Ⅵ
『黄色は、別れ』
あの部屋から長い長い廊下を渡って、大広間を抜けた先に食堂はあった。
そこで彼らは…この屋敷の主たちはチンクエとセッテを従えて寛いでいた。
大皿に盛られた水菓子の中から、主の男はバナナを手にした。
その瞬間に、チンクエの声は聞こえてきた。
「お嬢様が一人ごっこをやめたらしいんです」、と。
自分の耳を疑った主は、呆けた顔で聞き返した。
「あいつが一人ごっこをやめた?」
一回聞いた言葉をそのまま返し、剥いた黄色い果実をもちゃもちゃと貪る様は、間抜けとしか言いようがなかった。
その形に違和感を覚えつつも、チンクエは話を続けた。
「はい…ここ数日、エータ様の姿が現れなくて…その、」
そして彼女が抱いたその感覚は、さらに強くなった。
主の顔が先程とは打って変わり険しくなったのだ。
ブチィ、と音を立て、彼はバナナを噛みちぎった。
口を空にするよりも早く、彼はチンクエの話を遮る。
「本来いないはずの人間に『様』をつけて喋るな、煩わしい。」
チンクエは、怯えなかった。
主の凄みに、決して怯えなかった。
だが、その代わりに腹立たしかった。
この男の顔が腹立たしかった。
いつも自分やメイドたちと話す時に見せる優しい顔と違って、今の男の顔は、どことなく醜かった。
だから、腹立たしい。
その顔を見ていると、普段は破廉恥な気持ちを持って自分たちメイドに接しているのではないか、という懸念さえ抱く。
だから腹立たしい。
そして何より、特定の話題でこうも人が変わる男の性格自体が、チンクエには、むかついた。
主の妻…自身が奥様と呼んでいる女でさえ、今は男と一緒に自分を睨みつけている。
腹立たしい。
だけど、それ以上に、
この家は何かが、変だ。
渦巻く感情を整理できず、チンクエはただ黙ることしかできなかった。
彼女のそんな姿を見て、主の男は、話題を別の人物に振った。
「セッテ、お前はどう見る?」
「……わたくしからは、どうとも。」
セッテは男の顔を見ずに、そう答えた。
「役立たずの貧乏人ね…でも、本当にそうなら、どうしようかしらねぇ…。」
口元だけを歪める、主の妻の顔は不気味だった。
セッテの歯切れの悪さよりも、誰とも目を合わそうとしない彼のその態度に、また、女の口の悪さの両方に腹を立てつつも、チンクエは唇を震わせながら問う。
「と、言いますと?」
違和感。
それがさらに強くなる。
苦い顔をしていたはずの主たちの顔は見る見るうちに、
「わたし達があいつにいじわるをし過ぎたって話さ。はははは!」
「一回出してあげてもいいかしらねぇ?元々、あんな子いらない存在なんだから!クスクスクス!」
破顔した。
「……はい?」
言っている意味がわからない。
だがそれ以上に、この二人の顔が、醜く見えて仕方がない。
「おっと、もうこんな時間か。わたしはディナーに行ってくる。」
「アタシも舞踏会に行ってくるわ。あと、片づけといてね。」
二人は、食い散らかしたテーブルをチンクエとセッテに任せ、姿を消した。
テーブルクロスの上に置かれたバナナの皮。
房からちまちま取られた葡萄。
歯形がついた林檎。
形を崩した桃。
中途半端に切られたパイナップル。
まだ食べられるところが余ったままの数切れのメロン。
チンクエが感じたのは、
嫌悪感。
「可笑しいですよ、こんなの……。」
「さ、仕事に戻りましょう。」
主たちの態度、そして何事も無かったかのように会話をしようとするセッテに対する、
嫌悪感。
「可笑しいですよ、こんなの!」