あなたと化合したい! ―ある悪役令嬢の反応―
「シジェン・オキ、おまえとの婚約を破棄する。私はマグネと結合し水素吸蔵合金になるんだ!」
ハイド・ロジェーン王子が、そう叫びます。
王子の隣には可憐な令嬢マグネ・シウムがいました。王子以外にも有力貴族の子息数人と私の弟が彼女を守るように囲っています。
「私は、ハイド様と化合するに相応しいよう、今まで頑張ってきたのに……」
このような結果になってしまった悲しみと、ほんのすこしの憤りのあまり、原子核がベータ崩壊してフッ素になりそうです。
「おまえと私とでは、相いれない。出会えば、火花を散らすケンカ。結果、激しく爆発し水になってしまう。気の休まることがない。
それに引き換え、マグネはすばらしい女性だ。私の心をしっかりとつなぎとめて離さない。固溶現象よりも強く結びついた私たちを離すことはできない」
王子はマグネを抱きしめます。
「愛する者ができたからって、なんて軽率なことを……。それに、婚約を破棄だなんて、そのような話を私は聞いてないわ」
そうなのです。私は何も知らされていません。おそらく私の両親も知らないことでしょう。――先ほど、母と量子通信しましたから、そう言う話があれば間違いなく話題にするはずです。
親が決めた婚約は、当人の思いだけで簡単には解消できません。
貴族の婚約には個人ではどうにもできない、金銭的、軍事的、経済的、権力的、様々な利害や思惑が絡んでいるからです。
政略的婚約は貴族という身分にある以上、避けられないものです。
しかし、簡単に解消できないだけで、きちんとした対応、手続きを踏めば、婚約の破棄は可能なことではあるのですが……。
「こんな……婚約の破棄は認められないわ」
ハイド王子がいくら破棄をしたいと喚いても、この場で決められるものではありません。
それに加え、そのような重要案件は、学びを行う場所で言うことではないと思うのです。
――ほら、何事かと人が集まってきたではありませんか。私の通う学校には他国の王侯貴族も留学しているというのに。
このような見苦しいものを見せては――これはもはや醜聞、我が国の恥です。
「婚約を解消したくなんて。そんなに王妃という地位が欲しかったのですね……姉上」
マグネの取り巻き一人、弟のシド・オキが蔑んだ目で、私を見ています。
「別にそういうわけでは……」
「姉上には失望しました」
「それは私のセリフだわ」
アミンという婚約者がいながら、マグネに心を奪われるなんて。しかも、「マグネのおかげで真実の愛を知りました。愛しているのです」とか何とか言って、シドも婚約の破棄をしようと考えているのだとか。それはなんとか両親が食い止めているらしいですが――先ほどの量子通信でも母がため息まじりに話していました。
本当にシドは何を考えているのかしら。今も王子がマグネと婚約すると言っているのに、さも当然のように隣にいて、愛を囁いているように見えます。
恋は盲目にするいうけれども、それでも限度があるでしょう。
「言い訳は見苦しいですよ、姉上。ばれていないとでも思ったのですか? 姉上はマグネが丹精込めて作った豆腐をわざと踏みつぶしたり、先日のパーティでは酸化剤の入った飲み物を渡したり、陰湿なイジメをしていたらしいですね」
弟のシドは、語り始めます。マグネの真心がこもった特製にがりで作られた豆腐は絶品であると、褒め称えています。
「酸化剤入りの飲み物をマグネが飲んでしまった時は、僕が還元魔法で治してあげたから、大事には至らなかったようなものを。一歩間違えれば、マグネは激しく光る大怪我をしていたかもしれないのですよ」
「酸化剤なんて……私、知らないわ」
身に覚えがない罪。しかし、私の言い分は無いものとされ、一方的に断罪は続き――
そして、ついに言い渡されました。
「酸化剤なる危険物を使った罪人シジェンは、身分剥奪のうえ国外追放にする。今この時を持って、シジェンは平民となる。そして、五日以内にこの国から出なければ不法滞在とみなし、奴隷の身分に落とす」
王子はそう、言い切りました。
マグネがうっすらと笑みを浮かべたのは、見間違いでしょうか。彼女はこうなることを望んでいたように見えます。
「どこの国にでも、好きなところへ行くがいい。もっとも、おまえのような罪人を受け入れてくれる国などないだろうな」
ハイド王子は追い打ちをかけるように、畳かけます。普段は気が利かないくせに、こういうところだけは頭が回ります。
「実家に連絡をしようとしてもダメですよ。平民は貴族の施設を利用することは許されないですから」
シドも私が奴隷になってしまうことを止める様子がありません。
「……」
無実ではありますが、確かにこのような公衆の面前で騒ぎを起こされてしまったからには、他国へ渡るのは難しいかもしれません。
