17話
目的地の村は、ノアの町から少し離れた場所にある。
雨が降る中、ふたりはその村に急いだ。
かなり高い山の麓にあるらしく、乗合馬車も途中までしか行かず、馬でも難しいようなので、徒歩で行かなくてはならない。
今も村が襲われているかと思うと焦ってしまうが、こんなときこそ、慌てずに堅実に進むべきだと、自分に言い聞かせる。
村までは、踏み固められた簡素な道があり、それを辿っていく。
周囲は深い森に覆われていて、雨が降っていることもあり、視界はとても悪かった。
道は狭く、左右は切り立った崖になっているので、気を付けなければならない。
エラティーナは黙々と、ぬかるんだ山道を歩いていたが、ナラールはときどき足を止めて、訝しむように山を見つめていた。
「ナラール、どうしたの?」
彼がこんなことをするのは、珍しい。
「いや、魔物がいる気配がまったくしない。いつもなら、ここまで来ればわかるはずだ。それに魔物は獣型と聞いていたのに、咆哮も聞こえてこない」
それを聞いて、エラティーナも足を止めた。
嫌な予感が脳裏を横切る。
「まさか、村はもう壊滅してしまった?」
緊急依頼とはいえ、村が襲われてからギルドに依頼を出すために、それなりに時間は掛かっただろう。
その間に、村は魔物によって滅ぼされてしまったのではないか。
そう思ったけれど、ナラールは首を横に振る。
「いや。血の匂いもしない。むしろ感じるのは……」
「え?」
雨はますます激しくなって、すぐ近くにいるはずのナラールの声も聞こえない。
先を歩いていたエラティーナは、それを聞き返そうとして、振り返る。
その途端、森の影から複数の人間が飛び出してきた。
どうやら木の陰や上に潜んでいたらしい。
「!」
こんなに接近されるまで気が付かなかったのは、降り続ける雨の音と、慣れない山道で足を滑らせないように、集中していたからだろう。
エラティーナは驚き、咄嗟に剣を引き抜く。
襲ってきたのは、魔物ではなく人間だ。しかも、夜盗の類いではない。
急いでナラールのところに駆け付けようとしたが、すでにエラティーナの周囲は複数の人間に囲まれている。
見てみれば、ナラールも同じような状況だった。
「ナラール!」
広範囲の魔法攻撃を得意とする彼は、接近戦は苦手だ。
しかも人間相手で、この雨である。
はやくナラールと合流しなくてはと、焦りながら周囲を囲む男たちと、剣を交える。
(……っ)
打ち合った途端、力で負けそうになり、慌てて剣を持つ手に力を込める。
騎士ではないが、それなりに鍛錬を積んだ男たちのようだ。
「速やかにエラティーナ様を確保しろ。魔導師は、始末しても構わないと言われている」
リーダーらしき男がそう言い、エラティーナは、彼らがリーン伯爵家に仕える兵士だと気が付いた。
(まさか、お父様とお兄様がこんなことを……)
ここで依頼を受けてしまったナラールたちが駆け付けなかったら、魔物に襲われている村はどうなるのか。
咄嗟にそう考えたが、ナラールが魔物の気配を感じなかったことを考えると、この依頼自体が、偽物だったのかもしれない。
ナラールと無事に結婚することができて、幸せな新婚生活を過ごしていた。
だから、父も兄も、そのうち諦めてくれるだろう。
そんなふうに、楽観的に考えてしまっていたのかもしれない。
結果として偽依頼に騙されて、ただでさえ体調の優れない雨の日に、ナラールを危険に晒してしまった。
そう思うと罪悪感で胸がいっぱいになり、早く何とかしなくてはと、焦った。
「あっ」
力が入りすぎたところを受け流されて、剣を手放してしまう。
慌てて拾おうとしたところで、腕を掴まれる。
「離して!」
少しは強くなったつもりでいたのに、奇襲を受けるとこんなにも取り乱すのか。
力を込めて振り払おうとしても、男の力は強く、拘束から逃れることはできない。
「さあ、リーン伯爵家に戻りましょう。当主様がお待ちです」
「……エラティに触れるな」
嫌だ、と言おうとしたそのとき、ナラールの声が聞こえた。
それと同時に、エラティーナの周囲を炎が取り囲む。
「!」
あまりにも激しい炎に、自分も燃やされてしまうのではないかと焦ったけれど、ナラールの魔法がエラティーナを傷付けることはなかった。
「うわああっ」
けれどエラティーナの腕を掴んでいた男は、大声で叫ぶと、腕を押さえてその場に蹲っている。
肉の焼ける嫌な匂いがした。
炎は、男には容赦なく襲いかかったようだ。
ナラールを取り押さえていた男たちも、その光景に恐れをなして、ゆっくりと下がっていく。
その隙にエラティーナは剣を拾い、慌ててナラールに駆け寄った。
「ナラール、大丈夫?」
「エラティこそ、怪我はないか?」
かえって気遣われて、エラティーナは頷く。
「ごめんなさい。私が偽依頼に騙されてしまって」
「いや、俺もこの雨で気が付くのが遅れた。ここは一時撤退して……」
ナラールがそう言った途端、ふたりの周囲を守るように取り囲んでいた炎が、少し弱くなる。
「ああ、この雨では長く持たないか。エラティ、走れるか?」
「もちろん。でも、どっちに?」
「左の斜面を滑り下りて、国境に逃げ込む。交代を終えた騎士団が戻っていれば、そこで保護してもらえるだろう」
自分の領地以外に武装した兵を派遣したと知られたら、罰せられるのは父のほうだ。
「わかった。行くよ」
炎が弱くなったことを悟ったのか、リーン伯爵家の兵士たちは、またこちらを取り囲もうとしている。
エラティーナはその隙を付いて、剣をしっかりと握り直し、ナラールの手を取って左の斜面に飛び込んだ。
「……っ」
思っていたよりもずっと険しい斜面を、エラティーナとナラールは転げるようにして滑っていく。たまに大きな木にぶつかりそうになるが、ナラールが魔法で上手くそらしてくれた。
それでも幾度かは木の枝に当たり、チクッとした小さな痛みが走る。
「エラティ、掴まれ」
そう言われて手を伸ばすと、ナラールはエラティーナを抱きしめたまま、ふわりと宙に浮いた。断崖絶壁を飛び越えて、地面に転がる。
衝撃に備えて体を硬くしたが、想像していたような痛みはなかった。
ナラールがしっかりと抱きしめて、守ってくれたようだ。
「エラティ、無事か?」
「うん。ごめんなさい、ナラール」
エラティは僅かな掠り傷だけだったが、ナラールのほうはあちこちに傷や打ち身の跡があり、痛々しい姿になっている。
それを見て思わず涙ぐみそうになりながら、ナラールの手を両手で握る。
「私のせいで……」
「いや、エラティは悪くない。今回の件は、ギルド側に問題がありそうだ」
魔物退治は、危険な仕事になる。
情報が間違っていれば命にも関わるのだから、ギルド側が偽情報に騙されるなんて、あってはならないことだ。




