7話
「さて、どうしようかな?」
ナラールは雨が降っている間はずっと部屋にこもりきりだったから、エラティは時間を持て余してしまう。
少し考えた末に、エラティは町中を歩いてみることにした。すっかり眠っているナラールを部屋に残し、宿を出る。
(酒場に行ってみよう)
人の少ない通りをぶらぶらと歩いているうちに、そう思い立つ。家を出てから覚えた酒の味を堪能しようと、エラティは町にひとつだけある酒場に足を向けた。
たとえどんなに質素な装いをして、女剣士として隙のない身のこなしをしていたとしても、若い女性が酒場を訪れたら絡んでくる客も多い。さらに美しい金色の髪と深い藍色の目をしているエラティは、すらりとした身長も相まってかなり人目を惹く。
ここが人の多い都会だったとしたら、彼女もわざわざ騒動に巻き込まれに行こうとは思わない。けれどこんな山間の酒場ならば、気のいい連中が多いことも知っている。だから気負いすることなく、酒場の扉を開けた。
古い木造の扉が、軋んだ音をたてる。
客が十人もいれば満席になってしまうような狭い店内には、老齢の店主と、その孫娘と思われる若い女性が接客をしていた。まだ昼過ぎということもあって、客も現役を引退してのんびり余生を過ごしているような者ばかりだった。
「いらっしゃい」
寂れた町の酒場に入ってきた若い女性に少し驚いたような顔をしたものの、店主は余計な言葉は口にせずに席を勧めてくれた。孫娘らしい若い女性にお気に入りの酒を頼み、何気なく周囲を見渡す。
窓辺に置かれた観葉植物。
すべての机に敷かれた手作りのテーブルクロス。酒場というよりも、食堂のような雰囲気だ。年季の入った店内は降り続ける雨に浸食されて、少し湿っぽい。
「お待たせしましたー」
接客をしていた女性が、明るい笑顔で注文した酒を運んでくれる。
「こんな寂れた町に、女の人が来るなんて珍しいね。ひとり?」
「ううん、相棒とふたり。仕事で来たの」
人懐っこい笑顔に釣られてそう告げると、周囲にいた客が反応する。
「もしかして、魔物退治かい?」
「そう。ちょうど終わったところよ」
「え、あの魔物を退治してくれたの? すごい!」
魔物が退治されたと知ると、客も給仕の女性も大喜びだった。
祝杯だ、と注文していないのに次々と酒を注がれ、息子を魔物に殺されたという老人は、何度も頭を下げて礼を言う。
こうして感謝してもらえるのは、とてもしあわせな気持ちにさせてくれる。エラティーナはついつい飲み過ぎてしまい、数時間後には完全に酔っ払ってしまっていた。
山の夜は早い。
家で待っている人がいる客達は、夜になる前に引き上げていく。
ようやくエラティーナも解放されて、宿に戻ることにした。もうすっかり周囲は暗闇に満ちている。人気の少なくなった道をふらふらと歩いていく。
「んー……。部屋、こっちだっけ?」
いつもならば、ここまで無茶な飲み方はしない。あんなにも喜んでいる人達のすすめを断り切れなくて、ついつい飲んでしまったのだ。何度も転びそうになりながら部屋の扉を開き、そのまま寝台に転がる。
「……って。おい、エラティ?」
けれどもそこは、ナラールが眠っていたほうの寝台だった。
突然のしかかられたナラールは驚いて飛び起き、力なく横たわるエラティーナを見て顔をしかめる。
「お前のはそっちだ。……聞いているのか?」
「どっちでもいいじゃないか」
転がったまま、エラティーナは起き上がった相棒を上目遣いで見つめる。
いつからか、部屋も同室となった。
節約が、その理由である。
報酬額が安くても、被害が出ている魔物退治は優先して引き受ける。だから、冒険者になってから二年が経過した今になっても、なかなか生活が安定しない。
だから節約のために遠征した際は、部屋をひとつだけ借りるようになった。
最初はエラティーナも緊張した。
何せ、元伯爵令嬢である。
男性と接したことなど、ほとんどない。
けれどナラールはまったく気にせず、宿にいる間は、ほとんど寝てばかり。
そのうちエラティーナも、起こしに行くのが楽だと、気楽に考えるようになっていた。
それでも男と女が組んでいるのだから、大抵の人には恋人同士だと思われる。
酒場でも店主の孫娘にそう尋ねられ、いつものように否定した。
けれど恋人でも血縁でもない男性と同じ宿に泊まっていることを、彼女はとても驚いた様子だった。
「本当は好きなんだよ。そうじゃなかったら、男の人と同室なんて無理だもの」
「……そう言われても、わからない。恋なんてしたことないもの」
酒のせいか、普段なら絶対に口にしないことまで話してしまった。
「他の女の人に取られて、嫌かどうか。わたしはいつもそう判断しているよ。もしあなたの相棒が、他の女性と組んだらどう思う?」
結局、その問いに答えることができずに、エラティはそのまま宿に帰ってきていた。それでもしばらく、彼女の問いは胸から離れなかった。
(私は、どう思うのかな……)
目の前にいるナラールをじっと見つめる。瞬きもせずに自分を見つめるエラティに、彼は少し居心地が悪そうに視線を反らした。
「相当酔っているみたいだな。飲むなとは言わないが、自分で管理できる量にしておけ」
「うん、わかっている。でも今日は祝杯だったから」
「祝杯?」
「魔物が退治されたことを、みんなとても喜んでくれた」
「そうか。よかったな。喜んで貰えて」
「……うん」
彼の口元にわずかに笑みが浮かんだのを見て、エラティーナも微笑む。
ナラールはもともと、他人にあまり興味のない人間だったが、魔物退治は別だった。
被害が出ていると聞けば、どんなに少ない報酬でも請け負ってしまう。
以前にも彼には相棒がいたらしいが、そんな彼についていけないと、パーティを解消してしまったらしい。
でもエラティーナの目的も、困っている人を助けるためである。
だから、相性はとても良いのではないかと思っている。
「やっぱり、わたしは……嫌かもしれない」
「エラティ?」
あきれたような様子で振り返ったナラールは、エラティがすでに寝入っているのを見て、優しい笑みを浮かべる。
きっとエラティ本人が見たら、驚いて言葉もでなかっただろう。
それくらい、穏やかな優しい微笑みだった。
「まったく。無防備すぎるんだよ、お前は」
寝乱れた姿が見えないように、毛布でくるんでやりながらナラールは溜息をついた。
眠る彼女の髪をそっと撫で、小さく呟く。
「まだ早い。……もう少し、時間が必要だな」
誰にも聞かれることのなかったその言葉は、少し切なげな色を宿していた。