3-1 フェイリックス大聖堂
フェイリックス大聖堂。
中央大陸最大規模を誇る唯一神デムを讃える教会であり、この国のシンボルでもある建造物。定期的な点検と修繕を行っているとはいえ経年による劣化や汚穢はなく、白を基調とした精錬で荘厳な佇まいは見る者すべてを圧巻とさせる。
中央広場から西に進みすぐ、緩やかだが長い階段が続く先に悠然と構えるこの場所を目的とし遠方から遥々訪れる者も多い。現に今日もその階段は参拝の希望者が列を連ねていた。
その階段道の脇に幅十メートル、高さ五メートル程度の鉄製の門が設えてある。門の前には縦長の十字に日輪を背負うデム教の刻印入りの袈裟を着た信徒が二人、鈴付きの錫杖を携え扉の番をしているようだ。関係者専用の通用口といったところだろう。
フェイリックスへと戻り、そこから先行するエルミラは門番の前まですたすたと歩き、いつの間にやらまた被っていた頭巾を取ると、慌てた様相で彼女に会釈して門を開いた。
「行くわよ、ナナシ」
「……あ、ああ」
さもありなんと門より内側で手招きするエルミラ。昨日から驚きの連続で感覚が麻痺してきている。
「聖教の関係者なのか?」
「そんな所よ。ただ、デムに陶酔している訳ではないわ」
こちらを一瞥もせずにそう淡々と告げる。関係はあるが司教や司祭などではなく、けれど信徒から敬われる存在。分からない事だらけだ。
階段の道とを白い石壁を挟み、こちらは緩やかな坂の道となっている。
会話もなく、行き付いた先はやはりフェイリックス大聖堂であり、またも鉄門を開けてもらうと館内の裏口に直通していた。
外観も然ることながら内装も無駄のない精錬された美しい造り。決して絢爛豪華で贅沢三昧な訳ではなく、様式美とでもいうのか、歴史や趣を感じさせる。関係者以外が出入りすることはないであろう裏手の広間でそう思うのだから、正面の聖堂はさぞ壮観な事だろう。
聖堂の中にも警備を務めている信徒が見受けられる。その一人にエルミラが何かを伝えると深々と礼をして何処かへ走り去っていく。
程なくして小走りでまた別の男性が吹き抜けの螺旋階段から下りてくる姿が見えた。白い修道着には勿論聖教の刻印。オールバックで清潔感のある短めの髪型。鼻の下から口元を囲うような髭も綺麗に手入れされ整えられており、威厳と風格はあるが威圧感はない優しそうな顔立ち。ただ大柄で、太ってはいないが服の上からでも筋肉質なのが分かるがたいの良さ。
確か白の修道着は聖教の中では特別であり、高位の教区に属する者しか身に着ける事が出来ないもの、だった気がする。となると、かなりのお偉いさんということ。
そのお偉いさんは俺たちの前で立ち止まり、一度深呼吸をしてお辞儀をする。
「お待たせいたしました、エルミラ様。火急のご用立てとお聞きしましたが、いかがなさいましたかな」
見た目通り低く渋めの声色。いや、それよりも……様?
「パルウァエの森林で瘴気が発生したわ。すぐに処置が必要ね。今しがた私自身で確認した事よ」
「なんと!直ちに準備致します」
白い修道着の男は警備をしていた信徒を二人呼び出し、あれこれと指示を出している。背を伸ばし屹立し、敬礼すると速足でそれぞれ散っていく。
「エルミラ様もお疲れのところ申し訳ございませんがご用意をお願い致します」
分かっているわ、といつも通りの口調のエルミラ。そしてふと、蚊帳の外にいた俺と男の視線が合った。
「失礼ですが、そちらの御仁はどちら様でしょうかな」
「私のいい人よ。詮索はなしでお願いするわ」
本当にそういう認識なのか、行きずりで一晩を共にした関係を説明出来ないからかは定かではないが、そう言われて如何せんどぎまぎしてしまった。男とは単純な生き物である。
「左様でございましたか。御仁よ、知らなかったとはいえ無礼な態度をお許しください。私はムスター・アヴァルス。お見知り置き下さると光栄です」
「と、とんでもございません。お……私はナナシと申します」
ムスターと名乗った白い修道服の男は柔和に微笑むとこちらに会釈をする。俺も慌てて頭を下げて自身の名前(仮)を名乗った。
「因みに彼は大司教。事実上ここのトップよ」
小声で俺に耳打ちするエルミラ。
大司教といえばティティがこの国の代表に選出されたと話していた。つまりは聖教の大神官であり、この国の指導者も担っている人物という事。お偉いさんどころか為政者様だ。
そのトップの人物がこんなにも腰が低い事にも驚きだが、そんな人物に様付けで呼ばれる立場とは一体どんなものなのだろう。
「ムスター大司教。出立のご用意が整いました。馬車の手配もあと数分で完了いたします」
「承知いたしました。では、エルミラ様も」
