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ラプンツェル:糸の瞳

掲載日:2025/11/12


それは、空が光を忘れたかのような蝕の夜に生まれた。

産婆は震えた。

生まれた赤子は、黒く重たい髪に包まれ、まるで運命の糸のように長かった。

だが、何より恐ろしかったのは――

その子は泣かなかった。

ただ、目を開けて……何も見なかった。


「……この子は盲目だ」

産婆が呟いた。


母は抱きしめた。

父は一歩、後ずさった。

そして村人たちは口々に囁いた。

「……呪われている」


それでも名は与えられた。

“ラプンツェル”――陽の光を浴びて咲く花の名。

だが彼女がその光を見ることは、決してなかった。


年月は過ぎた。

ラプンツェルの髪は止まることなく伸び続けた。

櫛も、鋏も必要なかった。

その髪は、まるで意思を持つかのように、生きていた。

絡まり、延び、巻きつく。

ある日、猫を巻き取り、またある日は、近づきすぎた子どもを絡め取った。


そして、恐れは髪よりも早く広がった。


五歳になったとき――

村人たちは彼女の両親に命じた。

森近くの古い塔に閉じ込めよ、と。


「彼女のためだ」と言いながら、

誰もが知っていた。

それは“自分たちの”ためだったと。


こうしてラプンツェルは、石の壁と木々の囁きだけを友にして育った。

太陽も、声も、温もりも届かないその場所で。

誰も訪れず。

誰も声をかけず。


ただ、風だけが通り過ぎた。

世界の噂を乗せて。


そして――髪。

奇妙で、永遠で、唯一の味方。

彼女はその髪を「視る」ために使い始めた。

手の代わりではなく、

目の代わりとして。


やがて彼女は、物に触れずとも位置を「感じる」ようになった。

空気の振動、木の温度、虫の足音……すべてを。


食べるのも、掃除するのも、遊ぶのも――

そして、誰もいないのに「身を守る」ことさえ。


ある夜、雨が塔を叩く中、

扉がノックされた。


その音は弱く、控えめだった。

ラプンツェルは目を開けていた。

いつもそうだった。


髪を這わせて、扉の先を“視る”。

男。背が高く、痩せていて……盲目。


「誰?」

扉越しに彼女は問う。


「昔、お前のようだった者だ」

静かな声が返る。

「アランと名乗っている」


「……何の用?」


「戦いを教えに来た」


ラプンツェルは黙った。


「“髪で視る少女”の噂を聞いた。それが本当なら……お前は、独りじゃない」


「私は目が見えない。でも、戦い方は学んだ。

お前もできる。復讐のためじゃない。

選ぶためだ。お前自身の力で」


沈黙が続く。

誰も訪れたことのない塔。

誰も寄りつかなかった場所。


……なのに、

ラプンツェルは、扉を――開けた。

最初の教えは――沈黙だった。


「よく聞け」

アランは言った。

「沈黙は空っぽじゃない。満ちている。合図で、兆しで、真実で――お前が読み取れるならな」


ラプンツェルは目を閉じた。

意味はない。彼女はもともと何も見えない。

けれど、その動作は心を整える。


塔の静寂の中、彼女は“聴いた”。


水滴が落ちる音。

風が壁を擦る気配。

アランの足元で軋む木の板。

――そして彼女の髪が、それ以外すべてを捉える。


アランが腕を振り上げると、空気が張りつめた。

呼吸が変わるたび、圧力が変わる。

そのすべてを、彼女の“髪の目”が読み取った。


アランは甘くなかった。

彼女を哀れまなかった。


「戦うなら、決意しろ。

見える見えないは関係ない。

迷いは、命を落とす隙だ」


彼は木の杖で襲いかかる。

最初は遅く、そして次第に鋭く。

ラプンツェルは髪を操り、応じた。


打ち払い、絡め、叩く。

一本一本の髪が、指のように。

感覚の触角のように。


塔はやがて、影の道場となった。


彼女は何度も倒れ、傷つき、

それでも立ち上がった。


肉体は鍛えられ、

精神は――解き放たれていった。


もはや、光を見る夢は見なかった。

彼女の夢は、「風のように動くこと」。

「誰も、自分と同じ痛みを味わわせないこと」。


ある晩、ラプンツェルは尋ねた。


「どうして私に教えるの?」


アランは、焚き火を囲みながら答えた。


「俺も、かつては憎まれた。

戦争で目を失い、戻った時、誰もが俺を厄介者として扱った。

心が折れた。すべてを捨てようとした。

だが、ある老人が教えてくれた。

“見ること”が生きることじゃない。

“意味を持って動くこと”が、生きることだと」


「だから今度は俺の番だ。

お前に、それを渡す」


