14話
夜更けにノアの町に到着し、さっそく宿を取る。
宿は、ナラールが手配してくれた。
それが思っていたよりも高級な宿で驚いたが、人が多い分、あまり治安も良くないらしい。
料金は少し高いが、きちんと警備がいる宿にしてくれたようだ。
「ナラール。もう休む?」
昨日と同じように、すぐに休むのかと思い、尋ねた。けれどナラールは、外出の準備をしている。
「これから出かけるの?」
もう夜も遅い時間である。
この町はナラールの出身地だと聞いていたが、治安があまり良くないと聞けば、やはり心配になってしまう。
「ああ。少し用事がある」
「……用事って?」
何気なく尋ねると、彼は少し言いにくそうに言葉を濁した。
「うん。いずれ、ちゃんと話そうと思うが、俺にも少し、厄介な身内がいてね。結婚するなら、その人に報告しなければならない」
「そう、なのね」
ナラールにも家族がいて、結婚するということは、エラティーナにとっても身内になる相手だ。それなのに、そのことをまったく気にしていなかったことに気が付いて、エラティーナは慌てた。
「もしかして反対される、とか?」
「いや、それはない」
ナラールはきっぱりとそう言い、エラティーナの頬を撫でる。
今までは相棒だったから、こんなふうに触れ合うことなんて、なかった。でもふたりの関係が変わってから、ナラールはよくこうしてエラティーナに触れる。
そっと優しく触れる指。
その心地よさに、思わず目を細めてしまう。
「むしろ結婚の証人になってくれると思う。あの人が証人になってくれるなら、結婚を無効にされてしまうこともないだろう」
「誰なの?」
あの人、という距離を置いた呼び方が気になって、つい口にしていた。
「……」
ナラールは言葉を探すように、視線を彷徨わせる。
彼がこんな態度をすることは、本当に珍しい。
「ごめんなさい」
咄嗟に謝罪したが、ナラールは笑って首を横に振る。
「エラティが謝る必要はないよ。ちょっと複雑な関係で、どう言えばいいのか迷っただけだ。あの人は、関係で言えば、俺の異母兄だ」
「あに……」
ナラールには、母親違いの兄がいたようだ。
「俺の父親らしい人は、去年亡くなったが、一度も対面したことがなかった。きっと俺の顔どころか、名前も知らなかったと思う」
「そんな……」
さすがにエラティーナの両親でも、娘の名くらいは覚えている。
ナラールの家庭事情を初めて知って、エラティーナはどう答えたらいいのかわからなかった。
「母も、俺が生まれてすぐに亡くなっている。ずっと俺の面倒を見てくれたのは、その異母兄だった」
「そうだったの」
これから会いに行く相手が、ナラールの味方だったことを知り、エラティーナはほっとした。
両親も亡くなり、その異母兄しかいないのであれば、結婚の報告をするのは当然かもしれない。
「だったら私も、挨拶に行くべきでは?」
「いや、今日はもう遅いし、事情をまったく説明していなかったから、少し話が長くなるかもしれない。結婚の手続きのときに顔を合わせるだろうから、そのときで構わないよ」
「うん、わかった」
ひさしぶりに異母兄と再会するのであれば、積もる話もあるだろう。
そう思ったエラティーナは、素直に頷いた。
ナラールの異母兄は結婚の証人になってくれるらしいので、そのときにしっかりと挨拶すればいい。
「遅くなるかもしれないから、先に寝ていてくれ。戸締まりはしっかりとすること」
「わかっているわ」
警備がきちんとしている宿で、しかもエラティーナは女剣士だ。
それなのに、まるで子どもに言い聞かせるようにそう言うナラールに、エラティーナも思わず笑ってしまう。
「私は大丈夫だから。ナラールこそ、気を付けて」
そう言って送り出す。
ひとりになったエラティーナは、夕食も部屋まで運んでもらい、ゆっくりと食べた。
そのあとは椅子に座ったまま、ぼんやりととりとめのないことを考えていた。
町のざわめきが、微かに聞こえてくる。
(ナラールのお異母兄様って、どんな人なのかな?)
ずっと面倒を見てくれたと言っていたので、仲が悪いわけではないのだろう。
けれど、『あの人』という呼び方には、少し距離を感じた。
(もしかして、貴族……とか?)
息子の顔も名前を知らないなんて、普通では考えられないが、もしナラールの父が貴族で、母が平民だったとしたら、あり得る話だ。
そうだとしたら、ナラールの異母兄は貴族であり、父が亡くなったと言っている今となっては、当主である可能性が高い。
その異母兄の存在が、エラティーナの父や兄の悪意からナラールを守ってくれるかもしれない。
そう思うと、少し気持ちが楽になる。
明日になれば、その異母兄が証人となってくれて、ナラールと正式に結婚できる。
(きっと忙しいだろうから、今日はもう寝てしまおう)
そう思ってベッドに入ったのに、気持ちが昂ぶってしまって、なかなか眠れない。
ナラールは何度も寝返りを打ちながら、色々なことを考えていた。