エルミラとムスターは螺旋階段を昇り、中間の階層の個室へと消えていった。俺は二人の信徒と先に馬車で待っていてほしいとムスターに命じられ、中央広場へ引き戻ることになった。
◇◆◇◆◇◆
聖教の信徒の方に誘導され広場に着いた時には既に二両の馬車が用意されていた。一般的な運搬や交通手段に使われる幌馬車ではなく、貴族や上流階級の送迎に用いられるキャビン型のキャリッジ。勿論こちらも聖教の紋章がでかでかと刻印されている。
後方に控える一両に案内され、二名いた信徒の内の一人と同乗する。室内も豪勢で赤い絨毯の敷かれた上にクッション性のある三人掛けの長椅子が向かい合わせで二脚設置され、満員の六人が乗り合わせても別段窮屈には感じはしないであろうゆとりのある空間。ただ、そのゆったりとした個室に見知らぬ男が二人だけというのは少々据わりが悪い。
「馬車を二つも出すなんて、大勢で向かわれるのですか?」
「はい。私を含めた護衛役三名と御者が二名、ムスター大司教とエルミラ様、そして貴方の八名で出立します」
この馬車には貴方と私と御者の三名で以上です、とはきはきとした口調で教えてくれる信徒の男性。だが、その人数であれば馬車を減らして御者一人とキャビンに六人でぎりぎり一両に収まる様に思えるのだが。何か大荷物でもあるのか、お偉方を満員のキャビンに同席させまいとする配慮からだろうか。
暫しの沈黙。居た堪れず外の景色を窓硝子越しに伺うと野次馬たちが何事かと集まりだしている。軽武装の男衆……恐らく自警団であろう者がそれを窘め抑えている姿が所々で散見できた。
その光景を眺めていると突如キャビンの扉が開き、見覚えのない男が乗り込み、俺の隣に一人分を空けて乱雑に音を立てて座った。
綺麗に整えられた内巻きの金色の長髪。丸い両耳に色の違う魔晶石のピアスをつけ、簡潔に言えばチャラい印象を受ける青年。ただその服装はフェイリックスの国章であるサクラの花弁が調印された白銀の鎧を纏っていた。つまり、この男はフェイリックス騎士団所属の者だ。
「ウェリス様。騎士団長の貴方がお乗りいただく馬車はこちらではなく……」
「そっちはルキに任せてある。俺はこっちでいい」
「それでは大司教たちの護衛が……」
「あ?なんだ、ルキだけじゃあ力不足だってか?贅沢に大口叩くじゃねえか。じゃあお前がそっちに乗れ。騎士団長からの指示だとでも言えば教皇様もご納得なさってくれるだろうよ」
言葉を遮り捲し立てられ、加えて獰猛で威圧するような眼光の前で信徒は言い淀んでしまい、その言葉通りキャビンから下りてもう一両の馬車の前で待機してしまった。
この目つきの悪く破落戸のような態度の男が、騎士団長。冗談だろう。
フェイリックス騎士団はその昔、中央大陸きっての精鋭部隊と名高い集団だった。その理由に当時の王族への篤い忠誠心と団結力にある。もとより、民主主義たる仕組みになる以前の国政しか知らない俺はこの騎士団が国を守護し、治安を維持しているものだと思っていた。だがどうも今は聖教直下の護衛や自警団も多く、その限りではなく一枚岩とはいかないようだ。それに加えてこの男からは騎士道精神、とでも言えばいいのか。紳士的な態度や他者への尊重を観取出来ない。
「で?君、誰?」
信徒が離れ、その席に移動しやはり乱暴に腰を落とす白銀鎧の男……ウェリスと呼ばれていたか。そいつが小指で耳の穴をほじりながら俺に問い掛ける。
「名乗る程の者じゃない。ただの駆け出し冒険者だ」
「はあ?ただの駆け出し冒険者がこんな待遇受ける訳ねえだろ。新しく配属された聖教の重鎮様か、或いはさぞ武功のある騎士修道会の猛者……ではねえか。覇気がまるでねえし」
小指に息を吹きかけて耳垢を飛ばしながら大分失礼な物言いをされた。まあ事実、記憶喪失で何処の馬の骨かも分からない俺に覇気なんてものはない。
「まあいいや。特別扱いされてるって事は、教皇様かあの魔女のどちらかの関係者で間違いはないだろうし。つまんねえ事聞いたな」
「……魔女?」
もしかして、エルミラの事を言っているのか。確かに尖耳族だし、魔法の扱いに長けているようだし、女性だし、魔女と称するのは間違いではないが、どうも言葉に角が立つ。
「悪い、失言だった。忘れてくれていい」
ばつが悪そうにぶっきら棒に謝罪するウェリス。
態度は悪いし、口も悪いし、目つきも悪く、ちょっと頭にくる所もある男だが、どうも心根までは悪い奴ではない気がする。ただし、ムスター大司教とエルミラ……延いては聖教に対しては憎しみのような悪感情を端々に伺える。
別にいいさ、と俺が言うとそれ以降、何時の間にやら準備が整い、馬車が出発し目的地へ着くまでの間、互いに別の方向から外の景色を眺めていた。
結局、再びあの森林区域に到着するまでエルミラを発見することはなかった。




