13話
王都を出た馬車は一日中走り続け、日が暮れる頃に小さな町に立ち寄った。
今日はここで一泊し、明日になったら、目的地であるノアの町に到着する予定である。
いつものように部屋をひとつだけ借りて、ふたりはすぐに休むことにした。
さすがに色々とあって疲れていたので、エラティーナも余計なことは考えず、ぐっすりと眠ってしまった。
そして、翌朝。
エラティーナはすっきりと目覚めたが、ナラールはさすがに疲れたらしく、朝食の時間になってもまだ起きない。
彼の寝起きが悪いのはいつものことなので、エラティーナは遠慮せず、ゆっくりと朝食を堪能した。
向こうでは出してくれなかったので、ひさしぶりの食事だ。
こうしていつもの日常を取り戻せたことを、嬉しく思う。
昨日はつい、勢いでプロポーズをしてしまったが、ナラールはそれを承知してくれた。
もし承知してくれたとしても、偽装結婚になるかもしれないと覚悟していたのに、彼はエラティーナのことを好きだと言ってくれたのだ。
(ナラールが、私のことを……)
それを思い出すと嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。
もちろん、浮かれている場合ではないことは、理解している。
父と兄がこのまま諦めてくれるとは思えない。きっとエラティーナを探すだろう。
ここでまた破談ということになれば、マローナ侯爵家にどんな要求をされるかわからない。
(それにしても、私が戻る前に、結婚を決めてしまうなんて)
また契約違反になってしまうかもしれないと、少しでも考えなかったのか。
一度家を出たことで、エラティーナが自分たちの思うように動くわけではないと、理解しなかったのか。
領地の運営を人任せにしていることといい、父も兄も、あまり優秀な人間ではなさそうだ。
だからこそ他の方法を思いつかなくて、エラティーナの捜索には力を注ぐかもしれない。
油断してはいけない。
(でも……)
エラティーナの傍で、ぐっすりと眠っているナラールを見て、頬を緩める。
今だけは、この幸せを噛みしめていたかった。
昼過ぎになって、ようやくナラールが起きてきた。
彼の寝起き姿なんて、この二年間で何度も見てきたというのに、何故か急に恥ずかしくなって、目を合わせられない。
「エラティ、どうした?」
寝乱れた髪をかき上げて、まだ少し眠そうにエラティーナの傍に座ったナラールは、そんな様子に気が付いて、声を掛けてきた。
「何でも……ない」
「そうは見えないが。具合が悪いのか?」
そっと頬に触れられて、慌てて飛び退く。
「エラティ?」
「違うの。嫌だとか、そういうことじゃなくて」
驚いた顔のナラールに、必死に言い訳をする。
「意識したら、急に恥ずかしくなって……」
「ああ、そういうことか」
ナラールは納得したように頷き、少し離れた場所に座った。
「ここなら大丈夫か?」
「うん」
急に変な態度をしたのに、怒ることも訝しむこともなく、適度な距離を保ってくれたことに、安堵する。
(今までは相棒で、私は剣士だったから……)
急に普通の女性のような態度をしてしまって、からかわれるか、嫌がられるかと思っていたのに、それもなかった。
だからか、エラティーナの気持ちもすぐに落ち着いた。
「ごめん、ナラール。もう大丈夫」
二年も一緒にいたのに、と呟くと、彼は明るく笑う。
「関係が変わったから、仕方がない。少しずつ慣れてくれればいい」
「……うん」
たしかに彼も、相棒だったときよりも優しい気がする。
(ううん、ナラールはずっと優しかった……)
出会ってからの思い出が、エラティーナの心の中に蘇る。
初対面でいきなり同行させてほしいと言ったのに、彼は受け入れてくれた。
宿代にもならないような金額で、危険な依頼を受けてしまったときも、何も言わずに同行してくれた。
ある町が魔物に襲撃されたと緊急の連絡が入ったときも、大雨だったにも関わらず、一緒に魔物討伐に出てくれた。
数えてみれば、きりがないくらいだ。
そんなナラールと、これからも一緒にいられる。そう思うと、兄と父から受けた仕打ちも、自分に娘はいないと言った母の言葉も、忘れられる気がする。
もう過去は、振り返らない。
ナラールとふたりで生きていく、未来だけを見つめていこうと決めた。
それからふたりで昼食を食べて、すぐに目的地に向けて出発する。
想定よりも少し遅くなってしまったけれど、日付が変わる前には、ノアの町に到着する予定だ。
ノアの町に到着したら、すぐに結婚の手続きをしなくてはならない。
(そういえば私、ナラールのことは何も知らないわ)
出身地も、今日初めて聞いたくらいだ。
それでも何の不安も感じないのは、この二年間で、彼という人間を理解していたからだ。
これからずっと一緒にいるのだから、これから少しずつ知っていけばいい。
「さすがに、新しいドレスを準備する時間はないか」
ナラールは残念そうだったが、エラティーナとしては、結婚式をするつもりはなかった。
「少しでも早く正式に結婚したいから、式はいいかな」
「だが……」
ナラールが結婚式に拘るとは思わなかったので、少し意外だった。
「私は剣士だもの。今さらドレスなんて……」
それに二年ぶりのドレスは窮屈で、苦しいだけだった。
「あまり形に囚われるな。何を着ても、エラティの本質は変わらない。それに、ドレス姿を初めて見たが、とても綺麗だった」
「あ、ありがとう」
思いがけない言葉に、エラティーナはまた、頬を染める。
彼が綺麗だと思ってくれるのなら、ドレスも悪くないと思ってしまう自分は、きっと単純なのだろう。
そんな話をしながらも、警戒も怠らない。
きっと父と兄は、エラティーナが逃亡したことに気が付き、すぐに捜索を開始しているはずだ。
「まぁ、たしかに結婚の手続きは少しでも早いほうがいい。式については、後々考えよう」
「そうね」
今は手続きが最優先である。
父や兄に見つかってしまう前に、この結婚を事実にしなくてはならない。