プロローグ
小鳥の可愛らしいさえずりと滝の豪快な水音が混じり合う新緑の森。その森を抜けると広い草原が現れる。風が吹き抜け、草がゆらゆらと揺れる。そんな草原に一人の少年が立っていた。
全身を無機質な鎧で包み、白銀の髪は風によってなびく。両手には黒と白の剣を持ち、その目は鋭く相手を睨んでいた。
少年の目の前には体長五メートルはあるだろう巨大な狼が少年を見下ろしていた。
戦闘が開始してどのぐらいが経過しただろうか。呼吸は乱れ、体が重く、動きにくさを感じる。
狼は鋭い牙を剝き出しにし、少年に襲いかかってきた。少年は跳びかかって来た狼の攻撃を避け、両手に携えている剣で斬り込む。クロスするように振られた剣は狼の巨大な体にめり込んだ。
「WOOOOON!!」
途端、狼は雄たけびをあげ、その巨体を地面に預けた。少年はしばらく狼の様子を眺めていると突然、狼の体が発光した。かと思ったら、ポン、とはじけるように光の粒子となる。その光景を見ていた少年の目の前に無機質な文字が現れた。
『フィールドボス、《フォレストウルフ》の討伐に成功しました』
その文字と頭上に浮かぶクリアを祝福する音。
少年は両手に持っていた剣を背中にある鞘に納めた。
「……ふぅ、終わったな」
天を仰ぐように顔を上げ、少年ーーシルバーは大きく伸びをする。戦闘を開始して約一時間、それまで激しく動き回ったためか肩が凝った。狼が消えた草原にはシルバーだけとなり、先ほどまでの戦闘とは打って変わって静寂が訪れる。
しばらく、戦闘の余韻に浸っていたシルバーがその場で指を動かすとメニューを開いた。
そこからアイテムボックスの項目を選ぶ。今回、手に入れた素材を確認するためだ。
牙や毛皮などいくつかの素材の中にひとつだけ違うものがあることに気が付く。タッチするとアイテムの説明が浮かんだ。
UW【双銃】:STR+50、HP+250、INT+50
説明を読みながらシルバーは苦笑いを浮かべる。かねてから欲しい欲しいと言っていたUW。
しかし、今の彼にはもう必要がない代物であった。
シルバーはメニューを閉じるとその場を後にした。
☆☆☆☆☆☆
シルバーは人の通りが少ない街中を歩いていた。時刻は午前5時過ぎ。歩いている人はまばらである。周りには仲間と酒を交える者、これから街から出て行く者、様々な人が存在している。
シルバーは街のメインストリートから外れるように裏通りへと向かった。華やかなメインストリートとは違って、そこはじめじめとした薄暗い場所である。そんな裏通りを迷う事なく進んでいくシルバー。
しばらく歩き続けるとシルバーはとある店の前で足を止めた。一見すると店には見えない外装だが、彼は慣れたように扉を開ける。
「いらっしゃい」
中に入ると不愛想な挨拶が飛んで来た。声の主は髭を蓄えさせており、ぼさぼさとしている黒髪でその人の性格が垣間見える。
「うっす、ジョウ、俺だ」
片手を上げシルバーは親しそうに挨拶を交わす。ジョウと呼ばれた男は、眺めていた新聞紙らしきものから目を離し、彼の姿を確認した。
「なんだ、お前か。朝っぱらから精が出るね」
「まぁな、今日はちょっと用があって来たんだ」
「用だと?」
怪訝な顔を向けるジョウ。眼鏡の奥から相手の考えを覗こうとする視線が窺える。しかし、シルバーはそんな視線を気にせずに言葉を続ける。
「ああ、お前に頼みたい事があってな」
「……頼みたい事?」
「そうそう、ちょっとこれを見てくれ」
シルバーはメニュー画面を開きせっせと操作する。すると、シルバーとジョウの間にあるカウンターにどさ、と重々しい音がたった。カウンターの上には鎧や剣さらには回復薬などさまざまなアイテムが並んでいる。
一方でシルバーの外見にも変化が現れた。装備品がなくなり身につけているものは初期装備の服装となっていた。そんなシルバーの様子をじっと見ていたジョウが口を開く。
「……どういうことだ?」
「これ全部、貰ってくれないか?」
「はあ!?」
シルバーの一言にジョウは驚きの声を上げる。それもそのはず、彼は自らのアイテムすべてをジョウに渡すと言ってきたのだ。その中には市場にはまず出ないであろうレアドロップ品や売れば数百万はくだらない武器まで入っている。これを手放すなんて普通の人間ならありえないことだ。
「とうとう頭イカれたか?」
「いいや、いたって冷静だ」
「どう冷静になれば手持ちのアイテムすべて売り飛ばすなんて発想になるんだよ」
「おいおい、俺の話を聞いていたのかジョウ?」
「え?」
「これはタダでくれてやる。売るなり捨てるなり好きにしてくれ」
「ちょっと待て、気は確かか?」
「あぁ……」
慌てるジョウに対してシルバーはにこやかな表情を浮かべる。その表情を見てもなおジョウは彼の考えが読めなかった。
「どうして……」
そう呟くジョウ。そんなジョウの呟きにシルバーは何も言わない。ただ、笑っているだけだ。しかし、その笑い顔とは反対に目は寂しそうである。
「んじゃ、ジョウ。後の事は任せたわ」
「ちょっ……」
「ーーさようなら」
引き留めようとするジョウを振り払うかのようにシルバーは振り返る。後ろからジョウが何か言っているが立ち止まることなく店を出た。
店を出て、またしばらく歩く。目的なく歩き続けること数分、シルバーは街の噴水広場にやってきていた。人の姿はない。
ここでいいか。
誰もいないことを確認するとシルバーはメニューを開き、文字をタッチしていく。操作していくと彼の目の前に無機質な文字が現れた。
『アバターを削除しますか? YES/NO』
現れた文字を見てシルバーは息を大きく吸い込み、それを吐く。自分でも躊躇する気持ちがある事は分かっていた。
だけど、もう決めたんだ。
震える手を押さえ、覚悟を決めたシルバーはボタンを押す前に小さく呟く。
「みんな、ごめん」
YESのボタンを押すと視界が暗転していく。
そして、気が付くと彼は白い天井を見ていた。
こうして、シルバーはBGOから姿を消したのだった。