1-1 記憶喪失の変質者
目覚めの気分は最悪だった。
視界は安定せず、強烈な頭痛で思考も覚束ない。
長い夢を見ていたような感覚。それが何だったのかは思い出せないが、喉に刺さった魚の小骨のように違和感と不快感が残る。
夢の内容だけではない。ここが何処で、自分自身が何者なのか。それすらも分からない。
記憶喪失というやつだろうか。如何せん実感がない為まるで他人事だ。良く言えば冷静且つ客観的に考える事が出来るが、悪く言えば能天気とも言える。
さて、ゆっくりと順序立てて現状を整理したい所ではあるが、それは難しいようだ。
安定してきた視界の先には腕組みをして仁王立ちで佇む気の強そうな修道女がこちらを睥睨しているからだ。
◆◇◆◇◆◇◆
やや手狭で圧迫感があり、埃っぽい部屋。
室内中央の天井に使い古されたカンテラがひとつだけ吊るされており、小さな炎の灯りが淡い赤の光を放つ。
出入口は木製の扉が一か所。窓などの通気口は他になく、木箱やら農具やらが積載されていることからここが倉庫としいて使われている一室と伺える。
その倉庫には俺と見知らぬ女性。黒のウィンプルで大半は隠れているが耳の後ろ辺りから少しはみ出した燃えるような赤い髪色と、凛々しく鋭い双眸が特徴的な修道女。年齢は見たところ二十歳前後くらいだろうか。
そんなうら若い女性に、俺は意識を取り戻してから数十分。尋問を受けている。
「最近、この辺りの治安も悪化している事はご存知でしょう」
存じ上げません。何故ならば記憶がないからです。
「つい先日も近隣の民家で空き巣がありました。今月に入り同地区では既に三件も被害があります。物騒な世の中になったものです」
そうなんですね。ですが存じ上げません。何故ならば記憶がないからです。
「町の自警団や国の騎士団も警戒を強め、日々巡回をして下さっておりますが結果はこの様です」
どの様か分かりかねます。何故ならば以下略。
「ですが変態さんにも情状酌量の余地を与えようと、騎士団に連絡する前にこうして懺悔する機会を与えているのです。黙っていないで洗いざらい白状してはいかがでしょうか」
先ほどから気の強い口調で否応なしに咎める赤髪の修道女は腕組みをしたまま冷めた眼でこちらを蔑視している。つまり、俺は変質者か何かと勘違いされて、こうして尋問されている訳だ。まあ犯罪が横行しているようだし無理もないとは思う。だけどどういう事か俺は一糸纏わぬ全裸であり、両手両足を縄できつく縛られ床に転がされている。腕を背中に回されて拘束されているものだから俺の男性自身は隠すことも出来ず露呈されっぱなしだ。
「あのですね、私も聖教に殉ずる身。無辜の民を友とし愛す、という教義に基づきこうして慈悲を与えているのです。まさか、ずっと黙ったままで物事が好転するなどと甘ったるい考えでいらっしゃるなんて事、ありませんよね?」
聖職者が容疑者を全裸で捕縛して居丈高に聴取するなんて事も早々にないとは思うのだが。
しかし事態を平行線にしてはならない。この修道女の機嫌次第で罪人として騎士舎に突き出されてしまう。取敢えずは弁解しなければならない。どうしたものか。
「えっと……焼け石に水。いや、火に油というか……」
「やっと口を開いてくれましたね。その火薬庫に爆弾がどのような内容かは私が判断いたしますので、どうぞ弁明なさってください」
「……俺、記憶喪失のようで……何も思い出せないのです……」
弁解とは誠実で正直であるべきだ、と思う。だからこそ虚偽のない真実を話す。実際、何故こうなってしまったかこちらが知りたいくらいなのだから。
それを聞いた修道女は大きく息を吸い、その全てを一息に吐き出した。
