3-2 不浄の巫女
再び訪れたパルウァエ森林。
瘴気に覆われ、森に近くづくに連れて空気の汚濁がはっきりと分かる。
「ひでえな……こりゃあ……」
同乗し窓越しに外を見ていたウェリスがごちる。魔素を感知する魔法や神秘を用いなくとも肉眼で視認出来るレベルに達した瘴気は生物にとって脅威だ。
御者を呼び止めてこれ以上の進行を制止し、そこからは歩行での移動となった。
二両ある馬車の内、俺達の乗る馬車が先行していた。後続も同じように停止し、ウェリスが同じように御者に説明をしている。
たった数時間前までは森林区域の外部からは異変を計ることはなかった。だがあの瘴気の噴出により、整備されたこの街道からでもその異常さを確認出来るまでの事態に悪化してしまった。
高濃度の魔素が充満した土地が正常な空気を取り戻すまでには膨大な時間と労力を要する。生物に危害を及ぼすと国が判断しその地域の立ち入りを禁止し、魔導庁の協力の下で魔素の減削を執行する。具体的には広範囲への拡散や流布を抑制しつつ、魔素を指定された場所へ収斂させていく。ただこれは緊急措置でしかなく、人為的に魔素を消失させる事は不可能とされている。集められた魔素は泥水のような性質に壊変され、飛散がなくなる頃にはその場所は超高濃度の沼地に変質する。それが所謂、魔素溜りと呼称されるものだ。
問題点は魔素溜りそのものは残り続けること。そしてその作業込みでも十年以上の歳月を要すること。兎にも角にも、瘴気に汚染された土地は完全に元通りになる事はない。
その場所に再度訪れる意味とはなんだろうか。魔素減削の実施?魔導庁の関係者を動員せず聖教と騎士団だけで、それもこの少人数ではあり得ない。事態の確認の為?物見遊山ではないのだから大司教自らが現場へ赴く必要はないし、俺やエルミラを同行させる意味もない。
思案しつつもキャビンから下車する俺とほぼ同時に、後方のキャリッジからもヒトが下りてくる。長く特徴的な亜麻色の髪。凛々しく整った顔立ち。騎士団の刻印入りの鉄製の胸当てを装着し、その下は鎖帷子ではなくただの布製の服のようだ。籠手と具足もなく、騎士にしては極めて軽装であるが反りのある特徴的な造りをした一メートルを有に超える長剣を提げている。同行している騎士団員は二名のみ。彼女がルキと呼ばれていたヒトだろう。
続いて武装した信徒二人が、そしてムスター大司教と続けて地に立つ。あまりの魔素の濃度に信徒の一人は咽込み、ムスターは手巾で口を覆っている。
「これ程とは……。現在まで報告に上がらなかった事が不思議で仕方がない」
「定期報告では十日前に街道整備とパルウァエダンジョン跡地周辺の安全調査が実施されております。その時は特筆した異常もなかったと把握しています」
「では少なくともこの十日間でここまで激変した、と」
「左様でございます」
事務的に粛々とムスターの問いに応対する騎士の女性。いかにも仕事の出来る風格を醸している。
「しかし無辜の民に危害が出る前に処置に当たれる事だけは僥倖だった」
「仰せの通りです」
「立ち話は後にしてくれるかしら」
ムスターとルキの応酬にエルミラの声が割って入る。
遅れてキャリッジから降り立つ彼女が視界に入り、俺は思わず息を呑んだ。
純白の羽衣にベール。化粧はしてはいないようだが、髪型も後頭部にまとめて束ね上げている。
その姿はまるで御伽噺に出てくる妖精のように可憐で美しく見惚れてしまう。
ムスターとルキがその場で片膝を付いて首を下げる。何も分かっていない俺と不機嫌を隠そうともしないウェリスだけが棒立ちのままだ。
「では巫女様、瘴気が発生した中心地まで参りましょう。そこで浄化の儀を」
巫女、とはエルミラのことだろう。役職名か、あの衣装を纏う際の特別な呼称か。浄化の儀というのが何なのかは分からないが、危険を承知で現場にまで赴き執り行う事となると、この事態を顛倒させ得る何かとは察せる。
「本当はその方が良いのだけど、貴方の部下が持たなそうよ」
護衛で同行していた聖教の信徒が蹲り呼吸を荒げている。ここに居合わせるのはエルミラを除き皆丸耳族だ。魔素への耐性が少なく、瘴気の中を移動する行為は自滅に等しい。俺や騎士団の二人は変わりないが、ムスター大司教も顔色は優れない。
「だ、大丈夫です。魔素除けの魔装具も装備しております。少々毒気に当てられただけですから……」
そんな魔装具もあるのか。だが虚勢だろう。強がりか使命感か信徒は辛うじて立ち上がるものの、これより先に連れて行くのは誰が見ても苦しい。
「では、ここで?」
「そうね。ちょっと大掛かりな術式を展開するから、万が一の警護は任せるわ」
ムスターの言葉にエルミラが頷いて返事をすると、両手を広げ、魔法詠唱を開始した。
魔法の発動方法はいくつかあるが、最も一般的なものは詠唱発動だ。術式をイメージし、言葉に魔力を乗せ変換させる方法。イメージだけで術式を広げるとどうしても力が安定せず出力が不足してしまう。火を起こす、水を凍らせる、指先を発光させる程度ならば無詠唱でも問題ないが、仕掛けや規模が大きい魔法であるならば一人ないし複数人での詠唱を必要とする。尤も、本来ならばそれに加えて魔術式を記した魔導紙や魔法陣を用いるべきであるのだが。
