12話
「ナラールにそう言ってもらえて、本当に嬉しい」
「家に戻ることにしたのか?」
「ううん、絶対にそんなことはないよ」
「なら、どうしてここに?」
屋敷に戻った理由を尋ねられ、エラティーナは俯いた。
「それは……」
どこまで話してもよいものか。
時間も限られているだろう。
そう思って戸惑っていると、ナラールが安心させるように言う。
「大丈夫だ。しばらくは、誰もこの部屋を訪れない」
どうやら魔法で何とかしてくれたようだ。
ならば、きちんと説明しよう。そう思い、エラティーナは、彼と出会うまでの経緯をすべて語ることにした。
「そういった事情で、冒険者になったの。でもあの日、冒険者ギルドに兄が、私を探していると聞いて。みんなに迷惑をかける前に、会いに行こうと思っていたら、兄が宿の前で待ち構えていたの。母が危篤だと言われて……」
だが実際は、二年経っても婚約者が決まらなかったセルディと結婚させるために呼び寄せられていた。
母はエラティーナに会いたいどころか、娘の存在は最初からいないと思っているらしい。
「それは、災難だったな」
そんな嘘に騙されるなんて、と言われることも想像していたが、ナラールはそう言って労ってくれた。
「それで、これからどうする?」
ナラールにそう尋ねられ、エラティーナはしばらく考え込んだ。
これからも自由に生きるためには、もうリーン伯爵家とも、マローナ侯爵家とも決別しなければならない。
それには、自分がもう貴族令嬢としての価値がないと示すのが一番だ。
父と兄には、もう結婚したと告げているから、それを事実にするだけ。
「ナラール。私と結婚してほしい」
そう言うと、彼は溜息をついて頷いた。
「そうだな。それしかないか」
「……っ」
不服そうな様子に、胸が痛む。
勝手にナラールの名前を出して、結婚していると言ってしまったことを後悔する。
彼にしてみれば、知らないうちに揉め事に巻き込まれ、しかもリーン伯爵家に目を付けられてしまったのだから、災難続きだ。
「本当にごめんなさい。状況が落ち着いたら、すぐに離婚してくれて構わない。慰謝料も、きちんと払うから」
「あ、いや違う」
エラティーナがそう言うと、ナラールは慌てた様子で首を横に振る。
「すまない。今のは俺が悪かった。エラティとの結婚が不満だというわけではない。むしろ嬉しい」
「え、でも……」
嬉しいと言う言葉に、少し気持ちが浮上する。
思っていたよりも、嫌われているわけではなかったようだ。
では、なぜ乗り気ではなさそうに見えたのか。
それを尋ねてみようとしたが、それよりも先に、ナラールはこう言った。
「いずれ俺のほうから、ちゃんと手順を踏んで申し込むつもりだった」
完全に予想外の言葉に、エラティーナは唖然とした様子でナラールを見つめる。
「申し込むって、結婚のこと?」
信じられない思いで問い返すと、ナラールは頷いた。
「ああ。そうするつもりだった」
「どうして……。え、私に?」
信じられなくて、何度も聞いてしまう。
ナラールが自分に結婚を申し込もうと考えていたのだと思うと、何だか恥ずかしくて、それでも嬉しくて、どんな顔をしたらいいのかわからずに、ただ狼狽えるだけだ。
そんなエラティーナを見て、ナラールは楽しそうに笑う。
「いつも凛々しいエラティばかり見てきたから、そんな姿は新鮮だな」
「か、からかわないで」
ますます頬が熱くなり、恥ずかしくなって俯いた。
きっと真っ赤になっているに違いない。
「からかってなどいない。可愛いと思っただけだ」
もう言葉を返せなくなり、逃げようとしたけれど、ナラールはエラティーナの手を握り、自分のほうに引き寄せた。
「あの美しい剣技を、気高い心を、ずっと間近で見てきたんだ。惚れるに決まっている」
「ナラール……」
幸福感が、胸を満たしていく。
伯父が亡くなってしまってから、家ではずっと孤独だった。
家族は誰ひとり、エラティーナのことを気に掛けない。
嫌われているのであれば、まだ割り切ることができたかもしれない。
けれど、いくら書いても返事のない手紙。
顔を合わせることすら、困難な家族。
父も母も兄も、誰も自分に興味がないのだと理解してはいても。
家族なのだから、いつかはわかってもらえるかもしれないと、そんな期待を抱いてしまう。
でもナラールは、エラティーナのことを好きだと言ってくれた。
好意を持っていた相手が、同じ気持ちでいてくれた。
それが、何よりも嬉しい。
「さあ、こんなところはさっさと出よう。急いで準備をしないと」
「準備って、何の?」
エラティーナは首を傾げる。
「もちろん、俺たちの結婚だ。早いほうがいいだろう?」
ナラールはそう言うと、そのままエラティーナを連れて二階の窓から飛び降りる。さすがに驚いたが、魔法を使ったのか、ふわりと着地した。
けれど目の前に警備兵の姿があり、慌ててナラールを庇って前に立つ。
「早く逃げて!」
「大丈夫。俺たちのことは、誰にも見えない」
焦るエラティーナにそう言うと、ナラールはその手を引いて歩き出した。
「見えない?」
「そう。幻覚みたいなものだ。でも魔力に敏感な物は気付くかもしれない。魔導師もいるようだから、急ごう」
「わかった」
エラティーナは頷いた。
「こっちのほうが近道だから」
そう言って先行し、ナラールと一緒に屋敷から脱出する。
「いつでも王都を出られるように、馬車を用意しておいた」
彼は何もかも用意してから、エラティーナを迎えに来てくれたようだ。
「どこに向かうの?」
「国境に近いノアの町だ」
ノアの町は、隣国との交流の中心地となっていて、王都に劣らず栄えている町だ。
たしかにあれだけ人口の多い町ならば、簡単には見つからないかもしれない。
それに、結婚の手続きをするには、夫婦になるどちらかの出身地で手続きをする必要がある。
リーン伯爵家の領地で手続きをすることができないので、ナラールの出身地に行かなくてはならない。
そして彼は、ノアの町の出身らしい。
路地裏に、小さな荷馬車が止めてある。ナラールに促されてそれに乗り込むと、宿に置いてきたエラティーナの荷物もあった。
「伯父様の剣!」
その中に、形見の剣を見つけて、エラティーナはそれを抱きしめる。
「ありがとう、ナラール」
「エラティが持つ剣にしては無骨だと思っていたが、なるほど。そういうことか」
ナラールは納得したように頷くと、御者台に乗った。
「急ぐぞ。揺れるかもしれないから、掴まっておけ」
「うん、わかった」




