18話
「戻ったら、ギルド側に抗議しないとな」
ナラールはそう言ったが、雨の日に大きな魔法を使い、さらに急な斜面を、エラティーナを腕に抱いて転がり落ちてきたので、かなり体力を消耗したようだ。
そのうち、父の派遣した兵たちも斜面を下りてくるだろう。
エラティーナはしばらく考えたあと、ナラールを連れて大木の影に身を隠す。
「ナラール、私が騎士団に駆け込んで迎えに来る」
追っ手も自分がすべて引き連れて、騎士団に駆け込むつもりだった。そうすれば警備兵たちは現行犯で捕まり、父も言い逃れはできないに違いない。
ここは国境付近で、しかも直轄の領地である。
そこに武装した兵士を派遣したのだ。
「ここで待っていてね」
「待っ……」
エラティーナはそう言うと、彼の返答も待たずに飛び出した。
わざと追っ手を惹き付けるように、目立つ道を選んで走る。
彼らの目的は、エラティーナを連れて帰ること。
自分を見逃してまで、ナラールを探したりしないだろう。
それでも、ひとりも残してはおけない。全員を引き連れなければ、残るナラールの身を危険に晒してしまうことになる。
(伯父様、私に力を貸して……)
形見の剣を握りしめて、ひたすら走る。
エラティーナの思惑通り、兵士たちはこちらを追ってくる。
国境までは、どれくらいなのか。
それまで体力が持つかどうか。
残してきたナラールは、無事なのか。
そんな考えがとりとめもなく浮かんでくるが、それらを振り払い、エラティーナは走り続ける。
せっかく駆け込んでも、騎士団が不在では無理はない。
走りながらも周囲の状況を探る。
すると、騎士団が常駐している場所から少し離れた場所に、複数の気配がする。
きっと交代途中の騎士団だ。
そう思ったエラティーナは、進路を予定よりも北に移し、ただひたすら走り続けた。
そして、まさに移動しようとしている騎士団の中に駆け込んだ。
「どうした?」
若い女剣士が、傷だらけの姿で必死に走る寄る姿に、騎士たちも異常事態だと察してくれたようだ。
「……追われて、いるんです」
ただひとことそう言うと、息が苦しくなって咳き込む。
ひとりの女騎士が駆け寄ってきて、エラティーナを介抱してくれた。
そんな女性騎士の凜々しい姿に、ほんの少しだけ、羨望を抱いた。
そんなエラティーナの視線には気付かず、水を飲ませてくれて、傷をひとつずつ丁寧に手当してくれる。
「何があったのか、話せる?」
「はい。実はギルドで魔物退治の依頼を受けて……」
それが偽依頼だったこと。
森に入った途端、武装した兵士に襲われたことを説明した。
やはり騎士たちは、その武装した兵士のことが気になる様子で、何度も聞かれてその経緯を丁寧に説明した。
「その兵士たちは、こちらで何とかするから、もう大丈夫。あなたの相方も、無事に保護するからね」
優しくそう言われ、少し休んだほうがいいと促される。
でもナラールの無事を確認するまでは、休むことなどできなかった。
さすがに騎士たちは強く、エラティーナを追ってきた兵士たちはあっけなく捕縛され、ナラールも無事だったようだ。
彼もまた、騎士に手当をしてもらったらしく、包帯だらけになっていた。
「ナラール!」
「エラティ、無茶をしたな」
軽く叱られたが、あれが正解だったのだと、エラティーナは理解していた。
あのままふたりで逃げていたら、兵士たちに追いつかれたかもしれない。そうなってしまったら、無理やりに父のもとに連れて行かれただろう。
しかも彼らは、父の命令でナラールを始末しようとしていた。
もし雨が降っていなかったら、何人だろうとナラールの敵ではなかったかもしれない。
けれど、運悪くかなりの雨が降っていた。
あのままでは、ナラールが危険だった。
だからいくらナラールに叱られても、エラティはあれで良かったのだと、主張を変えなかった。
「……仕方がないな」
最後にはナラールの方が折れて、エラティーナを抱き寄せる。
「無事で、よかった」
「うん、ナラールも」
後ほど、ギルドからも謝罪があると聞かされていたが、とにかく今は休みたかった。
騎士団の常駐場の天幕で休ませてもらっていると、不意に入り口が騒がしくなった。
焦って走り回る騎士たちの様子に、何があったのかと身構える。
「ナラール、エラティ、無事か?」
けれどそう言いながら天幕の中に駆け込んできたのは、ふたりが結婚したときに証人になってくれた、ナラールの兄クラウスだった。
「え? お義兄様?」
驚いて声を上げると、彼は駆け寄ってきて、ふたりを同時に抱きしめる。
「無事で良かった。騎士から報告を受けて、思わず飛び出してきてしまった」
強く抱きしめられて、少しだけ苦しかったけれど、クラウスは心底安堵した様子である。
ナラールのことはもちろん、自分のこともこんなに心配してくれるなんて、と感激したエラティーナだったが、駆け込んできた騎士の言葉に思わず硬直した。
「陛下、ひとりで動かれては危険ですので!」
「……へいか?」
理解が追いつかなくて、首を傾げる。
クラウスは、騎士から報告を受けてすぐに駆け付けたと言っていた。
でもエラティーナたちがリーン伯爵家の兵に襲われたのは、つい先ほどのこと。
もちろん魔法で伝令を受けて、ここまで魔法で移動してきたのだろう。
だが騎士たちが、直轄領近くで武装した兵士がいたことを報告したのは、おそらく王家である。
そしてナラールの異母兄のクラウスを、騎士たちは陛下と呼んでいた。
「……まさか」
クラウスは、ロスリード王国の国王陛下なのか。
エラティーナは伯爵家の令嬢だった。
それが自国の王の顔も知らないなんて、本来ならばあり得ないことだ。
けれどまだ幼い頃から領地で放っておかれたエラティーナは、王城に行ったこともない。
騎士の試験を受けたときに、試験を見学する国王陛下を、遠目で見たことがあるくらいだ。
それも緊張していたので、ほとんど覚えていない。
それなのにまさか、こうして自分を抱きしめているのが、その国王陛下だなんて。
「……ナラール」
理解が追いつかなくて、助けを求めるように名前を呼ぶ。
するとナラールは、兄の肩を軽く叩いてその拘束を解くと、エラティーナに向き直った。
「俺は父に認知されていないから、王家とは関係ない」
ナラールの父は、彼の顔どころか、名前も知らなかったと言われたことを思い出す。
一夜限りの関係で、その後は何の関わりもなかったのだろう。
「それでも私の異母弟であることは変わらない」
クラウスはそう言って、エラティーナを見た。
「君も、私の義妹だ。そんなふたりを襲撃した相手を、許すことはできない。心当たりはあるか?」
「……はい」
エラティーナは頷いた。
「私の父、もしくは兄かと思います」




