2話
エラティーナは七歳のときから十年間、騎士になりたいという夢を叶えるために、ひたすら努力してきた。
それを、こんな手紙ひとつですべて失ってしまうなんて、耐えられなかった。
(しかも、よりによって相手がセルディだなんて……)
母は親戚の集まりなどに顔を出す際、まだ幼いエラティーナを連れていくことがあった。
そこで、セルディと初めて会っている。
エラティーナが五歳。そしてセルディは七歳くらいだった。
おそらく母は、マローナ侯爵の嫡男であるセルディとエラティーナの婚約を狙っていたのだろう。
それがあまりにもあからさまだったのか、セルディはエラティーナにだけ、冷淡だった。
他の子には優しくするのに、エラティーナだけ無視をしたり、睨みつけたりする。
エラティーナはすっかり萎縮してしまい、何度母に促されても、彼の傍に寄ることができなかった。
思い返してみれば、あれから母がエラティーナを連れて歩かなくなった。エラティーナが七歳になると王都にある屋敷に移り住み、それ以来ほとんど会っていない。
望んでいたセルディとの婚約も叶わず、無価値な娘だと判断したのかもしれない。
今思い返してみれば、他の少女たちだって積極的にアプローチしていたのに、どうしてエラティーナにだけ、あんなに冷たかったのか。
母の思惑を嫌ったのではなく、エラティーナ自身を気に入らなかったのだろう。
それならそれで構わない。
十九歳になった彼は兄と同じ貴族学園に通っているらしいが、顔立ちの整っている彼は令嬢たちに人気で、複数の恋人がいるらしいと聞いている。
そんな不誠実な人は、エラティーナだって嫌いである。
それなのに、どうして彼と婚約することになってしまったのか。
(きっと令嬢たちと派手に遊びすぎて、婚約者が決まらなかったのね)
そこで母方の親戚であり、両親に放置されているため、十七歳になっても婚約者がいないエラティーナが選ばれたのだろう。
父も母も、エラティーナが何度手紙を送っても、一度も返事を寄越さなかった。
セルディの婚約者に選ばれて、ようやく娘の存在を思い出したのかもしれない。母にとっては念願のマローナ侯爵家との縁談である。
エラティーナの意思など確認しようとも思わず、本人が何も知らないまま、すでに婚約が成立してしまったのか。
「こんなの、絶対に嫌よ。何とかして、取り消してもらわないと」
もちろん、そのまま父の言葉を聞くつもりはない。
エラティーナは抗議の手紙を何度も送ったが、返事は一度もなかった。
「……お父様に会いに、王都に行くわ」
このまま待っていても、返事はない。
そう悟ったエラティーナは、急いで王都に向かった。
だが王都の屋敷に辿り着き、父に会いたいと訴えても、執事は面会予約のない方とは会わない、と冷たく言った。
(面会予約なんて……)
父に会うのに、予約が必要なのか。
せめて手紙を渡してほしいと執事に託したが、二、三日経過しても何の返答もなかった。
黙って待つのが苦痛で、何度か騎士団にも手紙を送ってみたが、やはりリーン伯爵家当主から出された辞退状なので、父でなければ取り消せないそうだ。
このままでは、ようやく掴んだ夢が、永遠に手の届かないものになってしまう。
同じ屋敷にいるはずなのに、母も兄も、一度もエラティーナに会いにこない。
もともと一緒に食事をする習慣もなく、いつもひとりだった。
どうすることもできず、ただ日にちだけが過ぎていく。
父と母がエラティーナに関心がないのがわかっているからか、侍女たちもそっけない。
十年間、領地の屋敷で暮らしていたので、エラティーナの顔を知らない者も多かった。
何度か父が帰宅した気配を察したので、何とかして会ってもらおうと執務室に向かったが、いつも執事に阻まれた。
来客があったとか、父は疲れていたのでもう休んだなどと言われては、彼を振り払ってまで行くことはできなかった。
そんな日々を過ごしていた、ある日。
部屋の扉がノックもなしにいきなり開かれ、驚いて振り返ると、そこには不機嫌そうな顔をしたセルディらしき青年がした。
何年も顔を見ていないので確証はなかったが、記憶の中にある姿と似ている。
薄茶色の髪に、緑色の瞳。随分と背が高く、たしかに顔立ちは整っていた。
だがいくら爵位が上で、不本意ながら婚約者という立場とはいえ、令嬢の私室にノックもなしに乱暴に押し入るなんて、あまりにも無作法ではないか。
驚いて目を見開いているエラティーナに、セルディは吐き捨てるように言う。
「勘違いするなよ」
何のことなのかわからず、困惑する。
するとさらに苛立った口調で、セルディは続けた。
「俺と結婚することができると喜んでいるかもしれないが、お前との婚約が爵位を継ぐ条件だったから、承知したに過ぎない。侯爵夫人として暮らせるなどと思うなよ。お前など、ただのお飾りだからな」
さらに、愛人として迎える予定の恋人が三人いること。実際に妻として振る舞うことが許されるのは、その三人であること。子どもも、その三人の誰かに産ませること。
そんなことを一方的に捲し立てる。
次々に衝撃的なことを言われ、唖然とするしかなかった。