第一話 白井和樹の日常
Break Ground Online。通称<BGO>。
VRMMOという新ジャンルのゲームが開発された現代、とあるゲーム会社が発表した数千万のユーザーがいるVRMMORPGである。
従来のMMORPGとは違い、このゲームには職業が存在せず、あらゆるスキルと武器が使えることが話題となり大ヒットした。発売されて四年がたつがその勢いは留まる所を知らず、若い世代を中心に広まっている。
王道である剣と魔法のファンタジーな世界観に加え、このゲームのコンセプトである【自由を謳歌せよ】を全面に出し、スキルの種類は100を超え、戦闘する者や生産する者、はたまたゲーム内で商売を始める者など、多彩な楽しみ方を実現させていた。
そんなBGOには数多くの伝説が存在する。その中で一番有名なのが伝説のギルド【六芒星】。彼らはBGO稼働時から活動しており、BGO内に多くの武勇伝を残していた。
曰く、アップデートしてから半日でフィールドボスを倒したと。
曰く、トーナメントでは無敗を誇ったと。
嘘か本当か、そんな都市伝説のような話が存在していた。しかし、古参のプレイヤーたちに、あなたが知っている伝説は何か? と尋ねると皆、口を揃えてこう言う。
【六芒星】のギルドマスター『シルバー』と。
☆☆☆☆☆☆
『今日の天気は快晴。春の暖かな日差しがさし、いいお洗濯日和となるでしょう。最高気温は……』
テレビから流れるアナウンサーの声をBGMに白井和樹は、台所でフライパン片手に料理をしていた。
フライパンの上では、ウインナーがいい匂いを漂わさせており、食欲をそそらせる。丁度いい具合に焼けたら、それを傍にある弁当箱に移す。弁当箱の中には卵焼きや唐揚げなど色鮮やかな品が並べられていた。最後に白米を入れて蓋をする。
「よしっと」
満足そうに弁当箱を見る和樹はそれをテーブルに置く。作業を終えた和樹は時計をちらっと見る。針は午前7時30分を指していた。
(そろそろ出ないとな)
テーブルの近くに置いてあった鞄を掴み、玄関へと向かう。学校指定の革靴を準備していると階段から足音が聞こえてきた。階段から寝ぐせで髪をぼさぼさにした四十代後半の男性がふらふらと降りてくる。
「ふぁ~、あれ? 和樹もう出るのか」
「もうって、そろそろ出ないと遅刻だよ。あ、父さん、弁当はテーブルに置いてるから。あと、今日の分の晩飯も冷蔵庫にあるから帰ったら温めて食って」
「おお、いつも悪いな」
「別に気にしなくていいよ。じゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」
和樹は父親に見送られ家を出た。
☆☆☆☆☆☆
新学期が始まって一週間も経過すると教室の中では、自然とグループが出来上がるものだ。和樹が所属する二年三組も例外ではない。教室の中では集団に混ざり楽しそうに談笑しているクラスメイトの声が響き渡っていた。
窓際の一番後ろの席というベストポジションに配置された和樹はというと、クラスの誰とも喋ることなく机には一限目にある数学の教科書を開かれていた。
ポツン、と一人だけ孤立していることには和樹は特に何も感じていなかった。誰かと話すとしても何を話していいか分らないし、どちらかというと一人の方が楽でいい。そんな孤高なボッチは今日も静かに学校生活を送る予定であった。
「おはよう!」
「あ、雪、おはよう」
和樹が教科書と睨めっこしていると唐突に元気のある声が室内に広がった。特段大きな声を出した訳ではないのによく通る澄んだ声。その声の方向に視線を寄越せば一人の女子生徒が教室に入って来るのを捉えた。
赤のチェック柄のスカートは膝丈まであり、紺色のブレザーに身を包み、白い肌に綺麗な黒髪がよく映える。
その女子生徒の登場に、教室にいた男子たちは急にソワソワし始めるのを和樹は感じた。
柊雪
大人びた顔立ちの彼女は、可愛いというより美人にカテゴリーされるだろう。さらに、そんな大人しそうな外見とは裏腹に性格は人懐っこく、活発である。そんなギャップがウケ、男子から絶大な人気を誇っている。どこかで聞いた話では、男子による付き合いたい女子ランキング二学年の部の一位だとか。
そんな美少女の登場に和樹は無意識に顔を顰めた。 和樹はこの美少女が苦手だ。理由はいくつかあるがーー
「おはよう! 白井君」
「……あぁ」
キラキラした笑顔で挨拶する雪に対して不愛想に返す和樹。だが、そんな不愛想な挨拶に特に気を悪くした様子もない彼女は和樹の席の隣に座った。
そう、彼女の席は和樹の隣なのだ。
それだけならまだよかったのだが。
『チッ!』
複数の男子の舌打ちが耳に入る。嫉妬に塗れた視線が和樹に突き刺さった。彼女にとって、大した意味を持たないだろうただの挨拶は男子たちにとっては重大な意味を持つようである。
(勝手に嫉妬されてもなぁ……)
小さくため息をつく和樹。気にするだけ無駄だと判断すると再び数学の教科書に目を落とす。そんな話しかけないでオーラを放つ和樹の視界が微かに暗くなった。
「ん?」
「何読んでいるの?」
「……」
「うわ、ここ、まだ授業でやってないよ」
和樹の横から顔を覗かして雪は驚いたような声を出す。
(……顔近くないですか?)
