ⅩⅧ
あの『事件』から数日が経った。
あれから数分後、駆けつけたセッテの部下達の手によってことは収まった。
セッテと主は介抱され、シークの体はあの部屋のベッドに寝かされた。
時が流れても、セッテは屋敷に来ることを許された。
黙認と言った方が正しいかもしれない。
セッテに殺されかけた恐怖から、主は彼の存在を認めた。
そして、主とその妻は、シークが外にいつでも出られることも、認めた。
そこにはやはり世間体があった。
これ以上、家の事情が誰にも漏れることを恐れたのだ。
『事件』が起こったのにも関わらず、部屋の開放を認めなければ、召使い達の不信を招く。
彼らが情報を漏らしかねない。
そう思い、主達は部屋の開放を許すことで、召使い達を黙らせた。
だが、当のシークは、目覚めてから数日が経っても部屋を出ようとはしなかった。
正午。
屋敷の廊下を歩くセッテの両手は塞がっていた。
片手に盆、片手に紙袋。
彼は憂鬱だった。
別に、まだ昼食をとっていないから空腹だとか、自分が運んでいる盆に載っている料理が、自分のモノでないからだとか、そういうことで、気分が沈んでいるわけではない。
ただ、今からあの部屋に行くのが、イヤなのだ。
「……。」
長い長い廊下を渡るのには慣れた、苦痛じゃない。
ただ、あの部屋で彼女に会うのがイヤなのだ。
イヤだイヤだと考えていてばかりいると、時が経つのが遅く感じるモノだ。
だが、彼が気がついた時、廊下の明かりは薄暗くなっていた。
こうなると、もうあの部屋は近い。
すぐに彼は部屋の前に着いてしまった。
シークにどんな顔をして会えばいいか、セッテにはわからなかった。
昨日も来た。
その前も来た。
だけど、わからない。
彼は開放されたままのドアの前に立ち、一言彼女に告げた。
「…失礼します。」
それだけ言うと、セッテは中に入り、盆をテーブルに置いた。
「……。」
「食べないと、元気が出ませんよ。」
シークは目覚めてから、まともにモノを口にしていなかった。
「さぁ、お嬢さ、」
「わからないの。」
ベッドのシーツは、女の手によって掴まれていた。
どれだけそうしていたのだろう。
ベッドは人が寝られないくらいに荒れていた。
「……わからないの。ワタシが寝てる間に何があったのか。お兄様がお母様を殺そうとして、気がついたら薔薇園にいて、目が覚めたら貴方とお父様が怪我をしてて…。」
シークはその手でセッテにすがった。
「教えて!何があったのか教えてセッテ!」
「……。」
教えられるハズもない。
血が流れた惨劇の中身を、シークに言えるハズもない。
「…ば、薔薇園にいた時以外。わたくしは屋敷に訪れていないので詳しい内容はわかりません。わたくしのこの傷は、軍の訓練で受けたモノです。旦那様に関しては申し訳ありませんがわかりま、」
「嘘よ。セッテは毎日来るもの!お世話係なんだから来ない日の方が珍しいって貴方が言ってたんじゃない!」
あからさまな、嘘。
苦し紛れの、嘘。
シークはセッテの発言を否定する。
「薔薇園で大丈夫だって、ワタシに言ってくれたのに…!」
「……わたくしには、何があったのか。それを貴方にお教えすることはできません。ですが、」
セッテは紙袋片手に、シークに手を差し伸べる。
「貴方は外に出られることを許された。」
「……。」
女は男の手から身を引く。
「お嬢様…?」
「…イヤ。」
「何故です?もう誰にも怒られません。お嬢様は自由です。」
「イヤ。」
「また遊びましょう、昔のように。」
「イヤなの!!」
シークはセッテの手を弾く。
『今まで』を語る男の手を拒む。
その手で、胸を押さえて、崩れ落ちる。
「だって、だって…。」
ギリギリと音が鳴るくらいに、求める。
「お兄様が…お兄様がいなくなってしまったんだもの。」
兄を求めて。
兄の温もりを求めて、胸を押さえる。
「ずっと一緒だったのに。いきなり!目が覚めたら!お兄様がどこにもいないの…。」
「……っ…。」
エータはシークを想い、姿を消した。
だがその行為は、余計に彼女を苦しませた。
「お兄様との思い出はこの部屋にしかないの!」
セッテとの『これから』はあっても。
兄との『これから』は、もう、ない。
「出たくない…この部屋から、出たく、ない……。」
何故、あの時。
涙を浮かべて請われた時。
シークを外に連れて行かなかったのか。
あの頃はエータもいたのに。
セッテは何も言えなかった。
「…すみません。」
単純な男は、謝ることしかできなかった。
今、再び、涙を浮かべる女に、謝ることしかできなかった。
セッテは顔を背け、部屋を跳び出した。
「……こんなモノ。」
片手に携えたモノを見、セッテは己を責める。
自分の単純さを責める。
「こんなモノ。」
シークが、外に出られる。
それは、幸せなこと。
だから、彼はそれを祝って、あるモノを渡そうとしていた。
その単純さが、かつての単純さが、彼の右手には残っていた。
シークがあの部屋から出られるまで。
これは、イラナイ。
「こんなモノぉ!」
セッテは床に己の恥を投げつけた。
袋から出たモノがカーペットを汚す。
それは彼がシークの無垢さを想いつくった、白の薔薇の冠だった。
「何が守るだ…何が『これから』だ…約束したのに…『これから』を約束したのに…わたくしは……わたくしは、ぁ…!!」
これは幸せな物語。
とてもとても幸せな物語。
これは幸福な物語。
凄く凄く幸福な物語。
これは幸運な物語。
きっと、幸運な物語。
だって、彼がそう願ったのだから。
だって彼らがそう願ったのだから。
男は想い人が自由になることを願った。
兄は妹が外に出られることを願った。
その願いは許された。
だから、これは、幸せな物語。
だけど、女は出なかった。
許されたのに、部屋から出なかった。
妹を想い、兄は自ら姿を消した。
兄を想う女の悲しみを受け、男は彼女を部屋から出せなかった。
だったら、
これは、
本当に幸せな物語?
『白は、
白の薔薇の花言葉は、
約束を守る。
そして、
恋をするには若すぎる』




