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思いつきショートショート『sister』シリーズ

『sister/Re:』

作者: 想隆 泰気

・思いつきショートショートですがよろしければ。

・拙作『sister』の続編に当たります。そちらも【シリーズリンク】からご覧頂ければ幸いです。




 来客を告げるチャイムが鳴っていた。

 半分夢の中でそれを聞きながら、またか、と胸中に毒突いた。どうせ、親父の新しい女か何かが押しかけてきたのだろうと思ったから。

 最初から遊ぶつもりなら、家の住所なんぞ教えるなとは思うが――相手が会社の人間だと、それも難しいのかもな、なんてことを思いながら、俺は寝返りを打つ。そうしていれば、いつかは静かになってくれるから。

 ……だけど、その日は、チャイムが聞こえなくなった代わりに、枕元でけたたましい音が鳴った。弾かれたように顔を上げれば、そこでは滅多に鳴ることもない俺のケータイが、味も素っ気もない呼び出し音で騒いでいた。


 正直気乗りしないまま、嘆息しつつ手を伸ばして――すぐにハッとした。着信表示には、見知った名前。それを見ただけで、つい嬉しくなってしまう名前。……俺の、妹の名前。

 慌てて通話キーを押した。声も、多少上擦っていたかも知れない。関係が多少良くなったとは言え、妹から連絡が来るなんて滅多にあることじゃなかったから。まして、メールではなく、電話が掛かってくるなんて初めてのことだ。嬉しくないわけがなかった。


《……あの……兄さん、ですか……?》


 少しだけ戸惑うような妹の声。当然だろう。俺だって、テンション上がりすぎて少しおかしいくらいなんだ。

 俺の声を確認すると、妹は少しはにかむように笑って、改めた。


《えっと……今、家にいますか?》


 ? 何だろう。今日は日曜日だ。デートのお誘いでもしようというのだろうか。……いや、それなら「家にいるか」の確認はおかしい気もする。意図は分からなかったが、俺は取り敢えず頷いてみる。


《じゃあ……もしかして、寝ていましたか?》


 ……いや、まさかな。ちょっとだけ嫌な予感を感じつつ、俺はもう一度頷いた。

 妹は、そうですか、と一度納得したように呟いてから――少しだけ間を開けて、言った。


《――部屋に、入れてもらえますか? その……遊びに来ちゃったので》


 控えめなのか図々しいのか分からない、そんな言葉。――まあ、つまり、そう言うことらしかった。



 若干緊張した面持ちをした妹の手には、スーパーの買い物袋らしきものが下げられていた。野菜やら何やらが覗いていたので、単に遊びに来たわけじゃないのはすぐに分かった。


「その……ただお邪魔するのも気が引けたので……兄さんに、何かしてあげられればな、って――わたし、こんなことくらいしか出来ないから……」


 顔を真っ赤にして、そんなことを言う妹。正直、今すぐにでも抱きしめて、どこをと言わず撫で回してやりたい衝動に駆られたりもしたのだが、ちょっと素直にそう出来ない事情もあった。


「……ごめんなさい、突然来て……迷惑、でしたよね」


 そう言って俯く妹に、ハッとして手を振りつつも、二つ返事で招き入れると言うわけにいかないのが心苦しいところではある。

 察しの良い妹は、もしかしてお父さんが、なんてことを言ってくれるが、あいつは今日も忙しくどこぞの女のとこだろうから、気にすることなんざない。躊躇しているのはもっと別の理由だった。

 ……とは言え、ここまできて部屋に入れないわけにもいかないわけで、俺は観念して妹を招き入れた。……親父のことで、ちょっと険しくなった妹の顔を見ていたくなかった、と言うのが一番の理由ではあったが。


「……ダメですよ、こんな生活をしてちゃ」


 一通り家の中を見渡して、妹から漏れたのは、そんな苦笑混じりの優しい言葉だった。


 一言で言えば、うちは荒れ果てている。親子二人――実質俺一人で暮らすには広すぎる部屋だったが、そのどこと言わず物が散乱し、好き放題埃を被って、それでも飽きたらず、その上に更に物が乗っかっている。足の踏み場もないとは正にこのことだ。

 反面、キッチンだけは妙に綺麗だったりする。使った形跡すらほとんどない。冷蔵庫には申し訳程度に調味料があるだけで、あとは幾らかの酒類。包丁なんかの調理器具は勿論、炊飯器を使ったことも数える程度で、買い置きの米なんてそもそもなかった。


 ……出来るなら、そんな生活を妹には知って欲しくなどなかったけど、


「わたしは、嬉しいです。……兄さんのことが、少し分かったから」


 そう言って、妹は優しく微笑んでくれた。

 それから妹は、まるで当然のようにその惨状を片付け始めた。俺が口を挟む間もないくらいの手際の良さで、見る間に変わっていく部屋の光景。埃っぽい、鬱屈としているだけだった空間が、清浄な空気で満たされていく。

 ただの木偶の坊みたいに見守ることしかできなかった俺を、妹は時折振り返って、その度に愛らしい笑顔を覗かせた。

 ――そこで妹が笑っている。それだけで、まるで違う世界にいるようだった。



「――少し待っていて下さいね、すぐに出来ますから」


 システムキッチンの向こう側から、妹が眩しい笑顔を覗かせていた。予定よりも遅くなってしまったけれど、遅めの昼食と思えば大丈夫ですよね、とはにかむように笑う。それを否定する意味なんて無い。エプロン姿の妹を見られるだけで、俺は幸せだったから。

