第5話〜お食事は先輩と〜
地獄のようなマナー講座を終え、私は先輩が用意してくれた部屋のベッドに寝転がっていた。
時間はちょうど宵。
私の、宵。
私が一番息のしやすい時間。
心がいつもより華やいでいた。
「今なら、出来るよね」
私はベットから降りて部屋の窓を開けた。
夏のカラッとした空気が入ってくる。
私は小さく詠唱をして飛行魔術を開始する。飛行魔術で屋根まで登ると屋根に腰掛けて空を見上げた。
明るさと暗さを兼ね備えた宵の時間は、のびのびと出来る時間でもあった。
もう少しすれば星が現れ、美しい姿を見せつけるだろう。
「あ、そういえばこの時間は……って、研究のことは考えないようにしないと……」
ついつい、気持ちが落ち着くと研究のことを考えてしまう。
宵の時間に採取すると効能が上がる薬草のことを思い出して、頭を横に振る。今は研究のことよりも国王陛下の御前に出て恥ずかしくないようなマナーを身につけなければ。
研究は二の次だ。
私は眼前に広がる別邸の草木を見る。
「あ、あれは風邪薬になるやつだ」
魔法で同じものを生み出して、手に取る。
それは喉の痛みに効く効能を持っているもので、一般的な薬師がよく使うものだ。私も、研究室近くの薬草畑に植えていた。
実を茹でて食べると美味しいのだ。研究している間にお腹が空くとよく食べていた。
「先輩も好きだっけ」
果実を作ろうと詠唱を始めたとき、私の部屋の扉がノックされた。
慌てて飛行魔術で部屋に戻り「居ます!」と言うとメイドさんが「お食事のご用意が整っております」と声をかけてきた。
「旦那様がお待ちですが、どうなさいますか? お疲れであれば、お部屋で食べられるように、と仰せつかっておりますが」
「い、きます。先輩が待っているのなら、私、行きます」
私は自分の姿を姿見で確認する。
お風呂に入った直後のような煌びやかな雰囲気はないが、私らしい落ち着いた雰囲気はあった。これなら、先輩の隣に立っても遜色ないはずだ。
私は部屋の扉を開けると、メイドさんが待っていてくれた。
「ご案内いたします」
深々と一礼した後、私の前を歩き始める。私はその後を、なんだか居心地が悪い気がしながら、着いて行った。
こんな貴族みたいな生活は慣れない。私は、どこにでもいるただの研究者で、先輩とは身分が釣り合わない、ただの人間だ。
案内されたの広い部屋だった。
本来なら、屋敷の主人が座るべき場所は空席で、私達は向かい合って座るらしい。
先輩は私が入ってきたのを見ると柔らかく微笑んだ。
「お疲れ様でした、リア。講師を務めてくださった夫人が褒めていましたよ。筋はいいので、時間さえあれば問題ない、と」
「恐縮です……なんとか、形になっていればいいのですが……」
「大丈夫ですよ、君は何だかんだ出来る子ですから。さぁ、座ってください。食事にしましょう」
私が着席すると料理人の方が料理を運んできた。
グラスには水が注がれる。ワインが注がれたらどうしようかと思っていたので、私は胸を撫で下ろした。お酒は苦手だった。
私は料理を見て目を丸くした。
「あの、これは……」
全ての食事が一皿に並んでいた。私の好きなものばかり。
普通の貴族であれば、前菜からスープ、魚料理や肉料理、ソルベなど順番に一品ずつ出てくるもののはずだ。
私はあれが苦手だった。
時間が長くかかると空腹が薄れていくし、何より食事のあと眠たくなってしまう。さっと片手で食べれるものの方がいい。
研究室では時間のある時は誰かがサンドウィッチやスコーンなど軽食を用意してくれた。何もない時は木のみを魔法で作って齧っていた。
魔法で作ったきのみを食べるのは健康を害する可能性があるが、魔術師の私には多少は問題なかった。
先輩は、厳しい表情になると口を開いた。
「貴方がいきなり普通の食事を取れるとは思っていません」
その通りだ。
食事を平気で抜いている私では、量は食べられない。それに、格式高い料理ばかり出されても気持ちがついていかないだろう。
「まずは、一皿で食べれるものを食べてください。叙勲式後の夜会は立食にしてもらう予定です。テーブルマナーは極力使わずに済むようにします」
「それは、ありがたいです」
「貴方は僕のそばにいれば問題ありません。ダンスも一度、僕と踊ればそれで構いません」
先輩は、自分の皿から私の好きなトマトを移した。
「好きなものを好きなだけ食べるといいでしょう。僕の分も食べて構いません。まずは量を食べて栄養を摂るように」
「あの……ありがとう、ございます。先輩」
なんだか嬉しくて、私はぎゅっと両手を握った。
「礼を言うのは早いですよ。明日からはテーブルマナーの講座も受けていただきますから」
「でも、気遣いが、嬉しかったから……」
「貴方が食べなければ意味がありませんから」
先輩は「さぁ、お食べなさい」と言って私に食事を勧めた。
私はナイフとフォークを取って食事を始める。
先輩にもらったトマトを食べて、一口サイズに切られた鶏肉を食べる。鶏肉はトマトソースがかけられていて、酸味があってとても美味しい。色とりどりの野菜はそれぞれ一口サイズに切られており、シーザードレッシングと粉チーズがかけられていた。その中心にいるのは、私が好きなアボカド。
メインはハンバーグで、チーズがかけられていた。
「どうですか?」
「美味しいです、先輩」
「それはよかった。シェフが喜びます。貴方の体質や生活を教えたら、嘆いていましたから」
「う……それは、その……仕方ないと言うか……」
「リア、改善するように、いいですね」
先輩は真剣そのもので言った。
「貴方はこれから王都での生活をすることになるのですから」
王都。
その単語が、私の気持ちを落ち込ませた。
研究室には一年も帰れず、満足に研究できるかもわからない中、人付き合いもしなければいけない。
本当は嫌だ、帰りたい。
でも、先輩に迷惑をかけるのだけはしたくない。
「大丈夫です、僕が君のそばにいますから」
「……はい、一年程、よろしくお願いします」
たった一年。
苦しいことになるかもしれない。
でも、先輩のそばにいられるのなら、どんな苦痛も耐える自信がある。
「先輩は、どうして……」
「何です?」
尋ねようとした言葉を私は飲み込んだ。
ーーどうしてよくしてくれるんですか?
そんなことを聞いて、とどめを刺すようなことを言われてしまったら。
臆病な私はその先の結末を考えて言えなくなってしまった。
「何でも、ありません。お料理、美味しい、です」
先輩は一瞬、困ったような表情をしたが、やがて微笑んだ。
「それはよかったです。食べれるだけで構いませんから」
「はい、先輩」
私は、貴方に何を返せるだろうか。