ラプンツェルは黙ってうなずいた。


彼女はもう、世界に受け入れてほしいとは思わなかった。

自分自身が、自分を受け入れること。

それだけで、十分だった。


やがて、彼女は独自の技を磨き上げた。


糸の舞

―髪を旋回させ、広範囲の敵の動きを察知し、飛来物を遮断する。


双鞭

―二束の髪を刃のように変え、回転させて攻撃する。


影布

―微細な髪を罠のように張り巡らせ、敵の動きを封じる。


風眼

―空気の振動を通して、全方位の状況を“視る”技。完全な空間把握。


アランはそれを見つめ、誇らしくもあり、恐ろしくもあった。


「時は近い」

彼は密かに思っていた。


彼女がそのすべてを使わねばならぬ“本物の戦い”が、もう――すぐそこまで来ている、と。

それは、夜明けに始まった。

警告も、交渉も、なかった。


北の森の奥から――

低く、うねるような太鼓の音が鳴った。

まるで大地そのものが怯えているかのように。


来たのは、火の軍団。

百を超える無法者たち。


その名も――

「炎の軍勢レギオン・デ・フエゴ

そして、彼らを率いるのは冷酷なる男、

“焼き尽くすエル・クエマドール”。


奴のやり方はひとつ:

村を焼き払い、灰しか残さない。


村人たちは逃げ惑った。

武器も技も、何もない。

あるのは、ただ――恐怖。


だが、誰よりも早くそれを“見た”者がいた。


ラプンツェル。


塔の上で、髪を編んでいた彼女は、大地の震えを感じた。

歩く足音――174人。

風に混じる火薬の匂い。

遠くで燃え上がる松明の音。


――これは、待つべき戦いではない。


「もう、時だわ」

そう呟き、森の方へ顔を向けた。


塔の入り口には、アランが待っていた。


「準備はいいか?」


「…私じゃなくて、世界の方が準備できてないかも」


ふたりは塔を下りた。


村は、炎に包まれていた。


叫び。砕ける扉。引きずられる人々。

誰も、立ち向かおうとはしなかった。


その時、

闇を裂くように一本の黒い鞭が飛び、

襲撃者の槍を弾き飛ばした。


振り返る炎の中――

一本の影が立っていた。


黒い髪に包まれた、細い身体。

その髪は、怒れる風のように生きていた。


「お前は…何者だ?」

馬上の“焼き尽くす者”が叫ぶ。


「捨てられた者。

 “怪物”と呼ばれた女よ」


「ならば死にに来たか?」


「違う。

 私は――救いに来た」


そして、彼女は飛び込んだ。


糸の舞(Danza de Hilos)――

黒髪が空を舞い、敵を切り倒す。


双鞭(Látigo Doble)――

槍を、武器を、骨を断つ鋭き髪の回転。


影布(Tela de Sombra)――

見えぬ罠に五人の盗賊が絡め取られた。


アランもまた、盲目ながら戦った。

音を聞き、振動を読み、

彼の剣は無駄なく敵を倒した。


村人たちは…隠れながらも、見ていた。

沈黙の中、誰もが目を奪われていた。


だが、**“焼き尽くす者”**は普通の盗賊ではなかった。


「火薬を起動しろ!」

奴の指示で、広場の中央に設置された魔導爆弾が光を放ち始めた。


火油、火薬、魔法の触媒――

一度爆発すれば、村全体が消し飛ぶ威力。


ラプンツェルは、感じた。

“熱”の波。


そして――迷わず、走った。


全身の髪を伸ばし、爆弾に巻き付け、

抱きしめるように覆い尽くす。


「アラン…村人を頼んだわ」


最後にそれだけ言って、彼女は――

光の中に、消えた。


……静寂。


空に、灰が舞っていた。

広場は焼け跡と化していたが――


焼けていなかった。


中央に横たわるひとりの少女。

髪はすべて消え失せ、肌は裂け、息も浅い。


「彼女だ!」

ひとりの子どもが叫んだ。


ラプンツェルは、生きていた。

震える胸が、静かに上下していた。


村人たちは近づき、息を呑んだ。


彼女の頭から――

黒く、濃く、ゆっくりと。


新たな髪が生えていた。


その糸は、生きていた。

さらに強く。さらに鋭く。

そして――彼女と共に成長していた。


誰からともなく、村人はひざをついた。


後悔と、敬意と、祈りを込めて。


その日から、

彼女は――村の英雄となった。


光を見ずとも、

“真に世界を見つめられる者”として。


そして、子どもたちが彼女に尋ねたとき――

「ねえ、ラプンツェルのお髪って、なんでそんなにすごいの?」

彼女は、優しく笑ってこう言った。

「この髪は、私と一緒に育ったの。

 そしてね――まだ、見るべきものがたくさんあるのよ」

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