、時計を見る。時刻は7時過ぎ、帰ってきたのが5時ぐらいだから二時間くらい寝ていたようだ。

 だけど、薬のおかげか随分と体調もよくなった。学校で感じていた倦怠感もなく、体が軽く感じる。

 熱を測っても平熱になっていた。


 ぐぅ……。


「……お腹空いた」


 小さく知らせてくれた空腹に、那海はキッチンへと向かう。何か作り置きしておいたものあっただろうか。


「流石に、もう帰ったよね」


 無人のリビングを見て和樹の帰宅を確認する。玄関に向かってポストの中を探れば、ご丁寧に鍵が投函されていた。流石である。

 鍵を取り、リビングへ戻る。とりあえず、何か軽く食べよう。

 冷蔵庫の中に何かあっただろうかと思い出しながらキッチンへと足を踏み入れる。


「あれ?」


 キッチンに入った瞬間、那海は首を傾げる。コンロの所に鍋が置かれている。記憶が正しければ置いた事実などないはずだが。


「片付け忘れたのかなぁ?」


 そう思い鍋の蓋を開けてみる。


「……」


 蓋を開けた鍋には、出汁の匂いが香ばしい味噌汁が入っていた。蓋を持ったまま数秒固まる那海。しかし、次の瞬間、那海は冷蔵庫へ素早く移動させると開ける。


「……もう」


 すると、予想通り、ラップに包まれた調理済みのオムライスが置かれていた。その前には付箋が一枚。


『食欲あるようなら食え』


 ただ、淡々と無機質な文字が彼女の目に映った。

 ぎゅっ、と那海は胸の服を握りしめる。握っていないと何かよく分からないものこみ上げてきそうだった。


「もう……もう!」


 どうして、こんなことをするのだろうか。あんなに面倒だと言っていたのに。仏頂面をしていたのに。

 こんなことされてしまったら。


「好き、好き、大好き先輩!」


 嬉しすぎて顔がニヤける。溢れだす幸福が止められない。

 彼は自分をキュン死にさせたいのだろうか。そう思わせるくらい、那海の胸には温かな気持ちが流れ込んでいた。


「そうだ! お礼しないと!」


 声が聞きたい。一秒でも早く彼と触れ合いたい。

 考えるより早く動いていた。那海はスマホを取りに寝室へ向かう。


「………ん?」


 その途中、那海の目にある物体が止まる。

 リビングのテーブルに置かれているある物体。見覚えのある、紙の束が無造作に存在している。

 しかし、どこか変だ。不思議に思った那海は紙の束を拾い上げる。


「えっ……」


 違和感を抱いた正体に那海は呆然となる。

 それは、小説だった。綺麗な言葉で紡がれた物語だった。

 それは、那海が自作した世界だった。

 

 いや、それ自体は別にいいのだ。自分で書いた小説なのだから、見たことあって当然なのだ。

 けれど、那海には見覚えのない赤い字と付箋は一体どういうことだろうか。

 固まっていた脳みそで数秒考える。


「あ……あああ!!」


 答えに辿り着いた瞬間、那海はその場にうずくまり悶えた。そもそも、答えなど最初から分かっていたのだ。これを見ることが出来た人物など、たった一人だけ。

 和樹以外あり得ないのだから。

 うずくまった那海は、暫く声にならない唸り声を上げると涙目になりながら小説に戻す。

 

「うわぁ、赤文字がいっぱい」


 至る所にチェックが入っている紙。数えたらキリがないほどだ。これは、何気に凹む。

 だが、これは貴重な意見だ。どうせ、いつかは見せようと思っていたものだ。早いか遅いかの違いでしかないのだ。

 そう、自分に言い聞かせて那海はペラペラとページをめくっていく。

 流し目で読んでいた那海は最後のページをめくる。すると、一番最後の空白の部分にこれまでよりも大きい文字が現れた。


『誤字脱字がそこそこあった。あと、文法の誤りも。それと遠回しの言い方は読書慣れしていない人にはきついから控えた方がいい。まずは、読みやすさを意識して書くこと』


 ここに来て総括が書かれていた。さんざんダメ出しを喰らっていたのに、流石は先輩である。

 「はぁ」とため息を漏らす那海。辟易とした思いのまま続きを読む。


『けど、読み応えはあった』


「………」


 最後の一文を読んだ瞬間、那海は今度こそ硬直したのであった。



 



 





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