第九十三話 天体観測
静かな空間、聞こえるのは時折吹く風と薪を燃やす火の音だけ。ゆらゆらと揺れる火をシロはぼうっと眺めていた。テントがないために外で寝ることとなったシロはこの静寂と湖に映し出される星々を見てどことなく優越感に浸る。
時刻はゲーム時間で日付が変わる頃、このイベントでは『時間加速システム』が適応されているため現実ではまだそこまで時間が経っていない。が、このイベントにおいては特別に【空腹】と【寝不足】というデバフがかかるようになっているので食事や睡眠は必須となっている。
「さて、続きでもするか……」
しかし、あまり眠気が起きないシロは暇つぶしに試験勉強に興じていた。元々、ユキたちに勉強を教えていたため、自身の進捗に不安を抱いていたシロとしてはこうした暇な時間を使ってやるというのは最早習慣となっていた。
そうして、ズラリと並べられた数式を見ていたシロはテントからごそりと動く気配を感じて振り返った。すると、テントの入り口を開け顔を出しているユキがいた。
「あれ、シロ君まだ起きていたの?」
「まぁな、眠れないから勉強をな」
テントから顔を出したまま意外そうな顔をするユキ。ユキの質問に答えるように画面を向けるとユキは苦笑いを浮かべた。どうやら勉強はお腹いっぱいのようである。
「寝れないのか?」
「いや、目が覚めちゃったみたいで」
「少し待ってろ」
シロはそう言うとせっせと何か準備に取り掛かる。数分待つと、シロは両手に湯気を漂わせるカップを持たれていた。片方をユキのほうへ差し出す。
「ほら」
「ありがとう、これ何?」
「ハーブティーもどき」
「もどきって……」
「味は同じだから大丈夫だろ」
シロに言われてユキはカップにふーふー、と冷ましてから一口飲んだ。すると、確かに味はハーブティーであった。
「おいしい」
「そうか」
一々、笑顔を綻ばせるユキをシロは直視することなく一旦画面を閉じて自分もカップに口をつける。ハーブによく似た香りが鼻を刺激する。
しばらく、無言で飲み続ける二人。だが、嫌な沈黙ではなかった、どこか心地よく感じるのは一緒にいた時間が長いためか、はたまたユキという存在がなせる業なのかシロには答えが分からなかった。
「綺麗……」
ユキがふと放った一言で沈黙が破られた。顔を向けるとユキは首を曲げて、視線を上空へと移していた。見上げるとシロが森の中で見ていた星が点々と輝いていた。ガールズトークに夢中になっていたユキは初めてその美しさに目を輝かせていた。
その様子はまるで小さい子供のようで、シロはどこか可笑しく感じた。
「ねぇ、シロ君あれ何?」
「うん?」
問われてシロも上を見上げ、ユキが指差す星を確かめる。
「あれは織姫星だな」
「織姫って天の川の?」
「あぁ、一般的にはベガと言ったほうが分かりやすいかな」
「聞いたことある!」
「で、あれが彦星でわし座のアルタイル、あっちが白鳥座のデネブ。それぞれつ繋げて……」
「夏の大三角形!!」
シロが言い切る前にユキが勢いよく答えを言った。シロも頷いて正解と示す。
「わぁ、凄いねこんなにはっきりと見えるのかぁ」
「まぁ、ゲームだしな」
「むぅ、そういうテンションが下がること言わない」
「ハイハイ、悪かったな」
「でさ、続き続き! あれは?」
「カウス・アウストラリス」
「……何それ?」
「あれとあれ、それからそこを繋げるといて座になる。カウス・アウストラリスというのはいて座の中で一番明るい恒星のことだ」
「へ、へぇ~」
「ま、知らなくても困らない知識だけどな」
事なし気に答えるシロにユキはどこからそんな知識を入れるのだろうかと疑問に感じた。
「シロ君星好きなの?」
「いや、別に」
「じゃあ、なんでそんなによく知ってるの?」
「……詰め込むだけ詰め込もうと思っていたからな昔は」
「どんだけ勉強熱心なのよ」
「……」