 こんな日が来るなんて、数ヶ月前からしたら夢のようなことだと思った。妹は、大げさですよ、なんて言いながらも、


「わたしも……兄さんにご飯を作ってあげられるの、嬉しいです」


 そう、照れ臭そうに笑った。

 ……本当に、夢のようだと思った。あんなにも楽しそうに、嬉しそうにする妹が、長らく使われることの無かったあの場所に立って、俺のための料理を拵えている。それは俺にとって、あまりにも現実離れし過ぎていて、ともすれば、全てが儚い幻なんじゃないかとさえ思ってしまう。

 妹が奏でる優しい鼻歌も心地良くて――……虚ろになっていく脳裏に、何かを思い出しそうになっていた。


「……兄……さん?」


 ふと、訝しげな妹の声が聞こえた。その理由も分からずに、どうした? と、俺は妹に笑いかける。


「! 兄さんっ……!」


 驚いたような妹の声。水で濡れた手を慌てて拭って、パタパタと駆けてくる。おいおい、何をそんなに焦ってるんだ。慌てて転ぶなよ、と俺は笑いかけたが、何を言ってるんですか、と逆に怒られてしまった。

 訳も分からずきょとんとしていると、やがて眼の前までやってきた妹は、何故かエプロンの裾を手にとって、それをそのまま俺の頬に当てた。


「……大丈夫ですか、兄さん……?」


 その優しい声を聞いて、ようやく気がついた。……俺は、泣いていたんだ。理由なんて分からない。だけど、後から後から涙が溢れて止まらなかった。おかしいな、なんだこれ、なんて笑いながら、それでも止まらなかった。

 自分でも訳が分からず、戸惑いばかりが募る。それ以上に、妹を無意味に心配させる自分が許せなかった。

 だが、そんな情けない俺を、妹はそっと抱きしめてくれた。柔らかくて暖かなその胸に抱いて、そっと髪を撫でてくれた。


「……いいんですよ、兄さん……泣いて、下さい。兄さんの心が泣き止むまで……ずっと、こうしていますから……」


 そんな言葉に、俺は抗う術を持たなかった。自覚していなかった悲しみが溢れ出す。本当なら、俺が守って、支えてやらなければならないはずの妹に、俺は縋り付いて泣いた。強く抱きしめたら壊れてしまいそうな小さな体を、それでも強く抱きしめながら。

 正直、みっともない醜態だったと思う。だけど、妹の胸の温もりが、俺に残っていた最後の理性を破壊してくれた。それはもう、完膚無きまでに粉々だ。兄の威厳も大人の尊厳も何もない。泣き喚くことしかできない、間抜けなガキそのものだった。

 でも、それは何だか悪い気分じゃなくて――……いつしか、心地良いまどろみが俺を包み込んでいた。



 ふと気がついて、最初に眼にしたのは、妹の優しい笑顔だった。


「――おはようございます……兄さん」


 そう言って微笑む妹。その慈愛すら感じさせる微笑みに――いいや。慈愛を求めた自分自身に、ああ、そうか、と納得した。


 ――夢を見た。妹の暖かな胸の中で見た、暖かな夢。

 昔の、家族の夢だった。まだ小さな妹がいて、俺がいて――……母がいる。俺は妹を抱いて、いつもの笑顔であやしている。それを、母はキッチンから微笑ましげに眺めていて、俺が時折顔を上げると、エプロン姿の母が、優しく微笑み返してくれるのだ。


 俺は、妹以外のことなんてどうでも良かった。妹がいてくれれば幸せだったし、両親が別れようが親父がゲス野郎だろうが、どうだって良かった。だから、妹と離れなければならないこと以外に、悲しむべきことなんてなかった。……悲しまずに、生きてきた。

 ……でも、そうじゃなかったんだ。失われたものは、妹との幸せな時間だけじゃない。求めていたものは、それだけじゃなかった。

 ――それを、知ってしまったのだ。


「……今度……お母さんと、お父さんと……ゆっくり、話してみませんか……?」


 俺を胸に抱きながら、妹はそんなことを言った。それは、正しいことなのかも知れない。俺達は、過去に多くのものを置き去りにしてきた。その忘れ物を取り戻すには、原因と立ち向かわなければならないのかも知れない。

 だけど、俺は首を振った。俺はただ、気づいただけだ。昔なくしたものを。……それは、昔のことなのだ。過去のことなど、どうだっていい。今の俺には、眼の前のこの温もりだけがあればいい。この温もりが、全てを癒してくれる気がしたから。

 ……もしかするとそれは、ただのごまかしだったのかもしれない。だけど、今はただ、この温もりを手放したくなかった。離れたくなかった。


 分かりました、と妹は小さく呟いた。


「わたしは……どこにも行きません。ずっと、兄さんの側にいます。ずっと、ずっとずっと、こうしていますから――……」


 そう言って、妹は俺を抱く腕に力を込める。俺もまた、自身の願いを込めるように、きつくきつく、妹の華奢な体を抱いた。


 たとえそれがごまかしであろうと。

 この温もりを求めた先に、得るものなど何も無かったとしても。

 俺は、それを手放したくない。ずっと共にありたい。……妹と、その温もりと。


 ――ずっと、一緒にいよう。


 ……最後にそう、呟いた。

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― 新着の感想 ―
[一言] もう、なんと言いますか、妹いいですね。 欲しくなりました。 二人はこのまま幸せになってほしいですね。 正規の?幸福はないのかもしれませんけど、 それでもずっと寄り添っていられたら。
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