《不思議秘話》赤い糸
赤い糸
好きになる女は、いつもいつも、この腕の中からすり抜けて去ってゆく。
「李愈は女運がないな、かわいそうになぁ……」
親友や親類たちはあきれたり、同情したりしてくれるが、俺の寂しい気持ちをくんでくれる者はいない。
——時は大唐——
男女関係も緩やかで、厳しい規則など表向きなモノでしかないこの世。
だが俺は虚しさを感じていた。
好きになる女はいつも、俺を捨てていってしまう。
俺が不甲斐ない男だからだろうか……自分ではよくわからない。
俺は酒をぐっ、ぐっ……とあおいで大きなため息をたつき、呟く。
運命の相手、早くみつからないかなぁ…。
そのとき、ぐいっと袖を引っ張る手があってとろんとした瞳でみやると、そこには、浅黄色の巾を頭に飾り、すこし時代遅れな龍紋襟の黒い袍を羽織った、目が大きく可愛らしい少年がにっこりと笑った。
「僕は李凌華、っていうんだけど、お兄さん将来のお嫁さんみたい?」
——あ?
その問いの意味に俺は頭がついていけなかった。
否。
呆然としてしまった。
初めてあった少年に俺の心の中を読まれたから。
けれど酒の勢いもあって、おおきく頷いてみせた。
——ああ、是非ともあってみたい! 会えるものなら!
あはは……は?
少年はさらに微笑みを深くし、腰に佩いた剣を、すら…と、抜いた。
「じゃあ、見せてあげるよ」
いうや、少年は俺をばっさりと斬ってくれた。
2
悲鳴をあげただろうか?
否、たぶんあげなかったに違いない。
痛みを感じなかったし現に傷一つ無い。
ホッと息をつきながら辺りを見回して俺は後ろに手をついて竦む。
辺りは霧や霞につつまれ、昊は蜜を流したように黄色く、甘い香りが漂っている——いわゆる天国——というところだった。
——や、やっぱり俺はあの少年に殺されてしまったのだろうか?
いやな汗がだらだらとこめかみと背筋に流れたとき、とんとん……と肩を叩かれて俺は情けない悲鳴をあげてしまった。
「あ、ごめんなさい、驚かせてしまった?」
少年は顎に拳をやりクスクスと微笑する。
お、お前は俺を殺した少年!
「やだなぁ……、僕はあなたを殺してはないよ、あなたについていた妖魔を斬っただけ」
へ? よ、妖魔?
「ん、ああ。気にしないで。……んで、僕の気まぐれなのだけど——あなたに将来のお嫁さんを見せてあげようとおもってね」
少年——たしか李凌華といったか——は懐から不思議な素材でできた袋を取りだした。
そこから赤い紐とも縄とつかない太さのものを俺の足に巻いた。
なんだ、これは?
少年はきゅっと結ぶと説明する。
「これは運命の赤い糸だよ。この赤い糸の先には運命の人へとつながっているの。んでね、僕はもうあなたの運命の相手を決めておいたんだ」
き、決めたってあんた、この天国の役人か何かか!
「……うーん、ま…そんなところだよ。ねえ、見てごらんよ」
李凌華は雲の底を指さしと、みるみる穴があいていく。——そこから、素朴な村がみえはじめ、さらに近づいて、一人の娘を大きく映し出したが——とんでもなく醜い女だった。
一度も身体を洗ったこともないと思われる肌の汚さに、がちがちに固まった髪——。
それが運命の相手なのか!
「うん、すごく美人さんだよね!」
李凌華はとろけそうな笑みでいうが、冗談ではない。
あれが将来の俺の嫁?
運命の人?
冗談じゃない!
「——ふふ、あなたはいつも外見で人を判断するんだね。だから」
………失敗するんだよ。
もしかしたらいつも大切な人をなくしたり、取られたりするのは『妖魔』だけの仕業、じゃなかったのかもね。
いままで賑やかだった少年の声が、冷ややかさを帯びて耳を通り抜けた。
★ ☆ ★
——俺は目覚めてすぐに、運命の相手を人をやって殺させた。
あんな、醜い女が運命の相手ならば、いないほうがましだと。
——数年後。
3
「ここで寝ていると風邪を引きますよ?」
繊手が俺の頬を労りをもってやさしく撫でた。
——宝珠……?
「はい」
妻は穏やかに微笑んだ。
俺はめでたく結婚ができた。
あの不思議な少年が結びつけてくれた『赤い糸』の少女ではない——若く美しくて心優しく気だての良い……理想の女を。
だから、ただ一人の女性という意味で、妻を『宝珠』と呼ぶことにしたのだが、ひとつ、おもうところがあった。
……彼女はいつも額に包帯を巻き、さらに前髪を下ろして花で飾っていた。
夫である俺にもその額を見せまいと努力していた。
だが、好きな女性だ。
すべてを知りたくて、意を決して訊ねた。
彼女はすこし表情を暗くし、包帯をほどくと酷い青あざ額に広がり触ってみると凹んでいた。
……だ、誰がこんな酷いことを!
こんな仕打ちをしたヤツを殺してやりたい!
俺は切なくなって、妻を抱き寄せた。
妻は俺の腕の中でさめざめと泣いていう。
「子供の頃、殺されかけたのです」
その言葉を聞いて、俺は思わず——ぎくりと身体がこわばった。
彼女は続ける。
「そんな私を助けてくれたのは、同い年ぐらいの少年で——たしか名を李凌華さんというかたでしたわ。そのおかげで私は良家に養子としてもらわれ、あなたとこうして結ばれることができたのです」
そ、そうか——。
俺は密かに自嘲するしかなく、ふと足首をみた。
——赤い糸が互いの足首を強く結びつけてみえた。