11、傾向と対策・ケータイ小説編
前回、ちょっと突き放したことを書いちゃって後悔しています。
というのもこのエッセイ、一応指南エッセイです。であるからには、ある程度はおせっかいおばさんのようにあれこれと口うるさいことを言わないとまずいんではないか、と今更疑問が出てきちゃいました。
というわけで、ちょっと前回の補足をさせてもらいます。というわけで、今回は、ケータイ小説の傾向と対策を述べていきます。
まず、ケータイ小説を書こうと思っているあなた、最初に胸を当ててみてください。
あなたはケータイ小説を馬鹿にしていませんか?
馬鹿にしている、というあなたは、ケータイ小説を書かない方がいいです。
確かにケータイ小説は出始めから現在に至るまで、「稚拙」だの「リアリティがない」のと言われているんですが、でもそういうことを言う人に限って、どうしてケータイ小説がウケ、今では定着したのかを説明できる人がいません。つまるところ、ケータイ小説にヤジを飛ばしている人たちというのは、ケータイ小説という文化のことを理解できない人なんですね。そういう人は、その文化に関わってはいけません。
いや、たとえばわたし、競馬のことが全然分かりません。正直面白さも分からないのですが、そういう人が競馬に関わるのは時間の無駄ですよね。そういう意味合いのことです。(なおこれ、小説そのものについても言えます。ぶっちゃけた話、小説の何が面白いのか分からない、という人が小説を書くのは間違っているとわたしは考えます。でも、小説を書くことで読むことの楽しさに目覚める場合もあるらしいので、あまりわたしの意見は一般論として受け取らない方がいいと思います。)
話がずれましたので閑話休題。
さて、ケータイ小説の「呼吸」ってなんでしょう。ちょっとまとめてみました。
①メールやケータイでの鑑賞を前提にしている
②女子中学生から女子高生くらいの世代にスポットライトが当たる
③少女漫画的な心象風景の描き方
④「実話」という触れ込みから語られるショッキングな事件
もちろん、最近ではケータイ小説的なフォーマットでファンタジーを書いたりする人がいたり、瀬戸内寂聴さんのように一般文芸からのケータイ小説市場に入ってきたりということがあるので一概には言えませんが、この辺りが狭い意味での「ケータイ小説」です。
実は、広い意味でのケータイ小説は、ある意味で①だけしか共有していません。
どういうことかというと、メールやケータイで鑑賞する、という状況によって、文章そのものがずいぶんと変化しています。
たとえば、普通、日本の小説は縦書きで描かれます。しかし、ケータイ小説は横書きが基本です。これは、ケータイやWEBのスクロールが縦方向であることから、横書きの方がよくなじむんですね。
また、スクロールで読み進める、という性質上、だらだらと文章が続くのは好まれず、文章そのものが短くなっています。また、ケータイやWEBの画面ではページという区切りがあまりないので、びっしりと詰まった文章は好まれず、むしろ一文が終わったらすぐに一行空けて書くような、すかすかなスタイルになっています。
このスタイルはケータイ小説の書き手の皆さんが模索してきたものであるという面もありますが、同時に、メールを頻繁に打っている女子高生たちによって確立してきた、「友達とのメール」の作法そのものです。つまり、メールでのやり取りに使っていたやり方でフィクションを書いたのが「ケータイ小説」と呼ばれる文芸なんですね。
②以降は「恋空」など、狭い意味でのケータイ小説に当てはまるものです。
①で見た通り、ケータイ小説は女子高生たちの手によって作られた文芸スタイルです。そして、その文芸もまた女子高生たちによって支えられて存在しています。なので、自分たちに近い存在や近い題材、または少し背伸びした大人を書いてあげる場合が多いのです。おっさんを主人公にしたケータイ小説なんていうのが存在するのか、と考えてみると、なさそうですよね。
③については、わたしには確信めいたものがあります。
ケータイ小説という文芸は、間違いなく少女漫画に影響を受けています。もっといえば、高屋奈月さん(代表作:白泉社「フルーツバスケット」など)にもろに影響を受けています。
え、全然ケータイ小説と高屋さんの作風が違うぞ! と仰る方もいるでしょう。うん、確かに作風は全然違います。でも、方法論が非常に似ているんですね。
高屋さんの作品(特に「フルーツバスケット」に顕著ですが)では、やけに詩的な文章が目立ちます。たぶん、あの頃の高屋さんは編集サイドから引き延ばしをお願いされていたはずで、その対策として「詩的な文章」を差し挟むことで対応していたんでしょうが、ケータイ小説では、この方法論が感動の装置として利用されているんです。それに、ケータイ小説ではあまり文章で克明な描写が出来ないという特徴があり、その点は漫画と似通っているので、「詩的な文章で山場を作る」というやり方が導入されたのも当然なのかもしれません。
そして、④。
ケータイ小説において、基本的に主人公は色んな事件に出会う対象です。過酷ないじめにあったり、レイプされたり妊娠が発覚しちゃったり恋人が不治の病にかかってしまったり。あるいは幸せなお話であっても、たとえば学年で一番格好いい男子と付き合うことになって云々。
ある意味、ケータイ小説で描かれるのは女子高生たちのファンタジーなのでしょう。そして、それを「実話だよ!」と宣言してやって、「どこかに本当にこういう人がいるのかもしれない」とケータイ画面越しに応援する、というのがケータイ小説という文芸の形なのかもしれません。