11話
眩しい光を感じて、エラティは目を覚ました。
開いたままのカーテンからは、昇ったばかりの太陽の光が入り込んでくる。
朝がきていた。
(ああ、ドレスのまま眠ってしまった……)
二年前までは、毎日着ていたはずのドレスが煩わしい。
着替えはないかと探してみても、残念ながらこの部屋には何もない。
扉を叩いてみても、何の返答もない。
エラティーナは溜息をついて、ベッドに腰を下ろした。
(ナラール。ごめんね。こんなことに巻き込んでしまって)
ただ結婚していると言うだけでよかったのに、どうして彼の名前を出してしまったのだろう。
兄に、セルディと結婚しろと言われて、エラティーナは心の底から嫌だと思った。
恋人が三人もいて、ただマローナ侯爵家を継ぐためだけに、エラティーナと結婚しようとするような男だ。
それだけでも軽蔑するが、さらにエラティーナがそんな結婚を望んでいて、セルディに愛されたいと願っていると勘違いしていたのだ。
そんなことは、絶対にあり得ない。
(結婚するなら、ナラールがいい。私は、そう思っていたのかもしれない……)
優れた魔導師なのにまったく驕らず、誰かを助けるためなら、その力を使うことを躊躇わない。
世間知らずのエラティーナは、依頼相手に騙されて報酬を貰えなかったこともある。
でもナラールは、一度もエラティーナを責めなかった。
悪意で相手を騙すほうが悪いと、そう言ってくれたのだ。
炎の魔法を使う彼は、雨の日はあまり強い魔法が使えず、体調も優れなくなるので、エラティーナと会う前は、誰にも会わずに引きこもっていたようだ。
でも今は、雨の日でもエラティーナの傍にいる。
自分の隣で無防備に眠っている姿を見ると、とても優しい気持ちになる。
それと同時に、切なくて胸がぎゅっとするような、不思議な感覚があった。
(ああ、きっと私は……)
大切な相棒に、いつのまにか恋をしてしまったらしい。
結婚するなら彼がいいと思って、考えるよりも先に、その名前を口にしてしまったのだ。
「……謝らないと」
それだけで、こんなことに巻き込んでしまった。何も知らずに宿で眠っているだろう彼に、早く会って謝りたい。
両手をきつく握りしめて、エラティーナは目を閉じる。
さすがに、朝食くらいは持ってきてくれるだろう。
そのときに、何とかして逃げ出せないか。
そんなことを考えていると、ふと屋敷の外が騒がしくなった。
何となく視線を向けたエラティーナはリーン伯爵家の馬車が止まり、そこから魔導師らしき人間と兄が、転がるように降りてきたことに驚いた。
「兄様?」
目を凝らしてよく見れば、兄や魔導師の衣服に焼け焦げた跡がある。
「まさか……」
兄は昨日の夜。もしくは早朝に、すでにナラールのもとに向かったのかもしれない。
彼が魔導師であることは話してしまったので、リーン伯爵家のお抱えの魔導師を連れて行ったのだろう。
けれど簡単に撃退されて、逃げ帰ってきたのか。
「……さすが、ナラール」
思わずそんな言葉を口にしていた。
やはり彼は強い。
あんな魔導師や兄に、負けるような人ではないのだ。
誇らしく思ったが、兄と会ったということは、ナラールはすべてを知ってしまったことになる。
エラティが、リーン伯爵家令嬢のエラティーナであること。
そしてセルディとの結婚を回避したくて、とっさに結婚していると嘘を言い、ナラールの名前を出してしまったことも、すべて。
(どうしよう……)
はやく彼に会って謝りたい。
でも、顔を合わせるのが怖い。
エラティーナはどうしたらいいのかわからなくて、ただ部屋の中を歩き回っていた。
兄が戻ってきて騒いでいるせいか、侍女たちはエラティーナのもとを訪れなかった。
食欲はまったくなかったが、彼女たちが来てくれなくては、脱出する機会にも恵まれない。
どうしようか考えていると、ふいに窓が叩かれた。
「え?」
ここは二階で、窓にも結界が張られていたはずだ。
驚いて振り返ると、そこには、誰よりも会いたかったひとがいた。
「ナラール……?」
鮮やかな緋色の髪が、風に靡いている。
呆然とするエラティーナの目の前で、彼は窓を開けて、普通に部屋に入ってくる。
「どうして……」
聞きたいことはたくさんあるはずなのに、あまりにも驚いてしまって、何も言葉にできなかった。
そんなエラティーナに、ナラールは笑みを向ける。
「何だか面倒なことになっているみたいだな」
そう言うと、周囲を見渡した。
「どうなっているのか、聞いてもいいか?」
「本当に、ごめんなさい」
もう隠すわけにはいかないと、エラティーナはナラールにすべてを説明した。
昔から、騎士だった伯父に憧れて剣を手にしたこと。
騎士の試験に合格したのに、父が勝手に辞退してしまったこと。
結婚を命じられた相手に、ひどい条件を突きつけられたことも。
「私は、こんなことのために今まで生きてきたわけじゃない。伯父のような騎士にはもうなれないけれど、せめて伯父に習った剣で、誰かを助けたい。そう思って、家を飛び出した」
「そうか」
エラティーナの話を、ナラールは黙って聞いてくれた。
「エラティは、伯爵家の令嬢だったのか」
「……黙っていて、ごめんなさい」
そう謝罪すると、ナラールは笑って首を振る。
「謝る必要はない。何となく、わかっていた」
「え?」
「最初に会ったとき、見ただけで貴族階級の女性だとわかった」
「え、そうだったの?」
驚いて、エラティーナはその当時を思い出してみる。
たしかに、まだ家を出たばかりのエラティーナは、貴族令嬢の所作が抜け切れていなかったかもしれない。
「没落した貴族令嬢が、生きるために冒険者になろうとしているのかと思った。だから最初は、サポートをするつもりで引き受けた」
世間知らずで何もわからないエラティーナに、丁寧に教えてくれたのは、そういうことだったのかと、納得する。
「だが、エラティは強かった。あの剣技は自分の意志で鍛錬を重ね、磨き抜かれてきたものだ。その美しさに、思わず見惚れてしまうこともあった」
思わぬ言葉に、置かれている状況も忘れて、エラティーナは微笑んだ。
「……ありがとう」
たしかに彼の言うように、ずっと鍛錬を続けてきたが、伯父が亡くなったあとは、ひとりで黙々とやってきたことだ。
誰にも見られず、認められなかったその剣を、美しいと言ってくれた。
そのひとことだけで、今までの苦労が報われたような気がする。