若干呆れを含んだユキの言葉にシロは特に反応を示さなかった。それは昔、全く余裕がなくただ真っすぐに突き進んでいた頃の自分を彷彿をさせるからだ。昔のことを思い出して顔を歪ませるシロ。そんなシロの顔を夜空に目を向けているユキは知る由もなかった。
「うわー」と声を上げながら天体観測を楽しむユキ。その横顔をチラッ、と盗み見しているとシロは唐突に口を開いた。
「なぁ、ユキ」
「うん? なぁーに?」
「お前、【向日葵の輪】に入る気とかってあるか?」
シロの言葉にユキはすかさず顔を向けた。だが、シロの視線は夜空へと向けられていて目が合うことはない。暗闇の中でシロの横顔を凝視するユキであるがシロが何を考えているのかは全然分からなかった。
「シロ君は入りたいの?」
なので質問に質問で返すユキ。シロは一瞬、眉を上げるが特に何も言わずユキに問われた質問を答えた。
「俺は入る気がない」
「シロ君も誘われたんだ」
「まぁな、けど断った」
「……ミルフィーさんの事?」
「それもあるが、もう俺がギルドとかに入ることはないだろうって考えていたからな。《神様》の事もあるし」
「……うん、そうだね」
「お前は?」
「え?」
「お前はどうしたいんだ」
「私は……」
シロに言われて考えてみる。確かに、MMORPGというジャンルに置いてギルドという集団は一つの名物である。そこではそれぞれのルールや信条があり、大型の所では100を超える人数もいる。ユキだってそれくらいは知っているし、実際一抹の憧れもある。
「私は……」
しかし、それでもやはり気が合う者同士が集うのがギルドというものではないだろうか。どうせ、ギルドへ入り活動するなら――
「私はシロ君やフィーリアと一緒がいい……」
自然と紡がれたその言葉はシロの耳にちゃんと届く。だが、シロは大きな反応を示さなかった。
「……あのな、ユキ」
「うん」
「これからの事をよく考えてみろ」
「これから?」
「あぁ、それこそ《神様》の正体を暴いた後のことだ」
「……」
「前にも話した通り、俺は《神様》の正体を知ったらここから去る。それは絶対の決定事項だ」
「……うん」
「だから、俺はずっと一緒にはいてやれない」
しっかりと迷うことなく言い放つシロはユキの方に顔を向けなかった。なので、今彼女がどんな表情をしているのか判断のしようがなかった。
「……」
シロの言われたことをユキは吟味する。いや、吟味する以前に自分があれこれ言う権利などないのだ。元々彼とはそういう約束の下で無理言って協力してくれている。そんな彼を縛り付けるなんてことは彼女には出来ない。
ユキが無言になったことでシロは星から目を離して再びユキへと向ける。向けた先にはいつものさっき見せていた微笑ましい顔ではなく、何やら考え込んでいるようで真剣な顔であった。
(どうやら伝わったらしい)
ユキの表情を見てシロは満足する。どの程度シロの言外の言葉をくみ取れるは分からないが話の根底は理解出来ているだろう。
「さて、もう遅いから寝ろ」
「うん、そうしようかな」
話したいことは話したし、これ以上遅くなったらデバフがかかる恐れがあるためシロはユキにテントに戻るように促す。ユキも色々と考えたためか素直に言う通りに従った。
立ち上がり元いたテントへと足を進めるユキ。ふと、その足を止めシロのほうをもう一度振り返る。たき火に当てられて黒く染まるシロの背はどことなく寂し気でそして、冷たい感じがした。
「……おやすみ、シロ君」
「おう、ちゃんと寝ろよ」
その背に向かって言うとシロは振り返ることなく返す。なので、彼が今どんな顔をしているのかユキには分からなかった。
ユキは再びテントへと足を動かし始める。その途中に空を見上げるとそこにはさっきまで見ていた星のはずなのに違って見えた。一つ一つは輝いていても、その一つ一つはとてつもなく離れていることを知っているからだ。
仮想世界での星は特によく光っているように見えた。