一陣の風が吹く。それとほぼ同時、エルミラを中心に足元から光を放つ円形の魔法陣が生成され、徐々に拡大していく。見たことのない魔法生成だ。
詠唱がかなり長い。一言を発する毎に魔法陣は拡がり、一分が経った頃には森林区域の大半を呑み込む程に大きくなる。
この大きさの魔法陣を一人で、しかも詠唱による作成は常軌を逸している。本来であれば術者を最低でも五人、安定させるのであれば十人は必要とするであろう規模の魔法だ。
エルミラが一息吐く。魔法陣の拡大が収まった。そして、広げた手を自身の目の前へと伸ばし、
「集束」
そう唱えると、魔法陣の範囲内に猛烈な勢いで吹き荒ぶ風圧を発生させ、巻き上げさせる。攻撃的なものではなく、ただ単に範囲内を風巻くもののようだ。
ただ、それで瘴気をどうするのか。いたずらに撒き散らすだけでは被害を分散させてしまうだけだ。魔素は短時間で自然分解されない。それは当然エルミラも知っているだろう。
吹きあがった風が上空で竜巻のように回転して瘴気を吸い上げ巻き込む。青紫に染まるそれはまるで巨大な毒蛇のように見える。
エルミラは正面に伸ばしていた両腕を真上へと掲げ、開いていた掌をぐっと握りこむ。すると瘴気の塊がエルミラ目掛けて流星の如く降り注ぐ。
「何を!」
思わず叫んでしまう。いくら魔素に強い存在だったとしても、森林を覆いつくすだけの量を浴びてはただでは済まない。第一にそんなことをして何になるというのだ。
急降下する瘴気は尚も残留する瘴気を誘引して膨張を続ける。それは帯のように棚引き、毒蛇を超越し伝説で語られる龍の形状を彷彿とさせる。
エルミラの近くに居たムスターと御者が慌てて俺達の方向へと駆けだした。ルキも少し遅れて調子を崩した信徒に肩を貸しつつ動き出す。エルミラただ一人を残して。
歯を食いしばり、彼女のもとへと走りだそうとした矢先、ウェリスに腕を掴まれ引き戻された。
「離せ!あの馬鹿を止めなくちゃ……」
「うるせえ。大丈夫だ」
馬鹿はお前だと言わん表情のウェリスに思わず手が出そうになる。だが、他の者も含めて誰も彼女を心配していないのは確かに不可解だ。何か考えがあるに違いない。が、そうだとしても冷静さを取り戻せない。
「あの魔女なら平気だ。多分な」
落ち着きのない俺を諭すようにウェリスが言う。最後の一言だけ不安を増長させるが。
そうしている内に、瘴気の龍はエルミラに迫り、そして、
直撃した。
轟。爆発に近しい衝撃の音。
余波の風圧で土埃が立ち込める。いや、ならば瘴気も飛散するはず。だがそうはならず、黄砂が視界を遮るだけであり、青紫に濁った空気も、高い魔素特有のひりつきを感じることもない。
やがてエルミラのシルエットが砂塵から浮かび上がる。あれを受けても彼女は無事だった。だが驚くのはそこではない。
晴れていく視界の先で、瘴気をエルミラの体が吸入している。猛毒である筈の高濃度の魔素を、だ。
自滅行為でもその場凌ぎの珍技でもない。青紫の霧を吸い込み続け、彼女は平然と体勢を崩さずその場で魔法の行使を続けている。
「どうなっているんだ……」
「巫女様の持つ大いなる神秘ですよ」
手巾で口を隠したまま、俺の隣に歩み寄ったムスターが答える。
「瘴気への完全耐性。そしてそれを自分自身に吸収し、分解、力へと変換し取り込む超能。それ故、不浄の巫女と礼賛されており、正にデム神の遣わせた救世主様であらせられるのです」
穢れず、染まらず、邪を祓う者です。とムスターが語る。
瘴気を無効にし自身の力に転換する、か。随分と稀有な異能だが、魔法と違い能力も顕在する経緯も理由も解明できていない神秘由来であるならば納得するしかない。
つまり彼女は聖教お抱えの瘴気対策のスペシャリストという訳だ。長い歳月が必要で危険が伴うその対処をその身ひとつで可能とするならば貴重で代えがたいユニークな存在である。それがこの国の聖教に身を置くとなれば、その偉功だけでも信徒を呼び込む魅力が備わっているといって過言ではない。彼女に敬意を表す意味がやっと分かった。
それから十分程度だろうか。旋風が瘴気を巻き込み、それをエルミラが吸収し続け、あっさりと大気の淀みをほぼ正常な値まで回復させた。
ここにいる俺以外の全員が彼女の力を知っていたのだろう。なら事前に俺にも教えておいてほしかった。一人で心配して、逆上して、みっともない姿を晒してしまった。
「終わったわよ。ただ、遠隔での実施だったから状況次第では改めて浄化をしましょう」
現状は悪害はなくなったわ、とけろりとした顔で言ってこちらへと歩いて来る。そして俺の前まで来て、俺の体に顔を埋めた。
「少し疲れたわ」
「ああ、お疲れ」
「心配してくれていたの?」
「……当たり前だろ」
俺だけ知らなかったのだから。
拗ねたような照れたような表情を見て、エルミラはくすくすと笑いながら謝罪する。
「悪いけれど、もう少し付き合って。最後の一仕事が残っているわ」
俺の胸を撫でるような手つきで触れ、名残惜しそうに離れていく。
程なくして再び馬車へ乗り込み、フェイリックスへと向けて出発した。なんて慌ただしい一日なのだろう。
あれ?これって俺が同行した意味って、あったのだろうか。