このままでは奴隷となってしまうでしょう。女の奴隷は、発熱反応するための道具にされるに決まっています。
何もできない私は悔しくて仕方ありませんでした。
「おまえがどこでどうなろうと関係ない。さぁ、早く消えろ。目触りだ」
王子が私の肩を強く押しました。
「きゃあ」
私はそのまま後ろへ体勢が崩れます。
――その時です。倒れそうになる私に救いの手をさしのべてくれた方がいました。
「大丈夫ですか?」
「あ、あなたは?」
高輝度放電ランプの光ような、美しい演色性を持つ美青年がそこにいました。
「遅くなってすいません。知らせを受けて飛んできました。もう大丈夫、私はあなたの敵ではありません。味方です。私の国があなたの身元を引き受けましょう」
男性は立ち上がり、ハイド王子に向かって言いました。
「あんな頭の軽い王子には、軽金属女がお似合いです。こんな努力を惜しまない素晴らしい女性を辱めるなんて!」
青年は王族であるハイド王子に臆することなく、意見します。
「頭の軽いだと? 貴様、我が1族を敵に回すのか? どこの貴族だ名を名乗れ」
「これは失礼しました。私はキセ・ノン。18族の出身です」
「18族……隣国の皇子だと?」
現れた彼はこの世界で最も安定している大国の皇子だったのです。
ハイド王子は思いもよらない人物の登場に驚きを隠せないようです。
「シジェンさん、あなたは私と化合できる数少ない女性です。たとえ、あなたがフッ素になったとしても、愛し続けます。私は貴女と反応したい。私の国に来ていただけますか?」
キセ皇子は、昔ながらの作法に乗っ取った仕草で私に結合を申し込みました。
「待て、シジェンは気に入らないという理由だけで酸化剤を使う危険人物だぞ。そんな犯罪者を、18族は受け入れるのか?」
頭に血が上り鼻息の荒いハイド王子とは対象的に、キセ皇子は呆れたようにため息をついてから、言葉をつむぎます。
「どの国でも好きなところに行け、どうなろうと関係ない、と先ほど貴方は言いました。それを忘れたのですか? さすが軽い頭をお持ちのことだけはある。シジェンはもうあなたの国の者ではないのです。さらに言えば、彼女を迎えることに決めた私に意見することは、内政干渉になりますよ」
かなりの詭弁ではありますが、これ以上文句を言えば、外交問題になるということを暗に示唆します。
「ぐ……」
頭は軽いですが、隣国といざこざを起こすことはマズイということだけは理解しているようです。不満と嫌悪が入り混じる表情ではありましたが、黙りこみました。
「最後に、私は知っているのですよ。そこで勝ち誇ったような笑みを浮かべるお嬢さんの秘密をね」
キセ皇子のただならぬ雰囲気に、マグネの顔から笑みが消えました。彼女は困惑しているようです。
「こんな展開知らない……。でも……顔はイケメンだし……もしかして隠しキャラ? きっとそうよ! ここから彼の攻略がはじまるのよ。私の秘密を知っているだなんて、私のこと気になって仕方がないんだわ。あんなイケメンが私のモノになるなんて……ヒロイン、冥利に尽きるわ」
顔面蒼白になっていたと思えば、次の瞬間には、頬を赤らめ意味のわからないことをつぶやいています。
「ヒロインだか、ハロゲンだか知りませんが、無実の人を陥れる者には興味はありません」
キセ皇子は言い放ちますが、マグネは気にしている様子はありません。瞳を輝かせ、いわゆる潤んだ瞳の上目つかいでキセ皇子を見つめ始めます。まるで恋した乙女のようです。
ハイド王子を始めとした貴族たちだけでは飽き足らず、まだ取り巻きを増やそうとしているのでしょうか。
私はマグネに誘惑されていないか心配して、皇子を見上げます。皇子は「大丈夫。私はあなたを決して裏切りませんよ」と、そっと額にキスをしました。
今までキセ皇子とは外交上の淡泊な付き合いしかしたことがありませんでしたが、このような情熱的な方だったとは。
私は一瞬で心が燃え上がりました。そうです、恋に落ちたのです。彼と化合したいと思ったのです。
「これ以上、あなたを好奇の目に晒すわけにはいきません。行きましょう」
マグネに目もくれず、キセ皇子は私を周囲の目から守るように抱き寄せます。そして、この茶番の行われた場から退場したのです。
――私が国を去ってすぐに事は動きました。
マグネは虚偽の報告をしたなどの様々な悪事が暴かれました。もちろん、私の無実も証明されたようです。
ハイドは権限もないのに令嬢を裁いたことや勝手に婚約を破棄したことが問題となりました。弟を含めた他の取り巻きたちも、大なり小なり罰を受けたようです。
私はというと――
私はキセ皇子と無事に結合しました。そして、今、私のお腹には彼との愛の結晶が宿っています。
私は生まれ来る子供たちを守れるように、空を覆うオゾンのような母親になりたい、そう思っています。
全宇宙の水素さん、酸素さん、マグネシウムさん、キセノンさん、ごめんなさい。