4話
家から追い出したいのであれば、エラティーナが騎士になることを認めるだけでよかった。
正式に騎士になれば、王城の敷地内にある騎士専用の寮に住むことになる。騎士の多忙さを考えると、屋敷に帰宅することなどほとんどないだろう。
だが女性が騎士になることは珍しくなくとも、ほとんどは男爵、子爵家の令嬢である。
だから伯爵家のエラティーナが騎士になることを、父は不快に思ったのだろう。
それに、高位貴族の令嬢の中には、女性騎士をはしたないと嫌う者もいる。きっと母も、その部類だと思われる。
(今さらだわ。私が剣を手にしたのは、もう十年も前のことなのに)
そう思うが、おそらく父も母も、エラティーナが十年間、騎士になるために修行をしていたことを、まったく知らない。興味もなかったのだろう。
執事が立ち去り、ひとり残されたエラティーナは、やがてゆっくりと立ち上がった。
家を出よう。
もう騎士になれないのであれば、未練は何もない。
(結婚は、貴族令嬢としての義務。でもこの結婚は、家の利益になるものではない)
形だけの妻の実家に、セルディが便宜を図ることもないだろう。
マローナ侯爵の後継者が、リーン伯爵家の血を継ぐこともない。
ただ、結婚しない娘がいては体裁が悪いというだけの理由で、嫁がされる。
そんな理由ならば、エラティーナが拒否しても構わないだろう。
そう決意して、エラティーナは部屋の中を見渡した。
王都の屋敷に自分の部屋はなく、ここは客間である。
持ち出すものは、ひとつもない。
伯父の形見の剣さえあれば、それでいい。
書き置きをしたとしても誰も読まないだろうから、何も残さなかった。
専属の侍女もいないので、屋敷を出るのも簡単だった。
こうしてエラティーナは、意に染まぬ結婚を強要して、体裁が悪いという理由だけで、十年来の夢を潰した両親から逃れるため、リーン伯爵家から出奔した。
家を出たエラティーナが向かったのは、冒険者ギルドである。
騎士になれないのならば、冒険者になるしかない。
伯父のような騎士になるという夢は叶えられなかったが、人々をこの手で守りたいと思ったエラティーナの願いは、冒険者でも叶えることができる。
長かった金色の髪を切り、名前もエラティと名乗ることにした。
美しく豪奢な髪は思いがけず高値で売れたので、家から何も持ち出さなかったエラティーナにとって、貴重な資金となった。
必ず人の助けになってみせると意気込んだが、最初は薬草採取などの、細々とした依頼しか受けられなかった。
相棒が見つからなかったからだ。
騎士と違い、冒険者はパーティを組むことが推奨されていた。
エラティーナが主に引き受けたいと思っている魔物退治などの依頼は、ひとりで果たすことが難しいものが多い。
だから組織で動く騎士とは違い、自分で仲間を探す必要があった。
剣士ならば、魔導師と組んだほうが、効率が良い。
魔導師の相棒を探すことにしたエラティーナは、ひとりでもできる依頼を受けながら、仲間を斡旋してくれる紹介所に頻繁に顔を出していた。
だが、希望通りの仲間を見つけることは、男でも難しい。
女であることがわかると、途端に嫌悪を示す者。逆に、下心丸出しで言い寄ってくる者ばかり。女性の魔導師もいるけれど、そういう人達はほとんど町中で店を構えていて、魔物退治に参加することは、ほとんどない。
もう諦めかけたとき、出会ったのがナラールだった。
冒険者ギルドで依頼の謁見をしているとき、ふらりと入ってきた魔導師がいた。
職員と話している会話を聞く限り、どうやら単独で依頼を受けている魔導師らしい。
(魔導師がひとりだなんて、珍しいな)
エラティはそう思った。
魔導師がひとりで旅をすることは、ほとんどない。
もし魔力切れになってしまえば、何もできなくなってしまうからだ。だから薬草採取の依頼であっても、仲間を連れて行くことが多い。
だがひとりで行動しているということは、相当腕に自信があるのだろう。
それでも最初は、彼に声を掛けようとは思わなかった。
剣士でも魔導師でも、自分の力に自信がある者ほど、傲慢な態度の者が多い。そんな者を目にすると、セルディを思い出してしまう。
もう相棒を見つけられなくてもいいから、ひとりで魔物退治の依頼を受けてしまおうか。
そう思った途端、冒険者ギルドの職員の声が聞こえてきた。
「無謀だよ。ひとりで魔物退治の依頼を受けるなんて」
そう言われて、どきっとする。
自分のことかと思ったが、振り返ってみれば、先ほどの魔導師を、ギルド職員が説得していた。
(彼も、ひとりで魔物退治を?)
興味を覚えたエラティーナは、じっくりと彼を見つめた。
夕焼けのような緋色の髪。
背が高く、瘦せ型で、顔立ちはかなり整っているように見えるのに、身なりはあまり気にしていないようで、着ているローブはかなり着古したものだ。
「この程度の魔物、ひとりで充分だ。このままでは被害が広がるだけだぞ」
その言葉を聞いて、エラティーナは彼に声を掛けた。
「私に手助けをさせてくれませんか?」