「あまりにも下手すぎる戯言をありがとうございます。詰まり貴方は罪の意識は皆無であり、現状をどう切り抜けるかに注力しているという事がひしひしと伝わりました。私を馬鹿にしているのですか?」
言葉だけで見れば丁寧ではあるが、その口調と加速する台詞に怒りが滲み出ている。眉間には皺が寄り、今にも血管が浮き出てきそうだ。
「君が疑うのはよーく分かる!俺だって信じられない。だが考えてほしい。この状況でこんな下手な嘘を吐くと思うかい?あと、なんで俺は裸なんだ!?」
「情に訴えようとしても駄目です。私は悪人が嫌いです。そして嘘つきは悪人です。例え神が許しても私が絶対に許しません。それと裸なのは最初からです」
「お前今さらっと神より自分のほうが正しいみたいな事言わなかったか?つうか最初から裸?お前がひん剥いたんじゃなくて?」
てっきり武器や暗器の警戒と脱走を躊躇わせる為に修道女が衣服を没収したかと思っていたのだが。相手が噓をつく必要はない。つまり記憶を失う前の俺は裸でこの周辺にいたという事。
「え?俺、変態みたいじゃない?」
「……」
冷淡で可哀想なものを見るような突き刺さる白い視線。心なしか空気も寒くなったように感じる。
「……もういいです。これ以上は時間の無駄でしょう」
徐にこちらに近づく修道女。いつの間にかその手には短刀が握られていた。
こちらが二の句を告ぐ前に、修道女は短刀を振り下ろし、
緊縛していた縄を断ち切り、刀身を鞘に納めた。
突然の解放に目が点になる。寝転げたまま首を傾げる俺を横目に修道女は部屋に備えてある棚を漁りはじめた。
「大方、酒に酔って服を何処かに脱ぎ捨ててここのゴミ捨て場で寝入ってしまったのでしょう。悪意は兎も角、悪気はなかったと判断しました。ただ貴方が全裸の不審者であることは変わりませんので今までの対応を謝罪はいたしません」
「……ありがとう」
礼も不要です。と修道女はこちらに何かを差し出してきた。
受け取るとそれは麻で出来た半袖の上着と布の長襦袢、それと少し煤けた古めの外套。要は衣服だ。
「その恰好では外に出られないでしょう。修道院の寄贈品で持て余していたものですが、無いよりはマシでしょう」
記憶もなければ所持品もないので、衣服の提供は感謝の言葉もない。このまま外に放り出されたものなら今度こそ騎士舎に通報されることだろう。
気の強そうな見た目と言葉遣いだが、それは修道女としてか彼女の性格からか正義感の強さの顕れなのかもしれない。
というか、俺はゴミ捨て場で裸で倒れていたのだろうか。もう経緯を考えても時間の無駄なので割愛するが、こっそりと自身のにおいを嗅いでみる。臭くはない、多分。
「では着替えたら出て行ってください。私も早朝の清掃業務の残りがありますので」
「ああ……ご迷惑をお掛けいたしました。ついでに、というと心苦しいのですが」
ゆっくりと立ち上がり小さく挙手する俺を見て、まだ何かあるのかと言わんばかりの呆れた表情を浮かべつつ、「何でしょうか」と抑揚のない声で訊く修道女。
「記憶喪失って、どうすれば治るんだろうか」
後で顧みると、彼女の優しさに油断してしまったのだと思う。
見ず知らずの地、自身が何者かも分からず、路頭を彷徨う姿を考えると空恐ろしい。後ろ足で砂をかけるようで気が引けるが、恥を承知で尋ねた次第だ。
面倒くさそうな顔をする修道女。いやそれって作り話じゃないのかよ、と思ったのであろう。顰め面のまま首から上を大きく垂れ、同時に一際大きな嘆息がはっきりと聞こえた。
「一先ず、さっさと着替えてその汚らしいものを仕舞え」
修道女はいつの間にかタメ口になっていた。