そう言いたくなった和樹。だが、彼女にとってはこの距離感は普通なのだろう。
そういう所がまた和樹が苦手としている部分であるのだが。
彼女は数学の教科書に目を通すが勉強は苦手らしい、難しそうな顔を浮かべた。
「これ分かるの?」
「……まぁ、結構予習しているし」
「へぇ、すごいね」
「……別に」
感心したように笑いかける雪。
対して最低限の言葉だけで受け答えする和樹。こんなやり取りのどこが面白いのだろうか。そんな事を考えていると教室に予鈴が鳴る。雪も顔を上げ自分の机に戻った。
和樹はとりあえず周りからの刺々しい視線から逃れられて一安心する。一息つくついでに雪の方をそっと伺った。
背筋をピンと伸ばし、綺麗な姿勢で授業の準備をする彼女の姿は和樹からしたら別世界の人間であった。傍目に見ても、雪は男女問わず人気がある。そんな隣人は、和樹には近いが遠い存在であり、二人の間にははっきりとした境界線が引かれているように和樹は感じた。
長い一日の授業が終わり、放課後を知らせるチャイムが鳴ると教室の中は活気づき様々な会話が和樹の耳に流れ込む。
(さっさと帰ろう……)
鞄を掴み取り、席を立ち教室を出ようとした途端だった。和樹の耳にある会話が流れ込んできた。
「え、柊さんってBGOやってるの!?」
「うん、春休みぐらいから」
「そうなんだ! じゃあさ、今度、一緒にプレイしようよ」
「うん、いいよ」
その会話に和樹は誰にも気づかれないが驚いた。柊雪という人物がゲームをやっているようには見えないからだ。
(まぁ、俺には関係ない話だが)
和樹は止めていた足を再び動かし、教室を後にしようとする。
雪たちのグループの横を通り過ぎようとした瞬間。
「白井君はゲームとかしないの?」
いきなりだった。
和樹は不意打ちを喰らい驚きの表情を浮かべ、雪の顔を見る。雪は朝見せたような、にこやかな表情をしていた。周りにいた生徒も彼女の突然な話の振り方にキョトンとしている。
「……いや、やってないが」
「へ~、そうなんだ。ならさ、一緒にやってみない?」
「はぁ?」
「なんか、白井君ってゲームとか上手そうじゃん」
男子を虜にする笑みを見せながら雪は言葉を口から出す。一見、なんの変哲もない会話だろうが、和樹は心中穏やかではなかった。
「ハハハ! 柊さん、こいつみたいなガリ勉がゲームとか興味ないに決まってるじゃないか」
雪の近くにいた男子が声を出して笑った。言い方はどうかと思うが他人から見た和樹の評価は大体みんな同じような内容である。和樹は朝や昼休み、放課後も学校にいて暇さえあれば勉強しているからだ。おかげで、テストでは学年トップ10に入るほど実力になっていた。そういう風に見られている事は和樹自身も知っている。
「……用事あるから帰るわ」
「え? あぁ、うん、バイバイ白井君」
「……」
雪が手を振って和樹に挨拶をする。普通の男子ならハートをキャッチされているだろうその動作に和樹は目もくれずに教室を後にした。
☆☆☆☆☆☆
(……どうしてこうなった?)
和樹は学校を出て、まだ明るい通学路を歩いていた。
先ほど、さよならしたはずの雪を隣にして。
(さっぱり訳が分からん)
和樹はこの状況に対して必死に頭を働かせていた。
(なんでこうなった? さっき普通に教室で駄弁っていたよなこいつ。しかも、「バイバイ白井君」って言ってたよな? そんな奴がなぜ昇降口で靴に履き替えている俺に「やっぱり私も一緒に帰る」なんて言ってくるんだ?)
雪の理解不能の行動に和樹の頭はパンク寸前であった。一方の雪はというと、どこかウキウキした様子で隣を歩いている。
「なぁ、柊」
「ん? 何かな白井君」
「なんで俺と一緒に帰ろうなんて言い出したんだ?」
「え? だって帰る方向一緒だったじゃん」
「そりゃそうだけどよ……」
雪の心意が全く読めないまま和樹は住宅地をひたすら歩く。
(こんなとこ学校の誰かに見られたら面倒だよな)
そんなことを考えているせいか必要以上に周りを警戒してしまい心が落ち着かない。終始、お互いに会話らしい会話をしないままとあるスーパーにたどり着いた。それを前にした時、和樹は立ち止まった。
「んじゃ、俺はここで」
「え、白井君、何か買うの?」
「あぁ、ちょっと明日の分の晩飯を……」
「ねぇ、白井君」
「うん?」
和樹の言葉を遮るかのように雪は声を発した。その表情は先ほどまでのにこやかな表情とは打って変わって人の顔色を窺っている。途中まで出た言葉を出そうとしているが遠慮しているのか手をもじもじと動かしている。そして、ゆっくりと口を開く。
「ううん、やっぱりなんでもない」
笑顔を見せる雪。
その笑顔がどこか変だと和樹は首を傾げたがその時は特に気に留めなかった。