放課後のもう一人
私の名前は橘 美緒、高校二年生。普通の女子高生だと思う。ただ、最近、どうにも奇妙なことが続いている。
それは、三週間前の放課後から始まった。
部活も終わって、私は教室に忘れ物を取りに戻った。誰もいないはずの教室に、誰かがいた。
それは私だった。
いや、似ているなんてもんじゃない。鏡を見ているみたいだった。机の前に立ち、こちらに背を向けていたその「私」は、まるで私の仕草をそのままコピーしているように見えた。
「……誰?」
声をかけた瞬間、「私」はゆっくりとこちらを振り返った。無表情で、目だけがぎらついていた。その顔は、私とまったく同じだった。
次の瞬間、教室のドアがバンと閉まり、私は気を失った。
*
気がついたら、保健室のベッドの上だった。先生は「廊下で倒れてたんだよ」と言った。自分でも何がなんだかわからなかった。
それから毎日、私は放課後になると、無意識のうちに教室に戻ってしまうようになった。そして、同じように「もう一人の私」がそこに立っている。
だんだん、彼女は私に近づいてきていた。
初めて会ったときは教室の前のほうにいた。でも今は、私の席のすぐ隣に立っている。しかも、私が話しかけても何も言わない。ただ、じっとこちらを見ている。鏡のように、けれど何かが違う。
私よりもずっと、暗い目をしていた。
*
友達の綾乃に相談してみた。
「それ、分身ってやつじゃない?」
「分身?」
「古くからの怪談であるんだよ。自分と同じ姿をした存在に出会うと、不幸が起きるとか、命を取られるとか」
冗談交じりに言った綾乃は笑っていたけど、私は笑えなかった。だって、日に日に「彼女」ははっきりと、実体を持ちはじめているように感じたから。
手を伸ばせば、触れることができそうなほどに。
*
一週間後。
「彼女」が喋った。
「返して」
その一言だけ。声は私と同じ。でも、響きがまるで違った。
「……何を?」
「全部」
「全部って……?」
「あなたの名前、あなたの友達、あなたの時間、あなたの席、あなたの毎日……私のだった」
怖くなって逃げ出そうとした私の腕を、「彼女」が掴んだ。冷たくて、でも確かにそこにある指。
「待って、話を聞かせて……!」
「もう、いらない。あなた、全部奪った」
次の瞬間、意識がブラックアウトした。
*
目が覚めると、私はベッドにいた。
でも、そこは保健室じゃなかった。
見慣れない天井。暗く、湿った空気。ベッドというより、床に寝かされていた。
辺りを見渡しても、どこかの物置のような場所だった。古びたロッカーや、積み上げられた椅子が散乱している。窓もなく、ドアも見当たらなかった。
スマホも持っていなかった。というか、制服が違っていた。どこか古い、黄ばんだセーラー服。……何かのコスプレ? いや、そんな軽い話じゃない。
「ここ……どこ?」
声に応える者はいない。
代わりに、スピーカーから誰かの声が聞こえた。
『橘 美緒さん、今日も欠席ですね。最近ずっと来てません』
それは、担任の先生の声だった。
『でも、席には毎日座ってるんですよ。不思議ですね』
まるで……「私」が、私の代わりに学校に通っているように聞こえた。
そして、笑い声が聞こえた。
それは間違いなく、私の声だった。
*
数日が過ぎた。日付の感覚はない。ただ、時々スピーカーから学校の放送が流れてくる。
綾乃の声も聞こえた。「美緒がいないの、まだ信じられないな。でも、今の美緒……ちょっと前より楽しそうかも」なんて言っていた。
「私」は、完全に私の生活に入り込んだらしい。
私の友達も、私の先生も、私のことを忘れたように、普通に接しているらしい。
じゃあ、私は——誰?
*
気が狂いそうになったその時、「彼女」が目の前に現れた。
汚れた鏡のような一枚のガラスの向こう側。制服は綺麗で、髪も整っていて、表情も穏やか。まるで本物の「私」みたいに。
「元気?」
彼女が笑った。
「ねぇ、わかったでしょ。私の気持ち」
「……あなたは、誰?」
「私よ。あなたの前の“私”。あの教室で、誰にも気づかれず、忘れられて、消えかけてた私」
彼女は淡々と語った。
「でも、あなたが来てくれた。あなたをここに閉じ込めたら、私があなたになれる」
「そんなの、おかしい……!」
「おかしくないよ。世の中って、そういうもの。気づかれなければ、いないも同然。だったら、気づかれるほうが勝ち。私が勝った。ただ、それだけ」
笑顔で言われたその言葉に、私はなにも返せなかった。
*
今でも、私はここにいる。
閉じ込められたまま、時間も止まったまま。
でも、スピーカーから聞こえる彼女の声が、少しずつ違ってきているのが分かる。
笑い方も、話し方も、私そっくりだったのが、最近はどこかおかしい。
綾乃が言った。「最近の美緒、ちょっと変わったよね」
……彼女は完璧じゃなかったんだ。
このまま、崩れていけばいい。
いずれ、誰かが気づくかもしれない。
彼女が「私」じゃないって。
そのとき、私は——。
オチは「主人公はすでに“すり替えられていた”」という事実と、その“すり替えた存在”が徐々にボロを出し始めている、という二重の意味を持たせています。