1-4 邂逅
◆◇◆◇◆◇◆
職員のあの表情は一瞬だったが怪訝そうなものであった。無理もない。記憶も戸籍も思い出せず分からない男を不審に感じない理由がない。あの対応は間違っていないだろうし、責める気も当然ない。ただ、くたびれ儲けで一日を費やした事実は少し堪える。
ティティから貰った外套の内側には簡易的な衣嚢が備わっている。そこには清掃作業の手伝いの賃金の代わりとして頂いた布で包装され拳二つ分くらいのサイズの小包。麻製の紐を解くと中から少し歪に潰れてしまったサンドイッチが入っていた。
迷惑を掛けたのは俺の方だから受け取れないと断ったのだが、
「じゃあ何処かに捨ててきてくれ」
と強引に突き渡された。本当に不器用だが面倒見が良く、頭が上がらない。
不思議と空腹感はない。目覚めて今まで飲まず食わずで過ごしてきたが何ら支障をきたす様子はない。それでも開封したサンドイッチに俺は齧り付いた。バターが塗られたバケットに塩茹でされた鶏の胸肉と切り刻まれた数種類の野菜が挟まったもの。作られてから時間が経っているが薄味ではなくしっかりと食材の味が残っている。美味しい。
腹を満たす目的ではなく、心を持ち直す為の気分転換のつもりで食事を取ったが、すぐに完食してしまった。ティティには今度改めてお礼を伝えよう。
そうと決まればうじうじと悩んでいても仕方がない。たかが一日を棒に振っただけ。明日また頑張ろう。計画はなにもないが、頑張ろう。
積極思考を意識して、ベンチから立ち上がる。すっかり日が落ちてしまった広場に人の姿はなくなっていた。
若干の肌寒さがある。日中はそうでもなかったが、恐らく冬が近い季節なのだろう。取敢えず、寝床の確保が先決だろうか。
ここで一晩を明かしても構わないのだが、不審者として騎士に通報されるのも御免被る所。なるべく人目がつかず、且つ風を除けられる場所があれば良いのだが。
まるで浮浪者みたいだなと、今日何度目かの溜息。ともあれ、行動を開始しようとした矢先、
「何かお困りなのかしら」
後方から不意に掛かる声。今しがたまで人の気配がなかった噴水のある方向。
それは落ち着きのある温和で柔らかな女性の声。そして、何故だか懐かしく感じた。
咄嗟に振り返る。
空に満月。青白い月の光と、広場に備え付けらえた照明器具の僅かな光が俺と彼女、二つのシルエットを照らす。
淡い桃色の長くて少し癖のある毛髪。まるで子供のように小柄で細く華奢な体つき。それに反し、目尻の位置が高く吊り上がった切れ長な目と細い橋のような眉、質感のある唇が大人っぽい印象を与える。
そして何よりも、耳の形状。長くて先が少し尖っている。
尖耳族。俺たち丸耳族よりも長命であり保有魔力も桁違いに多く、魔装具なしで魔法を扱うことの出来る神に愛された種族。肉体の成長速度に個体差がある為、この少女……いや女性も恐らくは見た目以上の年齢なのかもしれない。
服装は白いガウンコートを羽織り、前が開いた箇所から肩に紐が掛かっただけの薄手で袖のないコートと同じく白い膝丈くらいの肌着だけを纏っている。靴は驚くことに素足にサンダル。羽織があるにしても総じて露出の多い衣装である。
どうしてだろう。この女性から目が離せない。
妖艶、とでも言うのだろうか。幼い姿に反した大人びた面持ち。可愛いよりも美しいという印象が勝る。
ああ、そうだ。俺はこの一瞬で、この女性に心を奪われたのだ。
懸想、恋慕、■■、庇護欲、■■、愛寵、■■、■■、情炎。
あらゆる欲望が堰を切ったように溢れ出てくる。
目の前がちかちかと明滅している。脳が痺れて思考も視線も定まらない。
動悸が激しい。心臓を鷲掴みにされ握り潰されそうな錯覚。呼吸が整えられない。
汗が顎を伝い垂れ落ちる。先ほどまでの肌寒さなど噓のように体が熱を帯びている。気付けば貰った服が自身の異常な発汗でぐしょ濡れになっていた。
「大丈夫?ひどく苦しそう。どこか休める所へ案内するわ」
さあ、と手を差し伸べる尖耳族の女性。
俺は荒い息を制止できないまま、ゆっくりと彼女の手を取る。
冷たい、それにやはり小さい手で俺の手を優しく握ると尖耳族の女性は艶然と微笑む。
俺は成すがまま、彼女に引かれて、夜の帳が落ちた町へと消えていった。




