Ⅰ
これは幸せな物語。
とてもとても幸せな物語。
これは幸福な物語。
凄く凄く幸福な物語。
これは幸運な物語。
きっと、幸運な物語。
だって、彼がそう願ったのだから。
『赤は、あなたを愛します』
正午。
屋敷の廊下を歩くチンクエの両手は塞がっていた。
彼女は憂鬱だった。
別に、まだ昼食をとっていないから空腹だとか、自分が運んでいる盆に載っている料理が、自分のモノでないからだとか、そういうことで、気分が沈んでいるわけではない。
ただ、今からあの部屋に行くのが、イヤなのだ。
「……はぁ。」
この屋敷のメイドになって二週間
給料は毎日、仕事が終わってから渡されていた。
その中身はいつも弾んでいた。
だが、メイド、というモノに憧れ、また、金に特別困っているわけでもないチンクエにとって、それはどうでもいいことであった。
だから、仕事や給料に不満はない。
ただ、あの部屋に行くのがイヤなのだ。
長い長い廊下を渡るのには慣れた、苦痛じゃない。
ただ、あの部屋で彼女に会うのがイヤなのだ。
チンクエは足を止め、窓を見た。
鏡代わりにそれを使うと、彼女は作り笑いをしてみせた。
「……うまく話せるかな、私。」
せっかく屋敷で働くんだから、と、毎日セットしているツインテールもうまく決まっていることを確認し、彼女は歩を進めた。
イヤだイヤだと考えていてばかりいると、時が経つのが遅く感じるモノだ。
だが、彼女が気がついた時、廊下の明かりは薄暗くなっていた。
こうなると、もうあの部屋は近い。
すぐに彼女は部屋の前に着いてしまった。
閉じている扉の脇に置かれた、台座に盆を置くと、
「…すぅ、」
彼女は深呼吸をした。
そして二回ノックをすると、
「お嬢様、お食事をお持ちいたしました。」
自分が思う、落ち着いた礼儀正しい声を出してみせた。
「はーい♪」
間髪入れずに返ってきたのは明るい女の声だった。
その女によって、扉は開かれる。
「ありがとう、チンクエ!」
チンクエにはその女がとても同い年の二十歳には見えなかった。
この部屋に来る度に彼女は思う。
この人はなんか、自分よりも、幼いような気がする。
「わ、今日のは凄く美味しそうね!」
女は盆を手に取ると、目を輝かせながら己の昼食を眺めた。
「そ、そうですか?私にはよくわからないです。」
チンクエは彼女と部屋へ入ると、取り繕った笑顔を顔面に貼った。
「ワタシは昔から毎日食べてるから、違いがわかるのよ、新人さん♪ここでの仕事は慣れてきたかしら?」
「は、はい、おかげさまで…。」
「そう、良かった!」
そう、確かに慣れてきた。
ここに料理を運ぶことも。
「最初はよく間違えてたけど、今日はちゃあんと『二人分』用意してるわね♪」
料理は『二人分』持って行かなければいけないことにも。